界渡りの武神

神秘の警告

 今、彼らは帝国北西門を通ってインファネスを目指している。


 帝国新皇帝ディムザを討つにせよ、ただ帝都ラドゥリウスに乗り込んで弑せば良い訳ではない。それでは政治空白が出来るとともに、妾腹の王族を担ぎ出そうとする者の暗躍を招いてしまう。帝国は大きな混乱に飲み込まれてしまうだろう。


 防ぐ為には、皇女ルレイフィアを旗頭として正規軍を敗北に追い込み、彼女を新皇帝として立てなくてはならない。

 前もって遠話で相談はしてあったが、本格的には対面して説得の必要があると考えている。そして、彼女を連れて帝都へと攻め上がる計画であった。



 パープル達の背に揺られ軽快に木立を縫っていると、酷く曖昧な感覚に襲われる。チャム達の様子を窺うと目を丸くして周囲を見回しているところをみれば、カイだけが味わっている感覚ではないらしい。

 合図をして皆の足を緩めさせてからセネル鳥せねるちょうの背から降りて注意深く進む。いくらも進まないうちに、急に目の前に人影が出現した。


 彼女は淡い色合いの様々な布地の服を重ね着し、手には身長を越えるような錫杖を持っている。

 肩より少しだけ長い青い髪をきっちりと切り揃え、端正な面に茶色い瞳。加減を忘れているのではないかと言わせたいほどの整った容姿に青い髪は、ゼプルが神の似姿で形態形成場を調整されているのだと思わせる。

