生存の条件
カイの宣告に誰もが口を閉ざし、沈痛な空気が流れる。下を向いていたチャムも意を決したように彼を見た。それは、どこかで彼女も感じていた状態だったからだ。
「理由を教えて」
涙が零れないよう耐えながら尋ねる。
「彼女の腕を掴んだ時、分析を掛けた。リアム様の体内から、何の薬物も検出できなかったんだ」
「おい、薬を使われてないのが何で問題なんだ?」
「僕の放った拳打に彼女は何の反応もしなかった。瞬きの一つさえ、ね。人間は正常なら反射的に防衛反応をする」
長い時間を掛けた訓練の末に、刹那の隙も作らないよう防衛反応を薄める事は出来る。だが、リアムはそんな訓練を受けている筈がない。そこまで深い戦闘訓練をしていたなら、あんな剣の振り方などしない。
青年はそう告げた。
「薬物を使って身体の制御を受けてない以上、普段の状態って事なんですよねぇ?」
口は重いが、補足は必要だと思ったフィノがトゥリオに説明する。
「じゃあよう、あの人は……」
「おそらく長期に渡って薬物を投与され続け、情報を引き出されて自我が破壊されている。身体は動いているけども、もう魂はない。あくまで主観だけど、僕はあの状態を生きているとは思っていない」
「何てひどい……」
獣人魔法士は瞳を潤ませている。
「リアム様は自発的に
「もう回復の余地はないのね?」
「薬とかの影響があるなら排除すれば希望が持てるかもしれないと思ったけど駄目だった。君が眠っている間にも話したんだけど、彼女は僕みたいに記憶情報を……、魂を固有形態形成場に転写していない。
彼の予想では、薬物の使用で脳に重大な障害を負っているだろうとのこと。時間が経ち過ぎていて、脳の復元さえ不可能だと考えているようだ。
「回復の見込みは無いのね……」
チャムは悲しみに顔を歪めた。
「手遅れなんだ」
「そんなにはっきり言っちまわなくても良いだろ!」
「良いの! 良いの……。未練を残しても仕方ないの。取り返しのつかない状態なら、そう思わないといけないの」
彼女は徐々に俯いていき、両手で顔を覆った。
だから
この事実を知られれば、ゼプルは間違いなく本気で掛かってくる。全面抗争を起こすのは出来るだけ遅らせたかったのだろう。
どうも拳士は気付いていたきらいがあるが。
「僕は」
掛ける言葉も見つからない沈黙をカイが破る。
「彼女の身体も魂の海に還して差し上げるべきだと思う。心と一緒にしてあげないと救われない」
「……!」
反射的にトゥリオが口を開くが、何の言葉も生まれてこなかった。彼も出来る事はそれくらいしか無いと分かってしまったのだろう。
「賛成してもらえるなら僕がやるから構わないよ。ここで待っていてくれてもいい。恨んでくれてもいい」
「恨むなんてそんな事できない! 待っているのも無理!」
涙の溜まった瞳で彼を睨んだ。過剰な気遣いが痛みを強くする。
「ごめん」
「謝らないで。それは私がやらなければならない事なの」
掟に背いて情報漏洩をした者は、他のゼプルによって処置される。それが自発的なものであろうとそうでなかろうと関係はない。彼らの機密保持はそれほど厳重だ。
ましてや今や女王である彼女が禁則に触れた者を放置してはいけない。どれだけ非情な掟でも、チャムが自ら実践しなければならないのだ。
「帝国北東門の転移魔法陣が暴かれて失われたのも、帝国の伝送装置もリアム叔母様の情報を基にしている。闘争を助長しかねない情報が漏洩しているの。これは掟による処置の対象になるわ」
彼女はそう思っていた。
「そこまでしなくてもぉ……」
「ゼプルの者は全てを覚悟の上で行動しているの。カイに責任を被せたりしない。義務なんだから」
「そうなんですかぁ」
悲壮な決意にフィノも口ごもる。
「分かった。手伝う。君は義務に集中して」
「本気かよ」
青年はチャムに直接手を下せと言っている。トゥリオは納得いかない様子だが、自身はその決意は済んでいるし、責務に忠実である事を支持してくれたのには感謝もしている。
(カイは汲んでくれたの。もし、この人に任せてしまえば、私はずっと後悔を引き摺ってしまうわ)
麗人はそう思って疑わなかった。
◇ ◇ ◇
エルフィンのクララナが彼らのところへ戻り、馬車列の一行がディンクス・ローの街に入ったと報告する。目的地は宿場町の教会だろうと目星を付け、アコーガが確認中だとの事だった。
(あの決断は彼女の魂を傷付けてしまう。でも、阻んではいけない。包み込んであげる事しか出来ない)
カイも一つの覚悟を決めていた。
「どうすんだ? 俺もいい加減、腹に据えかねてるんだぜ?」
瞑目して不要に激しないよう深呼吸するチャムの傍らで、大男が問い掛けてくる。
「乗り込むよ。もう僕のやり方や性分は分析されている。それしかないから、向こうもリアム様を盾に使うつもりで待ち構えているはずさ。小細工無しだ」
静かに滾る怒りに彼も気圧され、「お、おう!」と返してきた。
四人は非道に対する怒りを胸に立ち上がった。
◇ ◇ ◇
ディンクス・ローはただの宿場町だが帝国領のほぼ中心にあり、交通の要所に当たる為に栄えている。それ故に、街にあるジギリスタ教会堂は比較的大規模なものが置かれている。
現状、帝室勢力圏と西武連合勢力圏の狭間にあり、微妙な立地と言えよう。一応は帝室指揮下の衛兵が配置されているようだが、彼らもどういった姿勢で任務に臨んでいれば良いのか戸惑いの中にいるかに見えた。
四人がエルフィンもともなっているのを見て思うところも有るだろう。しかし、冒険者徽章を提示して堂々と通り抜けようとする彼らを制止するのは難しかった。
「馬車列が教会敷地内に入ったのは確認済みです。裏手に回ったようで、どこに置かれているかは不明ですが、皆が堂内に入ったものと見て間違いないでしょう」
アコーガがすぐに近付いてきて報告する。
「ご苦労様。ありがとう」
「いえ」
「反応は建物内に集中しているから、彼の言う通りみたいだよ。行こう」
一切の躊躇もなく足を進める。
「真っ正面からですかぁ?」
「大丈夫だって。表にゃ俺らを止められるような奴ぁいねえだろ」
神聖騎士の数名くらいは配置されているかもしれないが、聖堂内に立哨してはいないだろう。信徒を威圧するような意図の騎士ではない。
「何用でしょう?」
剣呑な空気を纏う彼らに、多少は位の高そうな司祭が声を掛けてくる。
「この場での悶着を望んではいません。案内しろとまで申しませんから通してください」
「ご遠慮願えませんでしょうか?」
聞いているかもしれないが、彼個人としては騒動を避けたいらしい。
「この青髪の意味くらいは分かるのでしょう? 私はゼプル。下がりなさい」
「申し訳ございませんでした」
諦めたのか、聖堂の端にある扉を示して引き下がる。
「ジギリスタにも普通の聖職者がいるじゃねえか?」
「彼らが特殊なだけさ。それ以外に被害を出すのは本意じゃないけども、相手次第だね」
赤毛の美丈夫も鼻息を一つ。どうせ悪い意味で大歓迎を受けるのは間違いがないと考えている。
(申し訳ないけど、僕だって加減できそうな状態じゃないんでね。勘弁してもらおう)
聖堂内の信徒達の注目を浴びながら、彼らは扉を開いた。
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