焔熱の星
その狭い部屋の中には魔法士ともう一人の男の二人しかいない。
床に敷かれた布には複雑極まる魔法陣が描かれている。その一端に手を当てた魔法士は息を詰め、魔力を注ぎ込む事に集中する。魔力の注入が終了し、発現の予兆を確認した魔法士は目眩を感じたように頭を揺らすと突っ伏す。
観るものが見れば只者でない身のこなしをする、何の変哲もない格好をした男は、その身体を担ぎ上げると表に停めてあった馬車に乗せ、すぐさま馬に鞭をくれる。人々の注目を浴びながら大通りを疾走した馬車は街門をくぐっても速度を緩めず、走り去っていった。
部屋を飲み込み、建物を飲み込み、そして隣の建物を、更に巨大化して都市そのものを飲み込んでしまった。
建物は焼かれ、道行く家畜も焼かれ、人も焼かれた。地上に生まれた巨大な星は、何もかもを焼き尽くし、都市一つを焦土と化してしまった。
魔法発現後は誰一人として逃れられず、運良く旅立っていた旅商人によって目撃され報じられた。
◇ ◇ ◇
現地付近のエルフィンからの報せが、数
「え、フーバが焼かれた? どういうこと?」
あまりの急な出来事に理解が追い付かない。
「戦火でなく、文字通り魔法の焔によって焼かれたそうです」
「ちょっと、それ……。私まで上げたんだからそれなりの確度のある情報なんだろうけど、大事じゃない!」
フーバは、元はナギレヘン連邦の一部、ファリ・クフォルド領邦の首都だった。
ロードナック帝国寄りのナギレヘン盟主領邦は厭戦的なファリ・クフォルド領邦に対し、差し出させた令嬢ネレイナを人質にしてラムレキア侵攻を促す。ラムレキアとの交戦状態の最中、魔闘拳士の介入によって王女ネレイナは救出され講和に至る。
その折り、次期領主だったアイフェルはラムレキアへの恭順を示し、保護を求める。勇者王ザイードはそれを受け入れアイフェルをクフォルド男爵に叙し、領邦をファリ・クフォルド自治領とする。
つまり、フーバは現在、ラムレキアの自治領の首都なのである。
そこへ都市ごと焼き尽くすような魔法攻撃が加えられたのだ。それだけの魔法技術を有するのは帝国以外には考えにくい。
休戦状態の中、何の布告もなく一方的に攻撃したのである。これは由々しき事態だ。カイ達は旅支度を急ぐと、行き先をラルカスタン門から北コウトギ門に変更して至急調査に向かう。
現場は完全に混乱状態だった。
多くは近隣から駆け付けた衛士隊で、救助活動を行っているがその中身は遺体の掘り出しのようなものだ。近くに住む親類縁者も駆け付けたようだったが、身元を判別出来る遺体のほうが稀で、皆が呆然としている。身内が住んでいた辺りを掘り起こしたくとも、都市全域が焦土でどこがどこだったのか判然としない。
そんな状態のフーバを、四人は外縁に添うように歩を進めて眺めているだけだった。救助隊以外に生命の反応は無いと青年が明言したからだ。
すると、急にパープルから飛び降りたカイが駆け出すと、二人の男を取り押さえた。
「何者です?」
開けた場所に引き出して誰何する。
「いきなり何を! 我らは隣町から来たんだ。親類がフーバに住んでいたから」
「じゃあ、何で焼け崩れた建物の残骸や遺体の一部を切り取って回収していたんですか?」
「……せめて遺品にと」
言い訳になっていない。
「半ば炭と化したご遺体を遺品にですか? そもそもどうやって判別出来るというんです。白状し……」
一人の男が突如として小剣を抜いて斬り掛かる。彼は手首を打って剣を飛ばすと、顔面を掴んで引き込む。脇に頭部を抱え込んだら、一瞬の躊躇いもなく首を折った。
その小剣の作りには共通性がある。
「な、なな、何を!」
もう一人には麗人が詰め寄る。
「あんた、魔法士ね?」
「…………」
「隠しても無駄。何よ、見せびらかすように魔力を垂れ流して」
男は背中に手を伸ばす。そこにロッドを忍ばせてあるのだろう。
「止めておきなさい。この距離では私の剣のほうが遥かに速いわ」
「くっ! もう良い! 都市のこの状況が十分に証明になる。実験は成功だ」
「実験?」
青髪の美貌はその単語を聞き逃さない。
「見よ! これが我らの真の力である! 都市一つなど魔法の一撃で焼き尽くせるのだ!
「手前ぇ、
「馬鹿な事とは何だ! 偉大なる魔法が完成したのだぞ! 讃えられてしかるべきではないか!?」
平手で張られた魔法士は大人しくなる。
「黙りなさい。こんな仕儀、誰も許さないわよ? そんなに自滅したいの?」
「許されるに決まっている。なぜなら戦闘行動の一環だからだ。ラムレキアは帝国と交戦中なのだぞ?」
休戦は交戦中であると見做される。一方的な破棄は褒められたものではないとは言え、交戦中は交戦中と言えなくもない。
「まるで通常の戦闘行為みたいに言いますね?」
詰め寄ったカイが問い掛ける。
「あなた方の暴走でしょうに」
「何を言う。許可されているからに決まっているだろう。新皇帝陛下にな」
そう言うと、魔法士は書状を取り出して彼らに見せる。その魔法実験申請書には確かに新皇帝ディムザのサインが書き込まれていた。
「ば、馬鹿な! こんな偽物を!」
トゥリオは動揺を示す。
「偽物などではない。正式な許可を得ているのだ」
「ラムレキアでディムザの密書を見せてもらったわ。これは彼のサインよ」
「なんてこった!」
大男は頭を抱える。
「正当な戦闘行為だと分かったか? ならば捕虜としても正当な扱いを要求す……」
「よく分かりました。これはお預かりします。ご苦労様でした」
胸には
「貴様ぁ、こんな事を……」
「消えろ」
青年の闘気に当てられた魔法士はそのまま事切れた。
駆け付けてきた衛士隊に身分を明かし、二人の死体と魔法実験の書面、そして王宮宛ての報告を書いて渡す。ザイードとアヴィオニスの元へ届くだろう。
「あの……、ネレイナ様は?」
焦土と化した周囲を見回しながら言う。
屈託のないネレイナはフィノともかなり親しく接していた。
彼女がいたであろう領主館の辺りも今は黒焦げの平地となっている。痛ましげな表情でチャムは首を振る。
「あああ、そんなぁ! あのお優しかったネレイナ様が! 勇敢なアイフェル様も! 何の罪もないフーバの人達も! どうしてこんな事が出来るんですかぁー! ひど過ぎですぅー!」
子供のように泣きじゃくる彼女を慰める言葉もない。零れ落ちる大粒の涙も、今はそっとしておくしか出来ない。彼らとて憤りに奥歯を噛み締めているのだから。
黒髪の青年の身体に闘気が満ちる。そして、一言だけ放った。
「ディムザを討つ」
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