罠の中

「躱して」


 横に跳ねたパープルとその背から跳び上がった黒髪の青年がいた空間を、飛来した投擲武器が通り過ぎる。宙で前転したカイはそのまま伏せるように着地し、降り際を狙った刃は頭上を通過していった。

 大地に爪を立てて這いつくばり、獣のような姿勢の彼に襲い掛かろうとする者はいない。身体から放たれる強烈な闘気。獲物を狙う鋭い視線。そして、その瞳に浮かぶ渇望の色は、敵対する者の命を食い散らかそうと爛々と燃えている。

 長く戦場に身を置いている兵士でさえ怖気を振るい、挑めば命を縮めることになると思わせていた。


 しかし、対峙する軽装歩兵の一団も臆する事無く観察しており、肉食獣のような瞬発力で彼が襲い掛かっても冷静に刃を構える。


(藍色の鉢金。これがディムザさんに付いているという夜の会ダブマ・ラナン。顔を曝してまで出てきたって事はここで勝負を賭ける気ですぅ)

 フィノは相手の意図をそう読んだ。


 事実、あいはカイを撃退しようなどとせず、逆に誘い込むように取り囲んで散発的に攻撃を加えつつ、本陣の中へと引き込んでいく。


(これは露骨に罠なのですぅ。でも、いくら興奮していたってカイさんがこの程度の仕掛けに引っ掛かる訳ありませんよぅ。追い掛けるしかないのですぅ)

 高々と吠えるトゥリオに続き獣人魔法士もイエローを駆けさせる。


 息を飲んで見送る敵兵の様子を見れば、攻撃を控える命令が下されていると分かる。彼らが本気で襲い掛かってくるのはおそらくこの後だ。本陣八万の兵士全てが彼女達を倒そうと狙っている。

 徐々に湧き上がってくる恐怖感を抑え込みつつ冷静に構成を編む。夜の会ダブマ・ラナンと対峙したのも初めてではない。少数で敵に取り囲まれたのも初めてではない。帝都でも似たような状況だったと自らを奮い立たせる。対抗策はあるのだ。


 ひしめく兵の中を何十ルステン何百mも駆け抜けた。ここは敵の真っただ中だ。

 カイに討たれたあいが何人も脱落していったし、反射的に攻撃してきた兵士もトゥリオが斬り捨てた。それでも見渡す限り敵しかいないのに変わりはない。

 急に攻撃を強めたあいに青年が足を止める。


(ここ!)


 右手に編み上げていた全方位風撃ソニックブラストを解き放ち、開いた空間に向けて起動音声トリガーアクションを高らかに放つ。


雷電球プラズマボールマルチ!」


 紫電の球体が無数に湧き、円弧を描いて回転を始める。時折りそこから走る雷光が取り囲む兵に悲鳴を上げさせ痙攣させる。彼らはそこに現出した光景に動きを止めていた。

 ただ、無抵抗ではない。そんな状況も周知してあったのか、魔法士が集まってくる。カイが狙撃しているが一向に数は減らない。そして彼らは一斉に唱和する。


魔法散乱レジスト!」


 その一つひとつはフィノほどの魔法力を秘めているのではない。それでも周囲から包み込むように働く散乱の膜の力には抗しようもなく、紫電球はまたたく間に数を減らしていく。不利を悟った獣人魔法士は次の構成を準備して発現の機を窺う。こうなれば魔力容量と魔法力の競い合いだと彼女は心に決める。

 ところが青年は急にとんでもない事を言い放ってきた。


「さあ戦おう。僕達三人以外は周りは皆敵だ、フィノ。何をやっても・・・・・・敵に当たるよ?」

 その面には壮絶な笑みが表れている。

「そうですよねぇ。加減なんて不要ですぅ」

「おお、ぶちかましてやるぜ!」


 正規軍兵士から見ればそれは狂気に思えたかもしれない。しかし、彼女はカイの意図するところがようやく見えてきていた。


(そうですぅ。これは敵の術中。想定外の事が起こってはいけない状況なのですぅ)

