攪乱戦
交渉の席が持たれた
何も動きがない訳ではない。帝国側はその基本戦術を垣間見せる。
先陣のザイエルン軍と右翼ルポック軍は徐々に南側に移動し、西部連合軍の戦列に対する位置にずれていく。これは左翼キラベット軍が獣人戦団に対応する事を意味しており、そちらは新皇帝本人が指揮を執ると決められていた。
比較的動きは遅く指揮し易い正面衝突は主にマンバスが動かし、随時ディムザに指示を仰ぐ形式になっている。
(陛下はずいぶんと神経質になっておられる)
副官にはそう思えて仕方がない。
従来は信号旗方式を主に、伝文も補助的に使われてきた。しかし、今回は信号を読み取られての素早い対応を怖れてか、伝文での命令を主に置くとされている。
確かに敵の信号旗に注目していれば変化の動き出しは読める。が、旗信号にも迷彩が掛けられ、伝令隊はその
しかし、今回は信号旗の内容とは異なる命令伝文さえも導入されると事前の軍議で告げられたほどの徹底っぷり。ディムザがこの戦いにどれほど注力し、極めて緻密な用兵を強いてでも得られる勝利に固執しているかを感じさせる。
(そこまでお気を使われる必要があろうか? 実際に魔闘拳士は伝文で宣戦布告してきた。それを深読みさせる計略だと思われているのか?)
命令伝文はこちらに筒抜けだぞ、信号旗に頼るしかないぞ、と思わせているように感じられない事はない。それによって信号旗の単純な命令に偏らせ、用兵を重くさせようと目論んでいるのではないかと思ったようだ。
伝送馬車の装置の完成度は高い。現実的に考えて、その仕組みを解明するのは容易ではないはず。
発信側は受信先の符合を打ち込み伝文を発する。受信側は装置に適合する符号が含まれた伝文だけを表示する仕組み。単純に見えて解読は困難なのだ。傍受が難しくなくとも、大量に存在する符号を読み解かねば意味がない。
内容から帝宮向けの伝文は見つけ易い。それに付随する符号はすぐに判明するだろう。それを逆利用して、こちらを誘導しているように新皇帝には感じられてしまったのかもしれない。
(油断ならない相手ではある。だが、そこまでやるだろうか? 確かに数では大きく劣る。しかし、近接戦では比較にならない強さを見せる獣人が主力を占め、逆にこちらにはほぼ居ないのは、その差を埋めるに十分なのではないかと思える)
魔法適性の低さという欠点も、
(魔闘拳士はそれで満足はしないかもしれない。だが、初手から踏み込んでくるものだろうか?)
内心では迷いもあるが、ずっと付き従っていた主君の意見を無視は出来ない。
「旗信号は『騎馬隊、突撃準備』で迷彩。伝文は『そのまま戦列維持』だ」
迷いなどおくびにも出さず、伝令隊への指示を下す。
「それで良い。続けろ。……ちっ! ばらけてしまったか。余計に難しいぞ」
見れば、獣人戦団にはそれぞれ別個に指揮補助の形で四人が分散している。
全てが属性セネルの高速機動部隊一万五千に魔闘拳士。僅かに重装兵の多い機動打撃部隊に大盾の男と獣人魔法士。そして、勇猛な突撃を見せてくる機動打撃部隊には青髪と
「あの猫の密偵まで居るじゃないか。どうしてくれよう?」
ディムザが独り言を呟く。
すると青髪の傍らにいるのが話に聞いた件の猫獣人の密偵らしい。侵入には怖ろしい腕前を発揮したようだが、戦場でどれほど働けるのかも不明だ。
あまり注意を逸らしている訳にはいかない。指令に応じた動きが敵側に表れる。
(微妙に退いて見せたな。これは旗信号に反応したということ。やはり伝文の傍受は出来ても、解読は出来ていないという意味)
暗号のお陰である可能性は捨て切れない。しかし、主君の想定が当たっていると思ったほうが良さそうに思える。
(ならば、やはり本命の指令は伝文に含ませるべきだ。さすがはディムザ陛下)
マンバスは新皇帝の読みに感服する。
「引き入れて潰す。ルポック軍は右に斜線陣、ザイエルン軍は左に斜線陣を敷け」
敵方が戸惑っている間を狙って大胆な戦術に移行する。
両軍を漏斗のように徐々に展開させる事で敵軍を引き込み、前列を削り取りつつ魔法や矢による攻撃で全体に消耗を強いる陣形である。敵が崩れても逃げ場はない。その頃には深く引き込まれており半包囲、状況に応じては完全な包囲態勢に移らせるのも可能。
密集させて近接戦闘に割ける兵力を絞り、遠隔攻撃で消耗させていくだけでいずれは崩壊の憂き目に遭わせられる。
「む、ザイエルン軍、展開遅いぞ。どうした?」
ルポック軍が右手に斜線陣を敷きつつある中、ザイエルン軍は方陣のまま、むしろ押し出しに出ているかのように見える。単なる指揮遅れではなさそうだ。しきりに指揮ラッパは鳴り響き続けている。
「ふん、片落ちになったな。まだ不慣れだ。或る程度は仕方あるまい」
状況を読み取ったディムザは鷹揚に応じている。が、マンバスにしてみればそうもいかない。
「伝文の再送急げ! 旗信号も同様に出せ!」
信号旗は無視するように周知してある。無駄かもしれないが、打てる手は全て打たなくてはならない。
敵も動き出している。
ジャイキュラ子爵率いる右翼陣はザイエルン軍の攻撃を受け持ったまま、ベウフスト侯爵率いる左翼陣は斜線陣に沿わず、一度後退する気配。こちらの意図を読んだかのようだ。
慌てて斜線陣に移行しようとするルポック軍に対してジャイキュラ軍も深追いせず、退きつつ右へ展開しようとしている。
漏斗状に機動展開する自軍に応じて、その両先端、最も戦力が限られている場所に食らいつかれる格好になり始めていた。
(いかん! いかんぞ、これは! このままでは両軍が徐々に食い潰されていくではないか!)
マンバスは窮地に陥りつつあるのを感じる。
「ルポック将軍より伝文! 『度重なる命令変更は兵の混乱を招く。慎まれたし』です!」
そこへ伝令隊から彼に報告が走る。
「度重なる命令変更だと!? 私はそんな事はしていないぞ」
「しかし、伝文では、その……」
伝令隊員も戸惑いを見せる。マンバスが出した指令は一つだけだと知っている。
(まさか!!)
副官の脳裏に閃きが走った。
「ま、魔法士! 遠見の魔法を!」
駆け寄ってきた宮廷魔法士が発現させた遠見の視界がマンバスの正面に現れる。
ベウフスト侯爵イグニスの様子が遠目に見える。印象的な青縞を持つ虎獣人は、長剣を片手に振り回して指揮を行っているが、左手には小型の魔法具を持ち顔の横に当てて何かを話している。
焦点を巡らせるよう指示してジャイキュラ子爵モイルレルの様子を見れば、彼女も同様にしていた。
(遠話器! いかん、これは明らかに指令が漏れている!)
マンバスは驚愕に瞠目する。
(度重なる命令!? それどころかこれは攪乱情報さえ撒かれている可能性があるぞ!)
彼は一気に青褪めた。それが事実であればとんでもない事になる。
「キラベット、なぜ俺の指令が聞けん! 貴様、父上に操を立てて無理な仇討でもする気か!?」
忠告を発しようとした副官の耳を打ったのは主君のそんな台詞。
(ぐぅ! 手遅れか!?)
マンバスは強い焦りを覚えた。
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