玉座

 粛々と戦場処理が行われた次の、互いの陣営からの中間地点で終戦の儀が執り行われる。


 これほど大規模兵力が投入されての戦闘だったにも係わらず、戦死者の数は比較的少ないし、捕虜となった者も少ないと言える数字である。

 一方的に押されたかのように見えたラムレキア軍も、事前に軍師アヴィオニスから言い含められていた騎長や騎令たちの機転でそうと悟らせないような後退を演じており、負傷者は少なくはないが戦死者は最低限に抑えられていたのだ。

 それでも昨夜は多くの魂が煙となって夜の黄盆つきへと送られた。


 そういった経緯もあって終戦の儀の中心は皇帝レンデベルの遺体の引き渡しである。善戦虚しくも敗軍の将となってしまった三将は、悲嘆と恥辱がない交ぜになった面持ちで臨む。

 安置台の上のレンデベルには表立った傷は無く、眠っているかのように見える。それが余計に自分達の力足らずを自覚させているのかもしれない。歯を食い縛り、涙を堪えて近衛騎士に運ばせる。無論、箱を用意せねばならぬほどの大金との引き換えに、である。


「下がれ」

 その場の責を負う第三皇子は副官以外にそう命じた。

「ここからは戦争ではなく国同士の話である。貴公らの出る幕ではない」

「しかし、危険では……?」

 皇帝を失い、継承者まで失うとあっては帝国の将来は無いと危惧しているのだろう。

「彼の身柄はゼプル女王として私が保証します。懸念するような事は絶対に起こさせません」


 そう宣う麗人の背後には黒髪の青年の姿もある。武威で彼女を上回る者は少ないと彼らを安心させた。


「気を遣わせて悪かった」

 武門の者達が下がるのを待ってディムザの口調は少し柔らかいものとなる。

「構わないわ。恩を着せておけばあなただって色々とやり易いでしょ?」

「言ってくれる。が、その通りだ。国際情勢上も旗色が悪いと思わせたほうがこの後の処理が楽になる」

「やる事が山積しているものね」

 チャムが言っているのはこの場の事ではない。彼がラドゥリウスに戻った後の事だ。

「考えるだけで目が回りそうだ。なんで、ここでは多少はお目こぼし願えるかな?」

「それはあんたの出方次第。あたしもこの上まで荒立てたくはない」

 形式上、ザイードの横に控えている位置にいるアヴィオニスが発言した。


「では始めよう」

 帝国の次代は切り出す。

「とりあえずは休戦とさせてくれ。いきなり講和とまで行くと宮廷に巣食う馬鹿どもは俺に黙って動き出しかねない」

「それは分からなくもないわ。しっかりふんだくらせてもらったから、遺族や負傷兵に支払う補償には困らない。あたしのほうも煩い連中を黙らせるに足る戦果はある」


 金銭的な事もあるが停戦というのも大きい。戦時特需で儲かるのは民間とそれにぶら下がる役人だけの事で、国庫に関しては戦争が無い状態のほうがよほど儲かるのである。

 経済基盤に揺るぎはないが、平和が維持されるのであればそのほうが王宮首脳陣は安泰なのだ。


「約束は守る。いずれ講和の席は設けさせてもらうつもりだし、和平についても進めたいと思っている。だが、まずは帝宮の掃除から始めなきゃならん。こいつには相応に手間が掛かる。申し訳ないが時間が欲しい」

