プロローグ2 "シャルメリア"

 これは夢だった。

 白い竜が一人の魔導士と対立している、そんな絵本のような夢。

 それを見ている自分。体が重く、動かない。心は固く、揺るがない。それでも意思だけは、熱く燃え盛っていた。


 * * *


「――やはり、か」

 息を切らしながらベッドからなだれ落ちた。

 悪夢をみてこんなにも魘されるとは情けない。もう19の時を迎えるというのに。

「シャンマーン! 朝ごはんですよー」

「ああ、今行くよ」

 呼ばれる声に男は――シャンマンは目を擦りながら返事をした。



 数分後。着替えを済ませ、下の階へと降りる。

階段から降りるといつものように母が朝食を作っていた。

「あら、シャンマン。やーっと起きたのね」

「おはよう母さん」

 あくびをしながら椅子へと座る。悪夢のせいでか、どうやら疲れが取れなかったようだ。

 朝食が目の前に出される。海鳥の目玉焼きに肉を添えて、自家製のブレッディア(この世界でのパン)を齧った。今日もとても美味しい。

「そういえばシャンマン。貴方魘されていたけれど……大丈夫?」

 気づいていたのか。そんな顔をすれば親なんだから当たり前でしょう、と返される。

「貴方が悪夢を見るなんて珍しいわ。少し、詰め過ぎなんじゃないかしら?」

 母の心配そうな顔をみた。ブレッディアをミリキア(ミルク)で流し込みながら「大丈夫だよ」と、笑顔を作る。

 母を心配させないためにも、今日は多く仕事をこなさねば。



 一時間後。朝は冷え込むからと上着を渡され、今森へと出ている。

 この海域は今冬が近づいている。薪を集めて置かなければいけない。

「――にしても、今日は一段と冷える」

 息を吐くと白いもやへと変わった。鼻先が寒さで赤くなる。

 今日は薪をたくさん集めよう。昨日は風が強かったはずだから、きっと良い収穫になる。できれば狩りもしておきたい。この時期ならば小さい小動物でも有り難い。

 そう思いながら森の道を歩く。いつも歩き慣れた、いつもどおりの道だが――今日ばかりは、そうはいかないようだ。

「……なんだ、この跡は」

 いつもの道の脇に、大きく何かを引きずったかのような跡があった。

 それだけならば問題はない。だがその道には

「血だ。これは」

 人の血でも、獣の血でもない。嗅いだことのない血の匂いだった。

 それは好奇心だったか。シャンマンはその跡を辿り始めた。

 恐怖はある。だがさほど強い恐怖でもない。

 怖くてもそれを上回る勇気があった。それがシャンマンが今、怯まずに進む理由であるが……それでも小さく、彼は呟いた。

「大丈夫だ、大丈夫……なんたって俺は……魔王を、倒したんだから」

 それは彼が16の頃であった。彼の父が魔王により殺され、それに反抗したのが始まりだった。

 母は止めようとした。家族を二人も、失いたくなかったからだろう。

 あの時はひどいことをしたと思うが……今は、後悔などしていない。

「……でも」

 でも、彼には何も残らなかった。いや、残ると思ってはいた。

 父の仇と魔王を倒した。何かが残ると思っていたのに。

 魔王を倒した後に残ったのは、どうしようもない虚無感だった。何も、彼の手には残らなかった。

 それでもいつしか得られると思っている。だからこそ、今こうして暮らしている。きっと、いつか何かが手に入る。父を失った、代わりに。

 勇者なんていう肩書ではなくて、そうではない、何かが――。

 そんなことを考えているうちに、どうやら跡の最後へとたどり着いたようだ。

「あれは――竜、か?」

 冬の森の中、その暗闇に混ざるように隠れた獣――否、竜がいた。

 それは闇のようだった。暗く、冷たい、何もかもを飲み込んでしまうような。

 それは光だった。青く光るその目は、冷たく、大きい海を思い出させてしまうような。

 竜は喋らない。いや、人の言葉が話せぬ竜なのかもしれない。

 保護しよう。そう、そっと、竜に手を伸ばした矢先だった。


 生きる。


 どこからともなく、そんな声が聞こえた。

 生きる。それは、この竜から聞こえたような。その声は、滝のように、どっと溢れ出した。


 生きる。生きたい。生きなくては。生きていく。生きる生き生せいせいせいせいせい。

 私は、生きなければいけない。


 滝のように溢れ出すそれはシャンマンへと降り掛かった。

「ッ、ぐ、ぅ……ッ!」

 まるで弓の雨だ、体中が痛い。

 生きるためのその思いが、体を、心を、次々と貫く。

「は、ぐ、ッ……! っ、い、生きたいの、ならば……ッ」

 声が出ていた。自分の意志ではないような、そうであるような。

 その竜に、何かを伝えたいような。

「ッ! 生きれば、いいだろうっ……!」

 それは当たり前のこと。生きたいのならば生きればいい。そう願ったのならば、そう叶えてしまえばいい。

 竜は大きく目を開いた。それは、願っていた、欲しかった言葉だったからだろうか。

 誰かがシャンマンに問いかけた。それは竜が発したのか。はたまたそうではなかったのか。

「ああ――お前が私の、マスターなのか」

 そこでぷつんと、シャンマンの意識は途絶えてしまった。

 残されたのは、竜と、森に響く小鳥のさえずりだけとなった。


 そうして彼は竜と出会った。

 竜は生を望み、彼は何かを望んでいる。

 彼らはきっと幸福になるだろう。

 ――得られる物が、例え望んでいるものではなかったとしても。

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