魔闘拳士の宣告
(ヤベえ! 怒りで枷が外れやがった!)
ギョッとしたトゥリオは、慌てて後ろのフィノの腕を掴むと避難する。
カイの両拳の甲には鋭角突起を持つ三つのCが輝線で描かれ、頬には縁取りするような単純な輝線の紋様。胸にも
(マズいなんてもんじゃねえ! 第三段階まで外れちまってんじゃねえか!)
背中を支える獣人魔法士は物理的な圧力さえ感じているかのよう後ろに圧されているし、まともに見ていられないのか目を細めている。魔力に敏感な者には暴風のように感じられているのだろう。
「おおおっ! これぞっ! これぞ神
アメリーナは青年に向けて手を伸ばしているが、周囲の者がその身を掴んで下がらせようとしている。
「き、危険でございます! 猊下!」
「神なる力ぁ! 吾のものだぁ!」
「馬鹿か、手前ぇ! これが人間にどうにかなるような
取り憑かれたような首座は抵抗を止めない。大男には死にたがっているのかとまで思える。
リアムに縋るチャムの背に柔らかく触れ、肩を持って身を起させると覗き込んで頷く。そのまま立たせると、フィノのほうに背中を押した。
彼女が抱き留めたのを確認すると、横たわるリアムの身体の下にゆっくりと両手を差し入れると抱き上げた。
「聞け」
奥に青白い炎を宿した黒瞳が、その脅威に怯える者達を睥睨する。
「今はこの方を弔わなくてはならないから退く。だが、許した訳ではない」
床を踏み鳴らすと大きくひび割れが走り、雷光が散る。
「必ずお前達
響く声さえもが肌を震わせ、ちりちりと刺激していると感じられる。
宣告を終えると背中を向ける。その背中に攻撃するような無謀な者はいない。
存在の格の違いが誰一人として動けなくさせていた。
◇ ◇ ◇
ディンクス・ローから離れた場所まで移動し、そこでリアムの身体に
「洗って差し上げてくれる?」
お風呂リングを使って準備をしてから彼女を身体をクララナとフィノに託した。
「君も後で使うといい」
嗚咽の止まらないチャムにも告げて、リアムを運ぶ算段をする。
幸い、アコーガが赤燐宮に置いておいた車輛を一両、反転リングにして持ってきていた。本来は彼女を生きて運ぶ為の準備だったのが違う意味で役立ってしまう。
「チャムが落ち着いたら赤燐宮に戻りましょう」
志願する意思を見せて寄ってきたブルーの首筋を撫でて感謝を表し、アコーガに告げる。
「はい、今はお掛けする言葉さえも思いつきません。リアム様を探し当てられなかった罪への叱責は、戻ってからお受けします」
「彼女はそんな事しませんよ。でも、大きな傷を負ってしまった」
心に、だ。強く影響が残ってしまうかもしれない。
「変わってしまわれるでしょうか?」
「分かりません。でも、全て受け止めてあげないといけないと思っています」
「どうかお願いします。陛下をお支え出来るのは貴方だけです」
◇ ◇ ◇
(あの場で全員を処分しておくべきだっただろうか?)
フィノも手伝って、リアムの血に塗れたチャムは風呂で身を清めたようだが、胸の内の感情までは簡単に洗い流せるものではない。
食事にも手が伸びず、クララナが給仕をして半ば無理矢理スープだけを少し飲ませたが、あんな状態で栄養になるかどうかは不確かなところだ。
(でも、リアム様のお身体をあんな連中の血で汚したくなかった。人に対するには大き過ぎる力だ。不用意には振るえない)
怒りに任せて殲滅しようとすれば、部屋を真っ赤に染め上げてしまうだろう。想い人の叔母の亡骸も、想い人本人の心も血で貶めてはいけない気がした。
(何が『神
その力は想い人の心を浄化する能力もない。虚しさが胸に満ちる。
夜営地を離れて草むらに転がっているカイは夜空に手を伸ばす。
感情を宿さない星の瞬きは彼の心に落ち着きを取り戻してくれる。成せる事などちっぽけだと思い出させてくれる。
それでも、心の奥底に灯ってしまった炎は決して消せない。彼はその激情に実体を与える方法を知っている。彼の
「ねえ、教えて」
近付いてきているのには気付いていたが、自分から声を掛けるのは憚られた。彼女にも整理の時間が必要だと思う。
目元に憔悴の痕が見られるが、その程度で彼女の美貌に陰りがみられる事はない。逆に星明かりを映す瞳が美しさを増しているように思う。
「僕に分かる事なら」
身を起こしてそう答えると、チャムは隣に腰掛け上体を預けるようにしてきた。背中に手を回して肩を抱いて支える。
「あれは私の知っている歌声だったの。叔母様は最期の瞬間、正気に返っていたの?」
「違うよ」
それは慰めの偽りではない。そんなものは今の彼女は見破ってしまう。無情かとも思えるが本心をしっかりと伝える。
「あれは記憶の残滓。君の顔や声が呼び起こしたのかもしれないけど、リアム様のお心はもうどこにも無かった。何度でも言う。もう亡くなられていたのさ。君はお身体を楽にして差し上げただけ」
言葉を重ねるしか伝える術はない。
「……ありがとう」
また零れた涙を指で掬う。そこに感じられる体温が、彼の激情の炎の燃料になる。
「もう剣は握れなさそうかな?」
チャムは佩剣していない。ドレスを着る時でさえ少し悩む彼女が、だ。戦えなくなるには十分な心的外傷だと思う。
「分からないの。今は手を触れるのも嫌だけど、それ無しに遂げられない感情が渦巻いてるわ」
「無理しなくていいよ。君が戦わなくとも、僕が全てを片付けてしまう。見ているだけで構わないさ」
「寄り掛かっているだけの情けない女にはなりたくない。私、きっとまた手を伸ばしてしまう」
持ち上げられた女性らしさのある細い指には、しかして剣だこがあった。
青髪の美貌も星空を眺めているうちに多少は平静を取り戻しつつあるらしい。手の平をひらひらとさせては苦笑している。
「お願いがあるの」
緑眼を瞼の下に隠して、チャムは一つ覚悟を決めたかのようだった。
「何かな?」
「私にあなたと同じ
「どうして?」
重大事だ。気軽には応じられない。
「私、死ねない。あいつらがこの世界から消えてなくなるのをこの目で確かめるまで死んでも死に切れない。何があろうと生きていたいの」
「……長く生きる苦しみは君のほうがよく知っている筈だよ?」
「どれだけ苦しんでも構わない。この思いだけは絶対に捨てられない。叶えられないなら生きている意味がない」
剣士を志した時から戦いの果ての死は覚悟の上だっただろう。潔さを善しともしていただろう。それを振り切り、捨ててまでの思いだ。
長き道のりを旅してまで求めていた激情。
チャムが初めて手に入れたのが復讐心だったのは皮肉としか思えなかった。
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