神使の血

美貌、行方知れず

 秘書官の差し出した書類を受け取ったのは、皇帝に即位したばかりのディムザ・ロードナックである。


 その秘書官も代々仕えてきた血筋の者ではない。副官マンバス・ダルバンの家系から、政務官を務めていた者を引き抜いている。

 例え帝宮の隅々までの事情に通じていようと、例え帝室の裏まで熟知し固く口を閉ざそうとも、これから彼がやるべき事を誰かに知られる訳にはいかないのだ。


「何だ、これは? 魔法実験の申請書だと? 地下を這いずる虫どもはまだくだらない魔法遊びに興じているのか」

 魔法の内容や実験の概要が書かれているが、斜め読みして放り出す。とても成功するとは思えない内容だったからだ。

「今のうちに好き勝手やっていろ。煩わしい愚かな宮廷貴族を粛清したら次は貴様らの番だ。それまでは命永らえさせておいてやる」

 ディムザは雑なサインを書き込むと処理済みの箱に投げ込んだ。


(まずはレンデベルの崇拝者だった急進派の連中を黙らせない事には西部との融和の席も持てやしない。父上殿はとことんまで染め上げてくれている。俺の色に変えなくては碌に動けもしない)

 新皇帝は苛立たしげに執務机を蹴る。


「どうかお鎮まりを」

 彼の秘書官はなかなかに優秀である。

「決裁をお済ませくださらねば、陛下は成すべき事にもお手を下せませんよ?」

「ああ、お前の言う通りさ。だからこうして頑張っている。手伝え」

「仰せの通りに」


 皇帝執務室にペンを走らせる音が静かに流れた。


   ◇      ◇      ◇


 旅宿の部屋の三人、カイとトゥリオ、フィノは焦りの色を深めている。もう一人、チャムの行方が分からなくなってしまったのだ。


 ここはラムレキアの西の国境を抜けて帝国西部領域に入ったところに在るポロクという宿場街。かなり大きめの街で人口も多く、並ぶ商店が豊富な物資を商っている。

 女の子の買い物があるというので女性陣二人を送り出したのだが、フィノが一人で帰ってきた後、一刻余り一時間半経っても帰ってこない。買い忘れに気付いた麗人がキルケを抱いた犬耳娘を先に帰したそうなのだが、どうも様子がおかしい。


