ルレイフィアの思い

 前もって聞いていたような経験をしてきたとはルレイフィアには思えなかった。


 彼ら四人はいつも通りの調子に見える。皆がほとんど笑みを絶やさないし、無理している感じも受けない。

 喜び勇んだ針猫ニードルキャットノーチが黒髪の青年に身体を擦り付けに行っても、彼は優しく挨拶を返している。大人に近付いたノーチは背中の毛が少しこわくなってきているし、背中から前肢の半ばまでや太腿には金属片が鱗のように形作られている。ふさふさの下にはごつごつが隠れているのだが、何でもないように指を差し入れて掻いてやっていた。


 それでも折に触れてカイやチャムの表情に陰りが差すように感じるのは気の所為ではないだろうと思う。


「話しておいたつもりだけど改めてお願いするよ。ルルに帝位に就いて欲しい」

 様子を窺うルレイフィアに青年は切り出した。

「戦乱を防げるのならそれに越した事はないと思っていたんだけど、どうも現体制を打倒して根本的に変えてしまわない限りは戦争は無くならないと分かった」

「フーバの一件、やはりお兄様……、新皇帝も関わってたの?」

「故意か事故かは判然としないけど許したのは確かだ。彼にはフーバ市民三十万人以上の命を奪った責任がある」

 悲痛な面持ちを隠せなかった彼女にカイは言葉を継いでくる。

「目の前で兄一人を喪い、父親までも喪ったばかりの君だ。それに加担した僕からこんな事を頼むのは酷かもしれない。でも、今最善の選択肢がルルを立てる事なんだ。協力してもらえるかな?」

「ルルは……、忘れられない出来事があるの」


 それは彼女が五歳の頃だった。

 父母からは興味を持たれず、兄や姉にも冷たい視線しか受けた覚えがなかったルレイフィアだったが、ディムザは何度か気軽に声を掛けてくれた事があった。その為に彼女は兄の中でも彼を比較的近くに感じていたのである。それでもやはり数えるほどであり、一番身近なのは第二皇女付きのメイド達だった。

 或る、ルレイフィアが帝宮の渡り廊下を歩いていると視線を感じた。談笑していたメイド越しに背後を窺うと、柱の影から第三皇子がじっと見つめてきている。その瞳に込められていた感情が何なのかは分からない。ただ、ひどく陰鬱で険悪なイメージを受けたと記憶している。


「ディムザ兄様は怖い人。今でもあの瞳に何が映っていたのか分からないけど、恐怖だけは残ってて拭い去れなくて」

「それはたぶん嫉妬だね」

 少し考えたカイはそう返してきた。

「彼はとある実験の被験者だったらしい。その所為であの驚異的な身体能力を有しているのさ。でも、あれだけの力、幼少期には相当苦労したと思う。傍にいる者全てを無意識に痛めつけるほどに。だから、誰かが傍にいてくれる君が羨ましくて仕方なかったんだろうね」

「ルルが疎ましかったんじゃなくて、自分の身体を疎ましく思っていたんでしょうね。その裏返しよ」

 チャムも補足してくれる。それで少し気が晴れたように感じた。

「でも、どんなに冷遇されても周りに人を集めてしまうルルちゃんをディムザさんはやっぱり妬ましく思って……、あ! 何でもないですぅ! 聞き流して欲しいですぅ!」


 生い立ちからしてフィノは人の負の感情には敏感だ。つい零れてしまった言葉も、皆は正鵠を射ているように思えてならなかった。


「フィノは間違ってないにゃ。刃主ブレードマスターが人を量る基準には打算があるにゃよ。肉親だからと甘えられるような相手と思ったら火傷するにゃ」

 それは彼の行動が物語っている。

「珍しくまともな事を言うから反応し辛いじゃないか」

「ひどいにゃ! 経験豊かで可愛いファルマちゃんの言う事を信用するにゃ!」

 流れた沈黙にカイが突っ込むと灰色猫は怒り出した。

「あははは! 猫さんの言う通りだと思うよ。ルルはもう家族への情は捨てると決めたの。だって、今周りにいてくれる人達のほうが大事だから」


 少女は過酷な決断も耐えられると思っている。それより大事なものがいっぱいあるから。


   ◇      ◇      ◇


 数陽すうじつの準備を経て、ルレイフィアを頂く西部連合軍はインファネスを出立する。当面目指すのは商都クステンクルカの南。そこに獣人侯爵イグニス率いるベウフスト軍と獣人戦団が駐屯しているのだ。

