ディムザの目算

(伝文網さえ知られているのか。送れるだけなのか? それともこちらの遣り取りを監視出来るほどか?)

 ディムザの頭の中で計算が始まる。

 相手はあの抜け目ない魔闘拳士だ。後者であると思っておいたほうが無難だと感じる。

(だが伝文網に疑惑を向ければ立ち行かなくなるぞ。どこまで把握されているのか仕掛けをするべきか? いや、今はそれどころじゃない。これはカイを完全に怒らせたと思った方がいいな)

 彼が怖れていた事態になってしまったという事だ。


「どう思う?」

 神至会ジギア・ラナンの女魔法士を下がらせてからマンバスに問い掛ける。

「取り返しのつかない状況とまでは断言出来ません。まずは接触を試みる価値は有るかと思われます」

「だが、カイは今どこにいるんだ? それも掴みようがない」

「西部連合とラムレキアに使者を送られては如何ですか? 最低でもこちらの意思は伝わると思いますが」


 戦力としてはこの二つに限られると思っているのだろう。副官もコウトギは除外している。ディムザも東と南には気を回す必要が無いと思っていた。


「ラムレキアは難しいぞ。あの馬鹿どもがフーバを焼いた」

 その言葉にマンバスも目を剥く。

「何ですと!?」

「その報告を聞いていた。しかも、それさえもカイに知られたらしい」

「……陛下、申し上げ難いですが、これはもうのっぴきならない状況かと?」

 副官は顔面にまで嫌な汗を浮かべている。

「無理か。やっぱりやるしかないのか」

「抗争は避けられないように思います。ただ……」

「言え」

 言い淀むマンバスを促す。

「戦力を並べて相対した状態でしたら席を作れるのではないかと思います」


 戦闘開始の前に、互いの主張を確かめるべく交渉の席を設けられる可能性を示唆する。そこで和解に持ち込む、或いは何らかの譲歩をして戦闘を回避する方向に持っていけるのではないかとの提案だ。

 ただし、軍として対峙している以上、そこでの交渉が決裂すれば戦闘は回避不可能に陥ってしまう。一度戦端が開かれれば何らかの決着を見ない限りは再びの交渉には臨めないと考えるしかない。

 副官は本当に最後の一線になると説明した。


「その線でいこう。それまでに論調も打ち合わせておこう。ただ、その一点に賭けるのは厳しいな」

 薄氷を踏むような会談だけに帝国の命運を賭ける訳にはいかない。

「無論、物別れに終わった時の事は考慮せねばならないでしょう。何かお考えですか?」

「もしもの時はと考えていた策はある。奴は指揮能力も高い。軍を持たせた状態でこちらも軍で対抗していても討ち取るのは無理だ」

「陛下は魔闘拳士を討たねば戦いに決着は付けられないとお思いなのですね?」

 マンバスは想定より思い切った開陳をする主君に驚いたようだ。

「率いる軍を破っただけでは態勢を整えられるだけだろう。与する者は多い。ゼプルの名を出されればなおさらにだ。要となる奴を討つのが最短の決着への道なのは分かるだろう?」

「しかし、それが最も難行なのではないかと? あの武威、陛下以外に相手取れる者がいるとは思えません。御身は既に至高の座に居られます。軽々に最前線に置く訳には参りません」

「そんな立場じゃないのは了解している。だが、餌には持って来いだ」

 ディムザはにやりと笑ってみせる。


 こちらが魔闘拳士征討を最終目標とするように、カイは新皇帝ディムザを討ち果たすのを最終目標に据えるだろう。実力が拮抗していると理解しているだけに、彼が突出してくる可能性は高いと説明する。ディムザと違ってカイは旗頭足り得ないのだ。


 戦争だと考えれば西部連合ならルレイフィア、ラムレキアならザイード、ゼプルが主となるならチャムが旗頭になる。その誰かに敗北を認めさせるのが最終目標である。しかし、どの勢力でも要となるカイを討ち取ってしまえば、旗頭は落としどころを模索せざるを得ない局面に変わる。