 ディムザは本音を語っていると分かる。

「良いわよ。あんたもあたしも今欲しいのは戦わないで済む時間。それがどれだけ貴重なのかは分かっているつもり」

「ありがたい。忙し過ぎて碌に知らないが、それの温かみは俺にも何となくは分かるんだ」


 犬耳の魔法士の後ろから彼を見ている王子と王女に視線を送る。アヴィオニスが欲しているのは、その温かみに触れるゆとりなのだろうと察してくれたようだ。


「あんな愚物とはいえ皇帝だった男だ。こんな大それた舞台を用意してやらねば、誰もが納得する形で除く事も出来なかった。協力に感謝する」

 ディムザは握手の手を差し出した。

「俺の代で再び拡大政策に舵を切るような余裕は無いと思う。ともに安定を目指して歩んでいきたい」

「俺にも異存はない。空気を斬っていれば聖剣は満足してくれるものと思っている」

 ザイードはその手を握り返した。


 これで東方に平和な時がやってきたかのように見えたが、それが一時的なものでしかないとは誰も知る由が無かった。


   ◇      ◇      ◇


 終戦の儀が終わった翌陽よくじつ、全軍の撤収準備が整ったラムレキア軍は帰途にあった。

 その中心に位置する指揮戦車の傍らにはザイードの駆る軍馬が寄り添い、鞍の前に座らせてもらっているニルベリアは先ほどからはしゃぎっ放しである。指揮戦車後部にはルイーグとティムルが乗っているのだが、王子のほうは塞ぎがちだった。

 決して王女に嫉妬しているのではなく、何か思い悩んでいる様子で仔竜も心配げに見守っている。


「どうしたのー?」

 ティムルの問い掛けにも言葉を詰まらせたような少年だったが、意を決して口を開く。

「ディムザ殿下にはあの道しかなかったのでしょうか?」

「それは主観の問題でしかないね。色々な事情はあるだろうし一部は僕も知っているけど、だからと言って同じ立場で同じ手法を採るとは限らない。常に別の道は有るものさ。選ぶだけ」

 隣でパープルの騎上にある彼に王子の瞳が問い掛けてきたので、カイはその疑問に誤魔化しなどせず誠実に答える。


 皇帝の遺体を見るディムザの目に、ルイーグは自分を重ねてしまったのだろう。万が一、ザイードちちおやが何を間違ったか侵略戦争に踏み切ってしまったとしたら、彼はどうすれば良いのかとの考えに捉われて沈んでいたのだ。


刃主ブレードマスターを反面教師とするかどうかは君の心ひとつ。でも、孤独に悩む必要は無いんじゃないかな? 頼れる人は周囲にいっぱい居ると思うよ?」

 顔を上げた王子は母親が微笑みかけてくれているのに気付く。ティムルも手を握ってくれる。青年もその仲間達も微笑ましげに彼を見ている。

「はい! 分かりました!」

「学んだものも多かったみたい。連れてきた甲斐があったわ」

「ありがとうございます、母上」

 もうその瞳に憂いは無い。

「もうだいじょうぶー? いっぱいあそべるー?」

「うん」

 元気に答える。


「通行証を作ってあげるから、飛んで遊びに来るのは止してくれない? 騒ぐ馬鹿どもを黙らせる為にこれ以上忙しくなってしまったら、あたし、倒れてしまうわ」


 非常に渋い顔でお願いするアヴィオニスに一同はどっと笑った。


   ◇      ◇      ◇


 国葬の場で皇帝の死を悼む言葉を紡ぎ、復讐ではなく戦争の無為さを訴えて締め括ったディムザには不安の声も聞こえてくる。それに帝国らしさが感じられなかった者達だろう。


(まずはあの馬鹿どもを締め出す事から始めねばならない)

 感傷を装い、人払いした王の間で一人の彼は思う。

(宮廷を牛耳るのが神至会ジギア・ラナンの影響を排する第一歩だ)


 そして、玉座に向かって一段一段歩を進め、その壮麗な肘当てに手を触れた。


(父上殿、あんたが血を分けて俺を皇子として生み出してくれた事には感謝してる。そうじゃなければ、この椅子はあまりに遠い)

 使い込まれて僅かに擦り減った跡が見える装飾に指を這わせる。

(だがな、息子を実験台として狂信者どものところへ送り込んで感謝されるとでも思ったのか? それはいくらなんでも愚かに過ぎるだろう? 自分でこの結果を招いたのさ。魂の海でせいぜい悔いるがいい)

 満を持したように腰掛ける。

(そこで見ていろ。俺の成すことを)


 ディムザ・ロードナックは満足げに笑った。

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