第14話 「色知り」 ――まじめな話です。新年度なので。


 草柳大蔵さんの『花のある人、花になる人』(グラフ社、平成13年)を読んでいて、次の話を知りました。


 足利義満の愛妾に「高橋殿」と呼ばれる女性がいたそうです。

 この女性は一生の間、落ち目になることなく出世したそうです。


 その理由は、高橋殿は、義満の気持ちのコンディションをよく読んで、お酒も飲ませるべき時は飲ませ、ひかえるべき時は控えるなど、色々と心を配ったからだそうです。


 このお話は世阿弥ぜあみが『猿楽談義さるがくだんぎ』(申楽談儀)で書いているのを、白洲正子さんが『古典の細道』で引用し、それを草柳さんが紹介したものを、私がここで書いています。

 ややこしいですが、孫々引きをしています。


 それはともかく、草柳さんはこういっています。

「私は、この本を『おもてなし』の極意ごくいを伝えるものとして読んだが、世阿弥がこのあとで、高橋殿の〝心づかい〟を『色知り』と表現しているのに感心した。『色知り』とは『色好み』ではない。『人情の機微きびに通じる』ということである。心のタイミングやコンディションをわきまえているということである」(p40)


※『色好み』=情事にふける人、または洗練された恋愛ができる人。ここでは前者の意味でしょう。


 ネットの世界では相手の顔が見えないから、勢い舌鋒ぜっぽうが鋭くなり、相手の心を深くえぐるような言葉を使いがちになります。


 広いネットの海には、小学生からご年配の方まで多くの方々がいらっしゃいます。あたかも海に多種多様な生き物がいるように。

 しかも自己を守るためにアバターやアカウントで名乗り、本名を明かしません。


 それにもかかわらずに、知らず私たちは、目の見えない相手が、自分とほぼ同年代であるかのように接することが多いのではないでしょうか。


 その理由について私は、基本的に人は自分の経験をもとにしてでないと物事を判断できないからだと思います。


 ですが、相手は自分と違う年代かもしれない。自分とは違う経験をしてきた人かもしれない。自分とは違う国の人かもしれない。


 そう思うと、相手のコメントを多様性の一つとして受け入れ、その上で自分の考えを示さなくてはならないでしょう。


 頭で理解するでもなく、心で受け止めるのではなく、色眼鏡をかけずに受け入れるということ。これもまた色知りと同じく難しいことですね。


 とはいえネットの世界は危険な領域りょういきも含んでいます。多少の制限はかけられるとはいっても、基本的に国境が無い、ノー・ボーダーの世界です。思わぬところに落とし穴がある時も……。


 中高生や大学生、また大人の方もそうですが、自分の身は自分で守りましょうね。

 危険を感じ取る。それもまた「色知り」じゃないかと思います。


※もしまずいなって感じたら、ご両親や周りの人に相談しましょう。一人で悩むとより深みにはまりますし、一人で抱え込むより何倍もましですよ。



――――

あ、そういえば、サイクル的にそろそろ相方ネタの番が……。でもなぁ、段々、おおっぴらに書けない話になりそうで怖い(笑)。



【追記】

(カタカナを平仮名にしています)

「鹿苑院の御思い人高橋殿(東の洞院の傾城也)、これ、万事の色知りにて、ことに御意よく、つゐに落目なくて果て給いし也。上の御機嫌を守らへ、酒をも、強ゐ申すべき時は強ゐ、控うべき所にては控へなど、様々心遣ゐして、立身せられし人也」(日本思想大系『世阿弥・禅竹』、岩波書店、1974年、p306)

と確認できました。

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