 フィノは恐怖心がどこかに飛んで行ってしまっているのに気付いていない。


 トゥリオの大剣が炎を纏って燃え上がる。襲い来る兵士の攻撃を大盾で弾いては薙ぎ払い、時には一度に複数を斬り裂く。

 背後からの敵に大盾を跳ね上げて、鋭利な下端で腹部を貫く。風を纏わせた大剣が弧を描くと衝撃波が広がり、雷電を纏った大剣は斬り結んだだけで敵を昏倒させた。

 再び纏った炎熱が相手の長剣を易々と真っ二つにし、血飛沫を吹かせる。勇猛に戦う大男の整った顔立ちには力が漲っていた。


 反対側のカイを見ればいつも通りの鉄壁を誇る。

 銀爪の一閃で武器が破片に変えられていく。フィノではほとんど見えない速度で放たれた拳は武器を失った兵士を吹き飛ばし、後続を巻き込んで退ける。だからと言って間合いを取れば容赦なく光条レーザーが撃ち込まれ悲鳴と人体を焼く匂いが撒き散らされる。敵兵は何かに追い立てられるように掛かってきては倒されていく。

 それなのに時々彼女を気遣うように振り返る面には笑みを刷いている。誰かを背にしている時、彼はいつもそうだ。


 フィノは彼らの邪魔をしないよう、単発の魔法で押し寄せる敵の波を和らげる努力を続けている。先ほどのような広範囲魔法を使えば魔法士が打ち消しに乗り出してくるが、彼らの魔法散乱レジストも全てを覆える訳ではない。隙を探しては魔法を打ち込んでいっていた。

 ふと気付くと、視界の端から敵兵が入り込んで剣を振り被るのが見える。熱中したトゥリオが少しだけだが釣り出されていて、その隙間へ忍び込んでいたのだ。


「きゃっ!」

 思わず悲鳴が出る。

「万魔の乙女ぇー! もらったぁー!」

「フィノ ── !」

 トゥリオが吠えるが、男は手柄をものにしたと思い込んで早くも喜色を浮かべている。

「パン!」

「あ?」

 何が起こったのか分からないまま、彼は額に空いた穴から血を垂らして崩れ落ちた。それは子猫キルケが放った金属針に拠るものではない。

「どうしてフィノが持っていないと思っているんですかぁ?」

 彼女の右手には銃器型のプレスガンが収まっていた。


 フィノがそれを渡されたのは最近の事ではない。以前から持ってはいたのだ。ただし、彼女の場合は魔力残量が怪しい時の最後の切り札であり、みだりには使わないよう言い含められていた。

 命中精度を問えばチャムほどではない。魔法のほうがよほど精度も威力も高い。しかし、こうして周りを囲まれているなら味方に当てる心配もない。


 乾いた炸裂音が連続する。フィノは魔法散乱レジストに妨げられないその武装を開放し、鉄弾を周囲にばら撒いていく。薄い金属鎧では貫通するほどの威力を持つ脅威は、取り囲む兵士を大きく退かせるに値する衝撃を与えていた。


 本陣の中心にぽっかりと穴が開いている。


   ◇      ◇      ◇


 理想通りの状況を作り上げられた時には、マンバスの主君も膝を打って喜んだ。勝利に指が掛かっているくらいには感じていたかもしれない。


「くっ! やられた! あの魔法士、隠し持っていやがったのか!」

 無闇に近付けない状況を作られ、その表情は一変している。これではカイに出血を強いるのは難しくなった。

「陛下、まだ早計かと思われます。奴らは手中にあるままです。いつまでも戦い続けるなど不可能です」

「そんな無様な戦い方しか出来ないか。仕方あるまいな」


 ただ、豊富な兵力を投入して消耗を強いていくしか方法は無い。兵の反感が高まり過ぎないうちに勝負を決めたいと彼も思う。


「ちっ! マズい!」


 更に違うところから騒ぎが始まる。ルポック軍を突破してきた森の民エルフィンの部隊が本陣に侵入してきた。

 精強な戦士の攻撃に本陣は大きく乱されていく。魔闘拳士という脅威だけに集中していればよかった状況が覆ってしまったのだ。


「マンバス、後を任せる。ここは俺が出てでも奴を討ち取ってしまわねば難しくなるぞ。解るな?」

 副官の心中には苦渋が広がる。行かせるべきではないが理解は出来る。

「お気を付けて」


 彼にはそうとしか言えなかった。

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