策謀の序章
(レンデベルは既に魔闘拳士に相当鬱屈を溜めているな)
小さな光明の魔法具が照らす天幕で一人、高価な味わい深い蒸留酒を寝酒代わりにちびちびと舐めつつディムザは考えている。
(あとは奴の前にどうやって引きずり出すかだけ。流動的な戦況下でそれを読み取りながらやるのは骨だが、カイが合わせてくれるなら出来ない事はないはずだ)
算段は練るも、詰め切れない感じはしている。
(遠話器を一つ手に入れたいが、それだけはどこもガードが固くて敵わん。
打ち合わせたくとも手段が足らない。
ふと視界に違和感を感じ振り向く。すると天幕の隅でしゃがみ、にやにやと笑っている灰色の毛皮を持つ猫系獣人の姿が目に入った。
「……どこから入ってきた?」
驚きに身体が跳ね瞠目する彼は、武器を『倉庫』から展開する操作に意識を向けつつ、抑えた声音で問い掛ける。
「ファルマはどこでも入れるにゃ」
「獣人。カイの手か?」
「そんなものにゃ。伝言猫を信じるかにゃ?」
人族にも美しいと思える面立ちが微笑に染まる。
(伝言、か。なるほど。これほどの実力の間諜を飼っていたとは)
密かに周囲を警戒している筈の
「聞こう」
危害を加えてくる気配はない。そもそもそれが目的なら既に仕事を終えているだろう。
「じゃあ、ファルマちゃんの美声に聞き惚れるにゃ」
妙な前置きを入れてくる。
「『猟犬は逃げる獲物を追い掛ける』にゃ。忘れたらダメにゃよ」
「……それだけか?」
尋ねると、キョトンとした表情を見せてくる。すぐに面白そうに目を細めた。
「じゃあ、可愛くて優しいファルマちゃんが良い事を教えてあげるにゃ」
「何だ?」
すっと表情が消え、左右で違う瞳の色、右の水色はそのままに左の金色が輝きを増したように感じた。
「魔闘拳士に手出しするのは止せ。あれはお主如きの手に負える者ではない」
「な!」
一種独特の空気が流れ、それがディムザを圧倒する。
「それだけにゃー。帰るにゃよ。さらばにゃ」
「え?」
ファルマと名乗った女獣人の姿が見えているのに薄れていく。まるで意識から掻き消えていくかのように存在が認識出来なくなっていった。
(何だったのだ、今のは)
知らず震えていた身体に力を込めて止める。心地良かった酔いが完全に醒めていた。
(駄目だ。現実なのか夢なのかさえ分からん。だが、奴からの伝言は確実に頭に残っている)
逆にそれ以外の部分が現実感に乏しくて困惑する。
第三皇子は意識から振り払おうとするかのように首を振った。
今はそれどころではないのだ。目の前の事に集中しなければ仕損じてしまう。ここまで組み上げた段取りが無為になってしまうのは避けたい。
ディムザは伝言の意味を探るように思索に沈んだ。
◇ ◇ ◇
その
ロードナック帝国は、戦死したモスチレン軍の兵を残りの三軍に編入し、ザイエルン、ルポック、キラベットと並べて戦列を成し攻撃してくる。それに本陣である皇帝直轄軍がすぐ背後に控え、数で押し切ろうという構えに見える。
対するラムレキア王国には再編も調整もない。前回と同じく、左翼クスナード軍、右翼ブリムデン軍、中央にザイード軍を置いて受け切る構え。
ただ、その後方の軍師アヴィオニスの座する指揮戦車の左右にはそれぞれ一万の闘鳥軍団が出番を待っており、いつ動くか分からない。帝国軍将兵はそれが気が気ではない。
元々国境を背負うように布陣していたラムレキア軍は、押し込まれると国境を割ってしまう可能性がある。そうなれば民間人に被害が出る怖れも生じる為、用兵が苦しくなってしまう。
王妃は戦況を睨み、随時微妙な押し退きを加え、巧みに戦列を維持している。疲弊してきた騎士や兵士に交代を指示させ、下がった者は乾燥果物や焼き菓子を噛み砕いて水で飲み下し、活力や思考力を取り戻すと勇躍戦列に戻って戦いに加わる。それが戦闘に意識を振り向けた人の形をした獣達の姿である。
◇ ◇ ◇
金属と血の匂いに満ちた戦場に轟く雷鳴のような音。大地がめくれ上がり炎が噴き出すと、数百名が飲まれて悲鳴とともに黒く染まっていく。
決して目を逸らしたりはしない。普段は垂れている耳が少し立ち上がり、フィノは自分が生み出した結果に真摯に向き合い、大きな青い瞳に力がこもる。
彼女も一匹の獣と化しているのだ。牙を立て合う戦場に情けなど要らない。自分の牙を研ぎ澄ませて放つのみである。
大魔法の威力は大きく波及し、対する帝国左翼キラベット軍は一画が崩れて押し込まれる。実戦経験の多い兵は簡単に崩壊はしないが苦しくなるのは間違いない。戦局が傾く時は、こんな小さな綻びが原因になったりするからだ。
キラベット将軍もそれは良く弁えていて、東側に遊撃に出ている悩みの種の四名に戦力を差し向けようと指示しようとするが、本陣から発進した一団が彼らの迎撃に向かっているのに気付いて取り止める。
先陣を切って馬上で黒髪をなびかせる姿は希望の星、
◇ ◇ ◇
率いてきたのは装備を落として軽くし、機動性を重視させた近衛騎士団である。そのくらいの工夫をしなければ彼らに対抗し得ないと副官のマンバスが提案して、騎士団が受け入れたものだ。
「相手願おうか?」
カイ達は何の挙動も見せずに、静かに待っていた。
「早かったですね? 優勢なうちは来ないだろうと思っていましたよ」
「早急に君らを抑えない事には状況は悪くなる一方だからな。話は通してある。
「こんなに歓迎されるのでは、おもてなしを受けない訳には参りませんね」
黒髪の青年は軽く肩を竦めて騎首を巡らせる。
「おっと、勝手はさせんぞ?」
騎士団は軽装な上に短弓を装備している。素早くつがえると、チャムやトゥリオに向けて集中的に浴びせる。
「
矢は獣人魔法士によって打ち落とされるが、その隙に騎士が彼らに馬を寄せていく。マンバスは、カイに助勢する者がいなければディムザが確実に抑えるものだと考えて行動しているらしい。
(ならば期待に応えない訳にはいかないか)
彼は馬首を魔闘拳士に向けた。
下馬し、右手に
カイは意外そうに目を瞬かせ、薙刀と呼んでいたグレイブに似た武器をそのまま向けてきた。
「今回は一対一だ。
にやっと笑った拳士は片眉を跳ねさせる。
「では腕比べといきましょうか」
「刃物で俺に挑むとは良い度胸じゃないか?」
「そう思います? これ、片腕は空くんですよ?」
そう言ってカイは右手の薙刀を横に寝かして腰を落とす。左の拳は前に突き出されており、銀爪がディムザを睨み付ける。
本気で戦うつもりの彼は、この
踏み込みからの地面すれすれの斬撃をグレイブで受けると、かなりの押し込みを感じる。グレイブの剣身は巻き込むように跳ね上げられ、勢いのままに回転して左の裏拳が脇腹を掠めていく。
油断すれば、その一撃だけで動けなくさせられると思うとディムザはぞっとした。
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