開戦前交渉の席(3)
トゥリオの悔いはそれなりに通じたようで、黒髪の青年の表情も少しは穏やかになる。
「謝らなくてもいいよ。僕も悪かったところがいっぱいある。ただ、これだけは分かってほしい」
この黒瞳はいつも大切な事を伝えてくる。
「ディムザは詫びもするし後悔しているように見えると思う。でも、それは僕を怒らせてしまった事に対してだけなんだ」
「だけ、だって?」
「そう、フーバ市民三十万の命を奪った事を省みたりはしない。僕が怒りを鎮めさえすればいいと思っている。その為だけなら贖罪もするだろう」
強い意志が美丈夫の胸に響く。
「彼も理不尽を行って後悔しない人なんだよ。だから僕は討つと言った」
(そうか。お前は俺とディムザの関係を慮ってずいぶんと譲ってくれていたんだな。そんな事、全然気付いていなかったぜ)
長く行動をともにしてきて通じ合っていると思い込んでいたが、青年の心を理解出来ていなかったのだと思い知った。
「やれやれだ。頑張ってみたが、どれだけ弁を重ねても俺を許してくれるつもりは無さそうだな?」
卓を叩いて気を引いたディムザが言ってくる。
「ええ、最初から退く気はありませんでした。僕がどういう思いで決意したのかは伝えておくべきだと思っただけです」
「は! 俺のほうは賭けていたんだがな? ならば仕方がない。手ぶらで帰る訳にもいかないから言いたい事を言わせてもらおう」
「おい! お前、これ以上……!」
今度は卓を拳で強く打つ。
「黙ってろ。それならば、だ。俺がこの戦いに勝ったら君は東方から一切手を引け、カイ。本当なら配下に入れと言いたいところだが、君は絶対に俺を受け入れられないようだから諦める。その代りに東方で何があろうと手出しするな。いいな?」
「構いませんよ。僕には絶対に勝てません。その条件、飲みましょう」
「言ったな? 忘れるなよ?」
ディムザは念押しするが、それよりカイが勝利を明言したほうがトゥリオには怖ろしかった。青年は今回、一切の加減をしないという意味だ。それを考えると彼は喉がからからに乾いてしまうほどに緊張する。
「もう一つ言っておくね」
ディムザに対してしっかりと頷いて見せてから、カイはトゥリオに向き直る。
「これは絶好の機会だと思う」
「何の機会だってんだ?」
「君が僕に自分の正義をぶつけてくる機会さ」
青年は平然としているが内容は実に重い。
(いきなり何を言い出すんだ? 俺の正義?)
トゥリオは混乱してしまう。
「この通り、自分の正義を貫く為なら国という枠組みや、それによって生じる社会秩序とかに全く意を介さないのが僕っていう人間だ」
カイはそれを実践し続けている。
「でも、君は違う。人が社会生活を営み、秩序を保つ為には国という括りが必要だと思っているし、その秩序を大切に思っている。それを守るのが君にとっての正義。信条になっていると言っていい。違うかな?」
「違わねえな」
見抜かれている。彼もそれを貫いてきた。
「どちらかと言えばディムザに寄っているよね? 彼も国を大事にし、その存続に支障を来すような問題を排除してきた。その辺りが君が彼の肩を持つ要因の一つだと思っている。ならばここで道を違えるのも選択だと思うよ?」
「もしかして俺がディムザの側に回るのもありだって言ってんのか?」
「カイさん、そんな! いくら何でもひどいですぅ!」
フィノが批判的な悲鳴を上げる。
「いや、君を敵にしたい訳じゃない」
トゥリオならばディムザを変えられるのではないかと言う。
今は確かに彼は理不尽を平気で行う。誰も止められないからだ。
しかし、ディムザを諫められる存在が居れば事情は変わってくるだろう。彼の理不尽を指摘し、思い直すよう助言出来る人間が居ればの話だ。
