開戦前交渉の席(1)

 青旗を掲げた使者がやってきたのは、西武連合軍二十万弱がディンクス・ローの南のクルム平原を東に抜けてポミ平原に入った頃だった。


「申し上げる! 畏れ多くも皇帝陛下が開戦の前に交渉の席を設けると仰せになられている。有り難くお時間を賜るがよい」


 横柄な物言いだが、ディムザがそんな事を言うとは思えない。これは使者の要らぬ誇張が混じってしまっているのだろう。

 要するに、とりあえず話し合いの場が持ちたいと言っていると受け取る。


「腹が立つわね。蹴ってやろうかしら?」

 チャムも分かっているのだろうが、どうにも癇に障ってしまうらしい。

「ふざけた感じだってのは分かる。だが、頼むから受けてやってくれねえか? どうしても確かめてえ事があんだよ」

「あんた、この期に及んで奴のの肩を持つんじゃないでしょうね?」

「……あいつの本音が聞きたい。この通りだ」

 一瞬躊躇したのは否定出来ないという意味だろう。それでも頭を下げられれば断りにくい。

「まあ、聞くだけは聞いても損はないんじゃないかな? 譲歩してきたところで退く気はないけど、言うべきは言っておこうと思う」

「そう? 仕方ないわね」

「ありがたい。恩に着る」


 機を見計らったようにトゥリオは懇願する。これまでディムザ征伐に関して話した時に沈黙を保っていたのは、この機会を狙っていたようだ。二人を会わせて話をさせないことには埒があかないと考えていたのだろう。


「それでどうしろと言うのです? まさか盟主一人で交渉の場に出せとか言わないですよね?」

 申し立ててきた使者を窺う。

「陛下はゼプルの騎士を相手に指名されておいでだ。それ以外の制限は明言されなかったが、分を弁えるがよい」

「お前ら、いい加減にしとけ。ゼプル女王相手に分を弁えてねえのはどっちだ?」

 使者達は狼狽える。白い冒険者装束のチャムにピンとこなかったのだろう。普段はろくに頭を使わず威張り散らしているだけの輩のようだ。

「と、とにかく伝えたぞ! よいな!」


 即座に踵を返して逃げるように去る。ディムザがこの程度の手合いばかりを相手にしていると思うと苦労が忍ばれる。

 全てには目が回らないのが、この擦れ違いの大きな原因になっているような気がしてならない。それをどうにかしたいとトゥリオは思っている。


「頭越しの会談を申し込まれたんだけど、ルルはどうする?」

 停止中の全軍を突っ切って戻ったカイは盟主の少女に尋ねる。

「如何にも叛逆者扱いは頭にきます。ここはルレイフィア様がお出でになって交渉すべきではありませんか?」

「そうですね。わたくしも責務を果たしたいと思います。でも、お兄ちゃんはどう思ってるの?」

 近衛騎士長官も兼務するモイルレルが進言すると、彼女は応じる発言とともに青年にも確認を求めた。

「相手の出方によっては聞き苦しい話になるかもしれないし、水掛け論になっちゃうかもしれないね。ただ、無駄足にはならないとも思ってる」

「では参ります。ジャンウェン伯、モイルレル、宜しく。ベウフスト候には留守を任せます」

「御意!」


 多少は頼りなさを感じさせていた少女も盟主らしくなってきた。

 腹心を背後に置いて助言出来る状況作りをし、全戦力の半数以上を占める獣人を掌握しているイグニスを後方に置き、万が一の時の体制にも配慮が出来ている。

 これならば彼女を帝位へと請う仲間の気持ちも分かると赤毛の美丈夫は思う。


 しかし、彼はまだ割り切れない思いを抱えたままだ。


   ◇      ◇      ◇


 西部連合側は先に列挙された臣に加え、近衛騎士が数名付き従っている。

 皇帝側はディムザと副官マンバス、護衛の騎士の他に三将の姿もあった。彼らはテルケナスト平原会戦の最中に何が起こったのか知らないままのようだ。まるで仇を見るように黒髪の青年を睨み付けている。が、新皇帝の手前、自制していると見えた。