「つまり、陛下の御身に引き寄せるのが基本戦略だとおっしゃりたいのですね?」

 理解に及んだ副官に頷いて応える。

「奴一人を孤立させるのはまずい。だが、軍の中心に置いておくのもよろしくない。あの四人を大戦力で取り囲む状況を作りたい。可能なら青髪も除きたいところだが、そこまで高望みも出来ないだろう」

「確かに可能だと思えます。仲間を背にしていれば、あれは自由には動けますまい」

「その上で出血を強いる。どれほどの強兵でも一気に討ち果たすのは無理だろうが、仲間をかばうカイに傷を付け血を流させるくらいは出来るだろう。かなり高度な回復魔法を使うが、失った血までは取り戻せないと見た。いずれ力尽きるはずだ」

 かなりの犠牲は覚悟しなくてはならないまでも、戦略的には有効なはず。マンバスも「なるほど」と頷いている。

「この方向性で攻めていきたい。ただ、どう考えても二正面になる」


 カイがどちらに付くかは分からないが、西部連合もラムレキアも攻め上がってくると思っておいたほうが良い。なのに、全体を指揮すべきディムザが彼の居るほうに動かざるを得ない。他方面への対応に遅滞が出るのは否めない。


「私がそちらに回りましょうか?」

 当然の提案だろう。

「いや、お前は居てくれないと困る。かなり繊細な用兵をしなきゃならん。俺の目も全てにまでは回らないからフォローしてくれないと厳しいぞ」

「仰せのままに」

 彼は寄せられる信頼に満足げに微笑む。

「なに、帝都に籠らせるさ。ラドゥリウスは簡単には落ちん」

「確かに。守備に十万も置けばまず落ちません。中の者は多少は苦労するかもしれませんが、飢えさせる事もないでしょう。そこまで長引かせるおつもりもないのでしょう?」

「無論だ」


 まだ帝国には四十万近い将兵がいる。新皇帝が大出征を決断しても、十万くらいは裕に残しておける計算だ。数十万の軍勢が攻め上ってきても大街壁を誇る帝都防衛に支障が出るとは思えない。

 物資にしても相応の備蓄がある。これから軍の編成と並行して搬入させれば数ヶ月程度は何とか持ち堪えられると計算出来る。


「よし、この方向で詰めるぞ。いいな?」


 副官は「御意」と答えるとお茶の準備を指示した。


   ◇      ◇      ◇


(モノリコートを貪る神様というのもどうなのでしょう?)

 フィノはつい思ってしまう。


 ここしばらくはばたばたとしていて、青い甘味も貯えが寂しくなりがちだった。

 それを告げると獣人の神様は盛大に頬を膨らませて不満を表明したのである。要するに駄々をこねたのだ。

 やれモノリコートがないと働かないだの、やれ何で自分の為に準備しておかなかっただのと言いたい放題。仕方なく彼らは足を留めて、買い取ってあった高品質のモノリコの実を取り出して生産に勤しむ段取りとなってしまった。


「実体を持ったが故に欲望に駆られてしまうのですかぁ?」

 変わらず懐いている白い子猫を纏わりつかせている彼女に訊いてみる。

「食欲に捉われたりなんかしないにゃよ。好きなだけにゃ」

「心を豊かにする行動が糧になるのでしょうかぁ?」

 心という単語を使うのが正しいのかどうかも迷う。

「ファルマ達は意識が糧になるにゃ。信仰の対象としてそこに在ると意識される事こそが個を確固たるものにするにゃ」

「ファルマ様は糧が足りないのですぅ」

 自分達獣人の信心が足りないと彼女の存在は確固としないだろう。

「だから好きなものをいっぱい作って自己を確認するにゃよ」

「たぶん彼女はその為に実体を持とうと意思を持ったんだよ、フィノ」

「それで個を確立するのですねぇ。いっぱい食べると良いのですぅ!」

 責任を感じる犬耳娘は希望が持てて安堵した。


 他愛もない遣り取りが、戦いに臨む彼らの心を落ち着かせる。


 旅路の先に要塞都市インファネスの姿が見えてきた。

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