もし、帝国がこの戦いに勝利し、それに多大なる貢献をした者がいれば帝宮はその存在を容れざるを得なくなる。皇帝の傍でも友人として寄り添い諫言をする者がいるなら、ディムザは今後は民心を思いやれる良い為政者に変化するかもしれない。
「君が相手なら僕も本気は出せない。討ち果たす機会はあると思う。もちろん条件は揃えるよ。もし
彼の正義のほうが正しかったと認めると言うのだ。
「…………」
「東方を任せても良いと思ってる。君のやり方で秩序と平和を作り上げて欲しい」
「……えよ」
声がかすれて上手に発音出来ない。
「出来ねえんだよ!」
「なぜだい?」
「俺のやり方じゃ救えねえんだってんだ! お前が言うように秩序もすげえ大事だって思ってる! でもな、秩序ってのは大多数の幸福を見込んでの決まり事だ!」
口調は強いが、情けない顔をしているだろうと思う。
「そうだね。基本的には社会性のほうが重視される」
「そいつが大切だと思ってる奴の傍にフィノを置いてみろよ! そりゃ、守ってやるのは簡単だぜ! このでかい身体で隠してやりゃいいんだからな!」
獣人である魔法士の存在も人目から隠せる。
「後ろ指を差す奴には反論もする! そんなのが居たっていいじゃねえかってな! その場で黙らせるくらいは出来る! でも、他の奴の目も気にしちまうんだ! そんで、そのうちに彼女に言っちまう……」
苦悩に歪められた口から言葉を漏らす。
「あまり目立たないように生きろってな」
圧倒的多数の意見と幸福を尊重し、皆が危険に曝される事なく、出来るだけわだかまりなく暮らせるのが秩序が保たれている状態だ。常識から外れた存在を排除したり矯正したりするのも諍い事を無くす為には重要になってくる。
トゥリオの正義はフィノのような常識外の能力を持つ人間には優しくない。排除とまではいわないまでも隔離の対象として考えてしまう。
「そんな馬鹿な言い草があるか!? フィノはフィノなりに一生懸命生きてんだ! 自分にも役立つ道があるだろうって必死で頑張ってたんだ! なのに目立つなってどういう事だよ! そんな奴なんか糞くらえだ!」
自嘲の言葉が口を衝く。
「俺じゃ駄目なんだよ! 彼女を救えねえんだ! でもお前の正義は違う! 誰が何を言おうがフィノの生き方が正しいって思えば讃え、とことん守る! 理不尽に批判する声があればどこまでも戦う! そんな奴じゃねえと彼女を救えなかったんだ!」
手を広げてカイと正対する。愚かな自分を見ろと言わんばかりに。
「解ってくれよ。俺はお前の正義も正しいと感じてたんだよ。全部ひっくるめて飲み込んだりは出来ねえがよ、お前のやり方じゃなきゃ救えないものも正せないものもいっぱい有ったって思ってんだよ。だからずっとお前の横にいたって笑っていられたんだ。頼むから……、解ってくれよ」
胸の中を怒りや羞恥や期待が駆け巡って顔を伏せる。
「ありがとう、トゥリオ」
目を上げるとそこには晴れやかな笑顔の仲間の顔があった。
「はっ!」
これ見よがしな吐息が一つ聞こえる。
「とんだ道化だな。俺はこんな恥をかかされる為に席を設けたのか?」
静かな怒りがディムザの口調から感じられる。そして手を振って「馬鹿らしい」と席を立つ。
「でかい口を叩いてくれたが、俺が無策だと思ってくれるなよ? 勝算が有るからここに居るんだぞ」
背中越しにそう残して去っていった。
その背中に掛ける言葉がトゥリオにはない。道は完全に分かたれたのだ。つい手が伸びそうになってしまうが後悔は感じていなかった。その背に柔らかい感触が広がる。
「ありがとうございますぅ、トゥリオさん。フィノの為に……」
温かな湿りを背中に感じられるのが心地良かった。
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