「久しぶりだな、ルレイフィア。出来ればあの風光明媚な別邸でゆったりと暮らしていて欲しかったんだがな?」

 如何にも残念だという風に首を振るディムザ。

「今や玉座に着かれましたお兄様をお諫め出来るのはわたくしだけになったと自負しております。この意味、お解りくださいますね?」

「言うようになった。いたいけな少女を仕込まないでくれ、カイ」

「お兄ちゃんは関係ありません。わたくしは以前から帝宮の在り方を問い掛けてきた筈です」

 ルレイフィアは新皇帝との舌戦に敢然と挑んでいく。最初から飲んで掛かろうとしたディムザには当て外れだっただろう。

「なるほどな。子供だと侮っては駄目か」


 背後には眼光鋭い老家令が控え、左右はタイプは違えど戦巧者と謳われる将が固めている。しかも獣人侯爵が後方から睨みを利かせているでは、容易な相手ではないと思わせられるはず。


「単刀直入に言おう。カイ、君とは戦いたくない」

 吐息の後に彼は青緑の瞳を向けてくる。

「ならば誠意を見せて欲しかったですね。この場に神至会ジギア・ラナンに属する全ての人間を罪人として連れてきて引き渡してくださったなら考えなくもありませんでした」

「だからそれは無理だ。教会は帝宮とは別組織。俺の権限も及ばないんだ」

 三将の手前、建前通りの答えが返ってくる。

「国内で起きている大罪を見過ごしているようでは統治出来ているとは申しませんよ?」

「被害に遭った神使の女性の事は遺憾に思っている。詫びておこう。済まなかった」

 頭を下げる新皇帝に周囲の者は驚きの目を向ける。そこまでさせてしまった相手に憎悪を抱くが、果たして長続きはしなかった。

「叔母の事はお詫びは不要。こっちで勝手に蹴りを付けさせてもらうわ」

「叔母、だと?」

「知らなかったの? お宅の狂信者達が命を奪ったのはゼプルの王族の血脈よ。安易に許されると思って?」


 目を剥いたディムザは腹心を窺う。顔を顰めたマンバスは俯いて首を振る。処置無しといったところだろう。

 どうやら彼らには正確な報告が上がっていないらしい。あの組織が責任逃れの隠蔽を図ったか、さほど大事だとは考えていないかのどちらかだ。


「これは申し開きのしようもない。知っていれば違う対応も出来たかもしれないが、今更論じても仕方ないだろう。重ね重ね申し訳なかった」

 カイも不満を表すように平板な面持ちで応じる。

「その一件に関しての責任追及を貴殿に求めるつもりはありません。どこから見ても暴走です。まともな神経の持ち主にはとても出来ない仕儀でしたから」


 ディムザの視線が揺らぎ、西部連合軍の一画に向けられる。そこには、全軍から見れば少数だと言える一団がいる。

 出で立ちが他とは大きく異なる。珍しくしっかりとした黄緑色の鎧に身を包み、背に弓を背負い長剣を佩いた彼らは、緑色の髪と瞳を持っていた。総数二千のエルフィンの軍団だ。

 女王チャムを警護するとともに、機を見出せば帝都に攻め込んで神至会ジギア・ラナンを討ち取る覚悟だとディムザはようやく理解に及んだらしい。


「少し待ってくれ。検討の時間が欲しい」

 彼も事の重大さに気付いたようだ。

「残念ながら手遅れです。既に僕達は意を決しています。権限が及ばないと言われるのでしたら黙認していただきたいところなのですが、そうもいかないのでしょう? どうも特殊な権力構造が定着しているようなので」

「解っているなら慮って欲しい、と言いたいところだが、そっちに関してはもう難しいようだな。王族となればいくら何でも度を過ぎている。退くに退けんな」

「ご理解いただけて幸いです。なので僕が問題視しているのはフーバの件なのです」


 話題が移ったと見てトゥリオが大きな身を乗り出してきた。

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