レンデベル咆哮

 結局、孤立した御座馬車には百に満たない近衛騎兵が従うのみで、丸裸のようなものだった。戦場の熱にうかされた状態だった皇帝は、逆に冷や汗をかいていることだろう。

 ここも戦場だ。情けなど不要。アヴィオニスは従う騎兵隊に近衛の排除を命じる。


 虎威皇帝ともあろうものが命乞いをするとは思えなかったが、王妃は降伏勧告を送るべきかどうか迷った。

 ところが、騎兵隊に負けないほどの速度で彼女の夫が駆け出してしまう。目を瞠るような大剣を背負っているとは、とても思えないような速度だ。彼は、この千載一遇の好機を見逃すつもりなど欠片も無いようだった。


 十代にも及ぶ因縁に決着をつけられるかもしれないのである。ザイードでさえ気が急いているのかもしれない。

 だからとて制止の必要性は感じなかった。青髪の剣士王は振り込み方が違う。感情に振り回されて剣筋が鈍ることなど考えられない。

 この場合の彼女の役目はザイードの勝利を信じて待つのみである。ところが、相手のほうはそうもいかないようだった。


「小娘め! ディムザの策に乗って余に勝ったつもりか!?」

 彼女に切っ先が向けられる。

刃主ブレードマスターの策? 掛かったのはあんただけよ。あたしは正面から戦術で帝国軍を討ち破ったの!」

「賢しらな事を。策を授けられていたのであろうが?」

「そう思うのは勝手だけどね、これまで常に寡兵でありながら一度も敗れた事が無いのはどう説明する気? 戦術で引っ繰り返してきたに決まっているじゃない」

 そこまで言ってやれば反論出来まいと思う。

「聖剣の力に頼っての事であろうが。貴様のような小娘に何が出来る」

「馬鹿ね。ザイが引き出せるナヴァルド・イズンの力なんて本来の三割程度よ。あたしの夫は自らの剣技で戦ってきたし、あたしも戦術で戦ってきた。それが認められないって事は、あんたのとこの将が劣っているという意味になるけど良いわけ?」

「ぐぬぅ! 口先ばかり達者な女が!」

 口論では明らかな勝利だ。睨まれたところで怖ろしくもない。

「さすが下賤な騎鳥にまで頼るだけの事はある」

「その闘鳥軍団に翻弄されたのは誰? 自らを貶めているわよ?」

「あんな偶然を勝ち誇るな!」


(偶然だと思う時点で愚鈍よね)

 アヴィオニスはこの程度の男に悩まされてきたかと思うと情けなくなってきた。


 闘鳥軍団の組織と運用に関して素案を出したのは彼女である。しかし、その運用に助言をしたのはカイだ。

 彼はその性質を十二分に理解し、最も有効な投入手順を挙げてきた。今回は第二段階までで勝負が決してしまったが、カイが示した手順は第四段階まである。その都度、相手の心理の裏をかくもので、段階を追っての心理効果も加味してあった。

 その上、セネル鳥せねるちょうの損耗も最低限に抑えられる電撃的な投入法で、彼らへの配慮も感じられる。それを聞いた王妃は空恐ろしくもなったものだ。


(もし彼がレンデベルの立場にいたら、闘鳥軍団だって初戦で撃破されていたかも?)

 仮定を考慮しても仕方ないが、想定の深度を高めても困る事はないのだと学んだ。


「そう思うなら、ここから引っ繰り返してみなさいよ。そうしたら見直して差し上げるわ」

 鼻で嗤って見せる。

「その言葉、後悔するなよ、小娘が。余が帝国の力の粋である!」

「豪語するのはザイに勝ってからになさい」

 物静かな勇者の末裔は、既に戦闘態勢に入っている。



 ラムレキア騎兵隊も、御座馬車の搭乗者は排除していたが、貴人には手出しはしていない。その辺りは戦場とはいえ礼節の範疇である。

 完全な包囲の中で、後は本人の判断に任せる訳だ。降伏し大人しく武装解除に従うか、暴れて縄まで掛けられるか、或いは最後まで抵抗して斬られるか。

 虎威皇帝は最後の道を選んだようで、態度としては悠々と展覧台から降りてくる。大剣を手にしたままで、降伏するつもりなど欠片もないと示している。


 二人は静かに戦闘を開始した。レンデベルの剣も銘のある逸品のようで、聖剣に対して抵抗を示す。本人も腕は衰えていないのか、勇猛な剣筋を見せていた。

 しかし、ナヴァルド・イズンを操る勇者王に抗するのは敵わず、剣の性能でも剣技に於いても明らかに押されている。ザイードは体力的な頂点を過ぎつつあるここ数でも更に洗練されてきた感がある。