 三人はすぐに商店街を探して回るもチャムを見つけられない。目立つ彼女だけあって、目撃証言は簡単に集まってもその先が杳として知れない。

 ただ、慌ててどこかに向かう様子だけが人々の印象に残っているようだった。


「油断してた。いったい何があったんだ?」

 さすがのカイも、今は帝国は動けないものだと思い、高を括っていたのである。

「だがよ、話の流れからすると、自分からどっかに行っちまったんだろう? フィノは悪くねえ」

「でもぉ……。ごめんなさいですぅ……」

「気にしなくていい。僕も悪い。もっと早く動くべきだった。今はチャムを見つけ出す事に注力しよう」

 冷静に見えるが表向きだけだ。

「全然手掛かりがないですぅ。知り合いもいませんですしぃ」

「こんな時に役に立ちそうな灰色猫も姿を見せねえと来てる」

「参ったな。普通に辿れそうな気がしない」

 青年も珍しく誰にでも分かりそうな動揺を見せている。

「駄目だ。今までに経験のない行動だから予想も出来ない。彼女を良く知る人物を頼ろう」

「お前が一番良く知ってんだろうが?」

「いや、僕以外にも本当にチャムを理解している人物がいる」

 カイは隠しから遠話器を取り出した。


「カイです。忙しいとは存じますが緊急事態です。お時間を割いてください」

【どうしたね? 構わないから話しなさい】

 遠話の相手は、現ゼプル女王国国王代理のラークリフト、チャムの父親である。

「チャムが居なくなりました。状況からして自発的に姿を消しています。何か心当たりはございませんか?」

【む、それはいかんな。しかし、今のあれが君に一言も無しにどこかへ行くとは思えないのだが? 済まないが私にも予想がつかない】

 残念な答えが返ってくる。

【……どうした? そうか、代わろう。……ドゥウィムです。カイ、あの娘居なくなってしまったの?】

「はい、申し訳ございません。大事な娘さんを預かっておきながら」

【もう十分大人よ。あなたに責任なんてないわ。それよりチャムが相談も無しに勝手をするとしたら一つしか思いつかないの】

 濃い霧の中から光明が差してきた。

「教えてください。何でも構いません」

【あの娘が自責の念を感じている事があるの。叔母のリアムの事よ】

「待ってください! その名前、聞いた事があります」


 隠れ里の情報局で、局長ウェズレンに会った時にチャムが口にした名だ。確か捜索の継続を依頼していたと記憶している。ゼプルの内情の事だと配慮して聞き流していたのだ。


「探すよう頼んでいたのだから、今リアム様は行方不明なのですね?」

【はい。忘れもしない六十七前、人族社会の視察に出た妹は戻ってきませんでした】

 リアムという人物は、ドゥウィムの妹らしい。

【彼女は非常に気に病んでいたのです。どうしてチャムが里から出てまで未来を求めねばならなかったのか? 本当に頭を悩ませるべきなのは自分達であって、チャムではいけなかったのではないかと】


 王族として使命だけでなく存続を考える。そんな当たり前の事が出来ていなくて、最も年若い王族に背負わせてしまったのが心苦しくて仕方なかったと口にしていたらしい。


【妹は、何か置きに視察行に出るようになりました。チャムが早く里に戻れるよう、手助けしたかったのだそうです】

 結論を前にして、ドゥウィムの声は微かに震えを帯びる。

【でも、数度目かの視察行から帰ってこなかった。もちろんエルフィンの護衛は付けていたのですが、彼らは街中までは付いて回れません】

「その隙を突かれたと思うべきでしょうね。リアム様の素性を知る者がいたと考えたほうがいい。ただ美しさに惹かれて拉致しただけなら簡単に見つかっているはずです」


 肉欲に駆られて無茶をするような輩は隙が多い。エルフィンの目から逃れられない。すぐさま発見されて救助されているはずだ。

 それが現在まで発見されずに、彼らほど優秀な密偵技術の持ち主が手掛かりさえ得られていないのだと思えば、計画的な犯行だと考えたほうがしっくりくる。リアムがゼプルだと知った上で身柄の確保に及んだ可能性が高い。


【夫やエルフィン達もそう考えたみたいで、情報局も総動員して必死になって探しましたし、今も集中的にとは言えませんが探し続けているわ】

 その声音からも悲痛な思いが伝わってくる。

【その事実を知って一番心を痛めたのが娘だったの。自分の願い、種族使命とは異なる望みを抱いたからこそ、妹はそれに巻き込まれてしまったと悔やんで、ずいぶん苦しんだみたい】

「彼女らしいですね。そして、どれだけ苦しんだとしてもチャムは自ら捜索には加われなかったんでしょう?」

【ええ、そうなの。何もかも求めれば何も得られないと言っていたわ】


 探索能力ではエルフィンに劣るチャムは、リアム捜索を彼らに託し自分はゼプル再興に注力する決意をしたのだろう。実った後も叔母を探し始めるには時間が経ち過ぎてどうすれば良いのかさえ分からなくなった。

 もし、そんな時に手掛かりに繋がりそうな何かを発見したとすれば、飛びついてしまうのは間違いない。


「彼女は僕が絶対に見つけ出します」

【お願い。あなただけが頼りなの】

 遠話を終え事情を説明したカイは、後悔に苛まれて小さく震えている。

「でも、チャムさん以外の青髪の人なんて……」

「いたら目立つぜ。見逃したりはしねえ。別の何かだ」

 落ち着かない二人がそわそわとしながらも沈黙を保つ中、青年は急に身を起こす。


「見つけた!」

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