歌声
彼らに気負けした警戒中の魔法士二人は腰を抜かし、逃げるように室内に転げ込む。開いたままの大きめの扉から中に入ると、カイが察知した通り大勢の人々が待ち受けていた。
奥まった場所には高級そうな装飾の施された椅子が設えてあり、そこには煌びやかな縁取りの為されたローブを羽織る老婆が座っている。
「来たのぅ? 良し良し。こちらに来るがよい」
高位の魔法士らしき老婆がカイへ手招きを送ってくる。
「どなたです?」
「吾はアメリーナ・ユークトス。
「へぇ。これは思った以上の歓迎ぶりですね?」
青年は存外の思いを抱く。
「違う土産を期待してここまで出向いたが、思うたような物は手に入らなんだ。しかして、土産が自分からやって来てくれたのじゃから歓迎せずにはおれまい?」
「なら、話は早いと期待しても?」
「そこな娘からは断片的な情報や、よく解らん単語しか拾えなかったぞえ。この上はそなたから直接聞くしかあるまい? 早う吾に神に至る秘密を差し出すが良いぞ」
しわがれた手が横を示す。
「これが返して欲しいかえ?」
椅子の横には、これまでに見たローブ姿でなく、ドレスで着飾らされたリアムの姿。変わらず空虚な瞳をしているが、やはり美しさは際立っている。
「ええ、そのお身体を返していただきに上がりました」
カイは堂々と宣言した。
「それはそなたの振る舞い次第ぞ?」
「マルチガントレット」
彼を拘束しようと歩を進めた魔法士の一人の太腿を
「抵抗するな! この者が我らの手の内に在るのが見えないとでも言うのか?」
「予め言っておきます。先ほど申し上げた通り、僕達が求めているのはリアム様のお身体です。人質に出来るなどと考えないでください」
「貴様、生死を問わずに奪還すると言うのか?」
警告した魔法士の男は驚きに目を瞠る。
「その貴人を殺したのはあなた方でしょう? 今更何を言っているんです?」
「ほほう?
「彼女の魂を奪った人の台詞とは思えませんね?」
徐々に上がってくる闘気に危険を感じ、気配も見せずに武器を抜き放つ
「こうして動いていても死んでいると申すか?」
首座と名乗った老婆はまだ言い募ってくる。
「どこまで尊厳を踏みにじる気ですか。ならばリアム様にお答えもらえるのですか? 自分は生きていると」
「……出来ぬの」
「そうでしょうね。複雑な文言など仕込んでないのですから。操って言わせる事も出来ない。それは死者への冒涜ですよ!」
青年は語気を強めた。
「はぁ」
アメリーナは溜息を一つ吐く。
「つまらんのぅ。『神
「論争にもなりませんよ。貴女は人を人とも思っていない」
「まあ、良かろ。死者と呼べど、どうせ何も出来ぬのじゃろ? やらせよ」
背後の女魔法士が小さく口笛を吹くと、リアムは『倉庫』から剣を取り出し、斬り掛かってくる。それと同時に間諜達も動き始めた。青年が彼女に手をこまねいている間に、動けない程度に傷を負わせる算段なのだろう。
しかし、場所を交代するように青髪の美貌が飛び出してくると、腰の剣を抜いてリアムの覚束ない斬撃を受け止めた。
その間に下がったカイは紫の鉢金の黒装束に銀爪を振るう。いつになく鋭い手刀が彼らを斬り刻む。
小剣を抜いた間諜には大剣が凄まじい風切り音を立てて振り下ろされる。受けようとした男は、小剣ごと両断されてしまった。
少なかった戦闘要員をあっという間に排除する。元より戦闘になればリアムを前面に出すしかないと思っていたのだろう。
そのリアムは今、チャムと剣を交えていた。
◇ ◇ ◇
「リアム叔母様、掟により貴女を……」
言葉が続かない。何より、話し掛けても届きはしないという思いはある。それでも一応は言葉にして投げ掛けようと思っていた。それも敵わない。
(命じられた通りに動くだけの魂の抜け殻なのね)
口笛の合図を送っていた女魔法士を睨む。それほどの余裕があるくらいリアムの剣には技術も力もない。
(食事や排泄さえ儘ならないだろうってカイが言っていたけどその通りみたい。このまま辱めを受けるくらいなら送ってあげないといけないわね)
憐れみも強まってくるが、彼女とて剣筋は鈍い。あまりに強い内心の迷いが表れている。
「叔母様、お覚悟を!」
迷いも一緒に断ち切るように長剣を振り下ろす。
刃が肉を食む感触がいつもより鮮明に伝わってくるように感じる。込み上げる何かに抗うように握りを強くし、一気に斬り下ろした。
軽い音が響く。力の抜けたリアムが剣を取り落としたのである。
ドレスの胸にじわりと血の染みが広がっていく。それは大きくなっていく一方で、チャムの心まで赤く塗り潰していく。
得も言われぬ思いが募り、手を伸ばして血の広がりを押さえてしまいたくなる。まるでそうすれば取り返しが利くと思っているように。
しかし、無情にも彼女はふわりと遠ざかる。仰向けに倒れていったのだ。
床を叩く音で終わったのが分かった。麗人は掟に従い、成すべき事を成したのである。なのに達成感など欠片もない。
虚しさと悲しさだけが込み上げてきて爆発した。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 叔母様、ごめんなさい!」
長剣を放り出して、倒れたリアムに取り縋った。
「そんなつもりではなかったの! 絶対に見つけ出して連れ帰って差し上げようと心に誓っていたの! そして、また叔母様と楽しくお話ししながらお茶を飲めると思っていたの! どうしてこんな事に!」
湧き上がる後悔は、涙となって止めどもなく叔母のドレスを濡らしていく。
「………… ♪」
「え?」
何か聞こえた気がして、溢れる思いをぐっと堪え耳を澄ませる。
「可愛や 可愛や 我が愛し児よ ♪」
微かな歌声がリアムの唇から零れだしている。
(子守歌? この歌声……。憶えてる!)
チャムが幼い頃、何度も何度も聞いていた歌声が聞こえてくる。心の奥に刻まれて絶対に忘れない大切な思い出が彼女の頭に甦ってきた。
(私が本当に小さい頃、子守唄を歌ってくれていたのはリアム叔母様なの? ううん、違う。お母様が歌ってくれていた。でも、叔母様も私の為に歌ってくれていたんだわ。私はそんな大切な人をこの手で!)
上手に呼吸が出来ない。縋る手に無意識に力がこもり、ドレスに皺を作ってしまう。
「ともに穏やかなる道を歩、ま……、ん…… ♪」
虚ろを映していた緑の瞳が瞼の下に隠れ、紡がれていた旋律が途切れた。リアム・ナトロエンの身体はその瞬間に活動を終えたのだ。
「いやっ! いやっ! 叔母様! 目を覚まして!」
笑顔の可愛らしい人だった。
研究熱心で使命にも真摯に向き合う人だった。
温厚で誰からも好かれる人だった。
彼女を案じて何度も便りをくれた人だった。
ゼプルにとってかけがえのない人だった。
「そんな! 叔母様、ごめんなさい! 私……、私は……!」
溢れる感情が口にしてはいけないと思う言葉を心の奥から押し出してしまう。
「私は血族を手に掛ける為に剣を学んでのではないのに! 許して!」
慟哭が部屋中に響き渡る。
そして、黒髪の青年の身体から爆発的な魔力が噴き上がった。
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