 斜め下から振り上げられる聖剣の刃を振り子のように振った大剣で弾くが、そこに込められた剣圧までは防ぎ切れずに切っ先が泳ぐ。対する聖剣の切っ先は最短の弧を描いて襲ってきて、大剣を引き戻して受けるだけでもかなりの腕力を要しているようだった。

 次第に防戦一方になってきて、足元も覚束なくなってくる。それでもザイードは侮る事無く、淡々と身体に馴染ませた剣閃を刻んでくる。レンデベルの面には汗が吹き出し始め、徐々に追い込まれている様子を露骨に表していた。


 戦闘に一瞬の静寂が訪れる。

 勇者王はナヴァルド・イズンを大上段に構え、虎威皇帝は全身に力を漲らせて受ける構え。

 豪速の剣閃は大剣に接し、刃こぼれを起こしている刃に食い込む。そのまま剣身までを斬り裂き、そしてレンデベルの肩口から腰辺りまでを深く斜めに刻む。


「ぐおぁっ!」

 刹那の間を空けて血が飛沫しぶく。力が抜けて大剣を取り落とし、口の端からも逆流した血を吐く帝国の頂。

「か……、ぐ……、くふっ……」

「憐れなものだ。臣に見限られ、血族に裏切られ、終わりの時を迎えるか」

 思うところがあるのか、珍しく戦闘中に言葉を紡ぐザイード。

「せめて楽に逝かせてやろう。さらばだ」


 腰を落とした彼の聖剣の切っ先は、一直線に胸の中央に突き立つ。既に致命傷を負っていたレンデベルの命を速やかに絶つ一撃だった。


「あがぁああー!」

 目を血走らせて、広げた腕の鉤爪でまだザイードに襲い掛かろうとまでするが、力が入らないのか全身を震わせて動かない。

「赦さぬぅ、決して赦さぬぞおぉ……。貴様もぉ、小娘もぉ、ディムザもぉ、魔闘拳士もぉ……。魂の海から這いつくばってでも戻ってきて、その罪思い知らせてやるぅー! 覚えておれー!」


 戦場全体に響こうかという咆哮を上げて、今際のきわの皇帝は天を仰ぐ。

 震えが治まったかと思うとゆっくりと後ろに倒れていき、大地にどうと仰向けに倒れる。その命の灯は絶えていた。


(無理よ。魂の海の主は神々。その神々をさえ屠ると云われる男に牙を剥いた時点で終わっていたの、あんたは)


 物言わぬ身体に向けて、アヴィオニスはしみじみと思いを送る。


   ◇      ◇      ◇


 虎威皇帝レンデベルの最期は波紋のように戦場を伝わっていき、武器を取り落とす兵士が頻出する。中には膝から落ち、号泣する兵まで現れ始めた。彼らは一つの時代の終わりを目の前にして絶望に捉われているのだろうと思われる。


 第三皇子が命じたか、皇帝直轄軍の中央の信号馬車で停戦旗が打ち振られるが、それ以前から帝国兵は戦闘意欲を失い、ラムレキア兵も手控えして見守っていた。

 そして、応じるように勇者王ザイードが停戦信号を送らせ、この決戦は幕を閉じた。


「終わりましたか」

 当の『神ほふる者』が戻ってきて、レンデベルの遺骸に見入る。その黒瞳に感慨の色は見えない。

「ええ、ありがと。肩の荷が下りたわ」

「呑気な事言ってる場合じゃなくてよ? これからの処理が大変なんだし、油断してたら足元を掬ってくるような相手が帝国の頂点に立つ事になるんだから」

 青髪の美貌がからかうように言ってくるが、表情は緩んでおり、労いの気配が感じられる。

「まあね。でも、当面は国民を危険に曝さないで済むと思うと気が楽」


 気が抜けたか、喧嘩仲間につい本音を漏らしてしまうアヴィオニスであった。

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