 そう。その存在は明らかに神の一柱だとしか思えなかった。


「我はジギア。お前に会いに来た。『理の外側に佇む者』よ」


 普通なら、こんな美形が面会を求めてくれば浮かれようなものなのだが、当の黒髪の青年は露骨にうんざりとした様子を見せる。

 溜め息を吐いて背後を振り返るが誰もが(任せた)と言わんばかりの視線を送ってくる。こてんと首を折り、最後の期待を込めて黒瞳を向けた。


「キョキョッ!」

 見つめられたパープルは慌てて翼をばたつかせると青年の背後に隠れた。

「どういう意味か?」

「貴女の相手が面倒だという意味です、魔法神」

「このような扱いを受ける謂われは無いと思うが。お前とは初対面のはず」

 あまり表情は動かないが、声音に不満の色が混じる。

「では同胞はらからに確認を。どうせ距離も時間も大して意味ないのでしょう?」

「ふむ、確かにアトルはお前を毛嫌いしておるな。我はお前に思うところはない」

 少し首を傾げ、軽く片眉を上げた彼女は言い放ってくる。

「ただ、言っておかねばならん。あまり人の世に関わるな。お前はそんな存在ではない。お前が関わると大きく乱れてしまう。我らはそれを望まん」

「思うところだらけではないですか?」

「ん、そうか?」

 少し頬が引きつる。

「あー、神にも自覚のない天然なボケを連発する方がいるのかな?」

「お願いだから私に訊かないで」


 チャムはひらひらと手を振る。かなり雑な扱いを受けて、ちょっと傷付いた。

 しかし、他に訊く相手もいないので恨めしげに見てみるが、そっぽを向いてしまう。しゅんとすると肩のリドが小さな前肢で頬をぽんぽんと慰めてくれた。


「お前が動くと国の興亡にまで及んでしまう。見過ごせんのだ」

 ジギアはどこ吹く風のお構いなしに話を続けてくる。

「見過ごしてくださいよ。魔王絡みはさんざん見過ごしてきたのに、どうして僕は見過ごしてくれないんです?」

「あれは我らでもどうにかなる。だが、お前は直接警告せんとどうにもならん」

「おかしいなぁ。協調の方向性を示されたような気がするのに」


 ルミエラは世界の維持に協調を示唆し、託宣では不干渉が告げられた。それなのにジギアが現れた意味を考えれば、一つしか思い浮かばない。


「信仰の徒の保護ですか?」

 カイは目を細めて窺う。

「行状がどうあろうと守りたいと?」

「守りたいのは人よ。誰を信じようが、我らは等しく子を愛している。愚かなりしも人の子である」

 どう在ろうが受け止めるのが神の御心だと説いているようだ。

「なるほど。それも在りようですね。でも、僕も愚かな人の子なので、我儘で在りたいのですよ?」

「お前は人の領分を越えていると知れ」

「心の在りようは認めてもらえませんか?」

 一考の余地もなく首を振られてしまう。

「彼は危険ではないとしたはずよ。干渉は止しなさい」


 静謐だった木立の向こうから、また別の声が聞こえてくる。彼らは警戒を強めたが、ジギアは反応を示さない。彼女も知る存在のようだ。


「しかし目に余る。これはそなたの担当の筈だぞ、獣神」

 影から姿を現しつつある存在に呼び掛ける。

「ファルマ」

「げ!」

「何だって!」

 明らかになった姿は確かに灰色猫の獣人のものだった。

「ルミエラの苦労を無にする気? せっかく歩み寄って折り合いを付けてくれたって言うのに。私だって彼があまり派手に動かないようフォローしていたって分かっているでしょう?」

「しかし、これはまた東方に大乱を起こそうと目論んでおる」

「それは貴女が子供達をちゃんと躾けられなかった所為じゃない」

 ジギアは少しだけ唇を歪ませる。

「あれらは我の声を聞かんのだ」

「人の親みたいな愚痴を言わない。そんなところだけ真似してどうするの? もっと毅然となさい」

「う、むう……」

 灰色猫にやり込められる魔法神。


「巫女の血族への蛮行も、再三再四の警告を無視した時点で私は罰を考慮すべきだとしたわ。なのに非干渉の原則を持ち出して抵抗したのは貴女。その付けを払う時が来たのよ」

 腰に手を当てたファルマは諦めろと言うように顎を反らす。

「拡大を最小限に防ぐ手立てはするわ。今こそ非干渉を貫いてほしいものね」

「仕方あるまい。それが出来るのは受肉したそなただけだ」

「ええ、貴女だって私に反映されているのよ」

 ジギアは納得したように頷く。

「よしなに頼む」

「善処するわ」

 美しき神は茶色の瞳を閉じると、空気に溶けるように消えてしまった。


「という訳にゃ!」

 もう一柱の美しき猫神が振り返って両手の平を上に向ける。

「戻すのかよ!」

「にゃんの事だか分からないにゃよ?」

「おお……、なんつー胆力」

 トゥリオは色んな意味でおののいた。その傍らで黒髪の青年は大笑する。

「これは見事に騙された。全く気付かなかったよ」

「当たり前にゃあ。可愛いファルマちゃんは演技も巧いにゃ」


 多彩な魔法に精神干渉系まで操り、他に類を見ない幻惑魔法も得意とする。しかも出没自在で、要所で顔を見せてくる。当然と言われれば当然だと納得出来るのに、まさか実体を持つ神がいるとは考慮もしていなかったのが事実である。


「今更、言を改めても仕方ないよね?」

 口をぱくぱくして言葉が出ない麗人の代わりに継ぐ。

「好きにするにゃ。崇めても良いにゃよ」

「遠慮しとくよ」

「にゃー、徳が足りないにゃー」

 それは神格が身に付けるものではないだろう。

「それで、ファルマも僕を止めたいのかな?」

「だったらどうするにゃ?」

「手間が増える。来る端から神々を討滅しなきゃいけなくなる。そうすれば遠からず僕は高次空間に食われる」

 覚悟が不可欠だ。


「しないにゃよ」

 灰色猫、もとい獣神は彼の胸をぽんぽんと叩きながら言う。

「カイが好きなのは本当にゃ」

「へぇ」

「何よりこの子達に優しいにゃ」

 歩み寄ってフィノの栗色の髪を撫でる。そこには慈愛の表情がある。

「ちゃんと神様もするんだね?」

「当然にゃー!」

 両腕を振り上げて憤慨する辺りが神っぽくはない。


「じゃ、行くにゃよ」

 西を指差す。

「一緒に来る?」

「ジギアに言った以上、目を離せないにゃー」


 カイは肩を竦めて微笑むが、チャムは情けない顔をしたままだった。

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