 港町ドゥカルと元ベウフスト候領のモリスコートまで奪取した彼らは、即応体制の維持の為に戦力を分散配置していた。


 モリスコートにイグニスは戻っておらず、ジャンウェン辺境伯ウィクトレイの派遣した領務官が取り仕切って治めている。クーデターを起こした当時の領務官達は獣人への悪意を用いて統治を行っており、住民感情に配慮した体制となっていた。

 イグニスにしたところでそれほど未練は感じておらず、軍と行動をともにするほうが気楽であるようだ。彼を尊敬し頼りにして各地から集まった獣人の志願兵はかなりの数に上り、ベウフスト軍は六万にまで膨れ上がっている。司令官としての責任感が今の彼を支えていた。


「ご足労感謝します、魔闘拳士殿」

 真っ先に歩み寄り握手の手を差し出すイグニス。

「ご指示あらば北上しましたものを」

「駄目ですよ。貴公はあくまで西部連合盟主傘下の将なのだから」

「そうは申されても、これを見ていただきたい」

 彼が後ろを示せば、そこには見渡す限りの大軍団が注目している。


 彼らは、神よりの託宣の導き手である魔闘拳士が司令官と親しく接する様に触れて轟々と歓声を上げ、両腕を振り上げて叫んでいる者もいる。その光景に未来を感じているのだ。イグニスはカイにそれを知ってほしかった。

 彼の意図を察した青年は手を挙げて応じる。それだけで中には感謝の祈りとともに涙を流すものまで出てきていた。


「皆が期待を抱いております」

 虎獣人の言葉に彼は頷く。

「頼もしい事です。でも、今度の相手は少し難しい」

刃主ブレードマスターですか。確かに怖ろしい男です。我らの牙では届かないかもしれない。ですが、貴殿の拳ならば届きましょう」

「今回は一歩も引く気はありません」

 鋭さを増した目が彼の本気度を表している。


「カ~イ~!」

 駆け込んできた金髪の犬娘が青年の胸に飛び込んだ。

「やっときた~。待ってたよ~。ん~、カイの匂い~」

「お待たせしたかな、ロイン? いい子にしてたかい?」

「してた~。……ん!?」

 肩口から背後を覗いた彼女の紫眼の瞳孔が一瞬にして広がる。

「子猫~!」

「なっ! どうしてフィノを追いかけるんですかー!」

 四つん這いで疾走するロインに追い回されるフィノ。


「済まない、カイ殿。お嬢は今、訓練帰りで野生に還っている」

 ロインの副官、翼将補のジャセギが詫びる。獣のように走っている金髪犬娘は獣人戦団の指揮官の一人で、西部連合軍の翼将なのである。

「訓練帰り?」

「そうなんすよ、旦那」

 やってきたのはオルモウ。ハモロの副官で同じく翼将補である。

「戦隊単位で、中隔山脈に交代で訓練に行っているんでさぁ。ロイン戦隊とゼルガ戦隊は呼び戻されて訓練帰りなんす」

「は? 中隔山脈で訓練? 何してんだ、お前ら?」

「何してるって、魔獣狩りに決まってまさぁ」


 戦隊単位で中隔山脈に分け入り、駆除指定魔獣を狩って訓練代わりにしているらしい。オルモウが言うに、普通に危険な大型魔獣まで狩ってしまうそうだ。

 それもそのはず、今やハモロ、ゼルガ戦隊はそれぞれ二万、ロイン戦隊でも一万五千の大所帯である。いくら大型魔獣でも堪ったものではない。


セネル鳥せねるちょうの餌も馬鹿にならんから始めたのだが、殊の外効果的だったので続けている」

 ジャセギが説明してくれる。それは当然戦闘訓練にも指揮訓練にもなるだろう。

「なるほど。それでゼルガは薄汚れているのね?」

 よたよたと歩いてきた彼を見てチャムは吹き出す。


 疲労困憊のゼルガに視線が集中し、皆が失笑した。

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