開戦前夜
派手に頬が鳴る。
熱を孕んで伝わってくる痛みより、美貌の視線が突き刺さってくる痛みのほうが大きい。
「あんた、この人を人間扱いしなかったわね?」
自分はそれだけの事を言ってしまったのだから仕方ないと諦められる。
「次は流血は免れられないと思っておきなさい」
「え? それだけかよ」
「何? もっと痛いのがお望みなの? 気持ち悪い」
ひどい言われようだが、それだけで済んだのが意外だった。
「違うって! これだけで許してくれるのかよ!」
「彼があんたの気持ちにお礼を言っているのに、私が怒る訳にいかないじゃないのよ!」
「何だよ! 怒ってんじゃねえかよ! 許すなら許すって言ってくれよ!」
向けられた背中を追い掛ける。
ちらりと覗く頬の赤みがチャムの羞恥を感じさせ、つい余計な事まで言ってしまった。
◇ ◇ ◇
チャムをトゥリオが追い掛け、フィノも制止の言葉を掛けながら手を伸ばして付いていく。ルレイフィアにはその様子が微笑ましく感じられて忍び笑いを零してしまう。
「いいなぁ、仲間って感じで」
見上げれば黒髪の青年は頭を掻いている。
「情けないところを見せちゃったね。恥ずかしいなぁ」
「えー、ルルは羨ましいよ?」
「我々では物足りませんかな、殿下?」
咳払いとともにジャンウェン伯に揶揄された。モイルレルも口を尖らせている。
「そんな事ないですよ。家族みたいに大切な人ばかりに囲まれて幸せです」
「何か言わせたみたいで面白くありません」
彼女までからかってくる。
少女は身を寄せて脇腹をつねった。
◇ ◇ ◇
「なあ、何でこんな事になっちまったんだろう?」
ルレイフィア達と夕食を終え、少しだけ離れた場所でじゃれ付いてきたノーチとリドを膝に乗せて撫でている青年の横に座る。
「俺は上手くいくんじゃねえかと思ってたのによ」
目算外れを嘆く。
「そんな風に見えたかもしれないね。だって僕と彼は似たような性質を持っていると思ったんだろう? どこかで折り合いを付けられる筈だって」
「まあな。お前らは戦ってる最中だけじゃなくて、普段から感情に制御が利いている。どんな思いが胸にあろうが、飲まれねえで理性的に計算して動ける。俺には真似できねえ」
リドを肩に乗せ、ノーチを抱きかかえたカイはくすくすと笑う。
「ディムザと僕は全然違う。彼は血族や周囲に情を求めて得られなかったから、別の何かを代わりにしようとした。民が彼を望む声を求めたんだ。それで満足を得ようとした」
「そいつは無理ってもんだ」
「そうだね。そこに情は含まれていない。寄せられるのは期待だけ。上り詰めたところで自分の欲しいものは手に入らないって薄々感じながらも駆け続けるのを止められなかった」
青年は毛皮に頬を埋めながらトゥリオを見る。
「そんな時に君に出会ってしまった。君の中に自分が欲しかったものが有ると気付いたんだ。無意識に心が動いて近付いたんだろうね?」
(あいつにとってそんなに貴重だったのかよ。もしかして俺に裏切られたみてえに感じているのか?)
それは彼の中でしこりとなる。
「僕は情には恵まれていたんだ」
思いを余所にカイは言葉を続ける。
「だから大切にしたくて守ろうとした。でも守ろうと足掻けば足掻くほど周囲からは心が離れていってしまったんだ。ところが、この世界に来てからはその守ろうとする思いが僕を押し上げてくれた。大切な人にも恵まれたし、周囲にも認められた」
「全部が変わったんだな?」
「うん、僕はすごく運が良かった。それが彼との一番の違いかもしれない」
(そりゃ、お前が悩みながらも一生懸命頑張っていたから、例の大いなる意思ってやつが恵んでくれたんじゃねえのか?)
そうは思うが口するのを止める。あまり良い感情を抱いていない気配があったから、言えば反発を招きそうだと感じたからだ。
「俺はあいつに何がしてやれると思う?」
そう言えばカイには悔いが伝わるはず。
「……分からないな。正直、僕には彼の深奥が理解出来ない。ただ、その答えに近付けるのは君の直感のほうだと思うよ」
「思い付きで動けってのはひどくねえか?」
「だって君はいつもそうじゃないか」
茶化し合いは笑いに繋がる。
「言っておくけど、僕の感情は深いよ」
一呼吸置いてから青年が告げてくる。その黒瞳の奥はトゥリオには計り知れない。
「解ってる。だからチャムがお前を選んだんだろうがよ」
「確かに、ね」
友情も重いと言いたいならそれもいい。それに関しては引けを取らない自信が大男にはある。
二人をお茶に呼ぶ声が聞こえて振り返った。
◇ ◇ ◇
補強した各軍のうち、志願してきたザイエルン将軍の七万を先陣に据える。右翼にルポック軍、左翼に置いたキラベット軍もそれぞれ七万。正面戦列だけでも二十一万を数える。
しかし、あくまで主力はディムザの直轄軍九万だ。これであの四人を包囲する状況を作り出すのが作戦の最終目的である。最初から誘い込めるなどと都合の良い事は考えていない。戦闘の流れの中でそうせねばならないよう用兵するのだ。司令官でもある彼の手腕が問われる。
対する西部連合軍はかなり変則的な陣容と言えよう。
ルレイフィアの座する本陣二万は直轄軍というよりは護衛に近い色合いを持つだろう。その前に二つの軍が方陣を並べて戦列を組んでいる。左翼に全てを獣人で構成したベウフスト軍六万。右翼にはジャイキュラ領兵二万とジャンウェン領兵二万、それに騎士爵諸侯の領兵二万を合わせたジャイキュラ軍六万が布陣する。
合わせて十二万の戦列は正規軍の二十一万と比較するとあまりに少ないと思える。ただし、不気味な一軍が右翼の更に右に控えていた。
その全てが騎鳥兵である獣人戦団総数五万五千。これがディムザから見れば、十万にも二十万にも感じられてしまう。
これまでは軍馬を持てない弱小諸侯が仕方なく乗用に用いるただの家畜だと思われていた
卑しいと考えられていた戦い方の常識を覆して、その本当の強さを示してきたからこその現状だが、魔獣特性をも利用するようになった点が大きい。誰も属性セネルを万単位で戦力と出来るなど想像もしていなかったのが原因として挙げられるだろう。
更に輪を掛けて読めないのが獣人戦団に混じる
もしかしたら戦局を動かす要となるかもしれない僅か二千に警戒の目を向けない訳にはいかなかった。
「マンバス、あれは徹底してあるんだろうな?」
展覧台の椅子に掛けた新皇帝ディムザが副官に問う。彼の軍馬は御座馬車の傍らに引かれているが今はまだ出番はない。
「はい、伝送馬車の伝令隊には暗号表を必携と命じてありますし、出来得る限り暗記するように指示しました」
「良いだろう。場合によっては途中で解読符丁を変えると言っておけ」
彼はカイが伝送文を送って寄越したのを極めて危険視していた。
件の神使女性から引き出した情報を基にしていると知ると、相互にやり取りする伝送文は覗かれているものと断ずる。対策として伝送文の暗号化を行い、複数の解読符丁を用意するよう命じた。
各軍への詳細な命令は、今回から
(好きにやらせると思うなよ、カイ)
紫色の瞳は昏い色を帯びて戦場を睨んでいた。
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