猫と竜
朝の澄んだ空気に濃い血臭が混じる。
それに気付いた夜警兵が報告を上げて斥候隊が出されると、少し離れた場所で百にも及ぶ遺体が発見された。
「おい、これ」
食い荒らしていた数頭の魔獣を何とか追い払うと、死体の検分に入る。黒装束の下には鎖帷子の者達には、頭巾の額に色付きの鉢金をしているくらいしか特徴が無かった。
斥候の兵士も耳にした事ある噂の主。帝都の暗がりに潜む暗殺者の影。その名が頭に思い浮かんだ。
「まさか……、『夜』か……?」
その噂は帝宮や教会と切っても切れないもの。
「見てみろよ。このやられ方」
「穴を開けられてる。しかも、血があまり出ていない。焼けてるな」
「これって、あれだろ? 魔闘拳士」
昨夜、そこで何が行われたのか想像し、知らず震えが背筋を上ってくる。
「陛下か殿下が差し向けたって事か? それでこんな有様に?」
「だがよ、相当腕利きのはずだろ? 俺達、帝都生まれの人間さえ見た事もない暗殺者……」
「しっ! 滅多な事言うな! ただじゃ済まなくなるぞ?」
彼らの頭を色んな予想が去来し、顔を顰めて見交わす。
「こんな案件、どうにもならないな」
「さっさと上に報告上げて手を引こうぜ」
誰一人として異論はなかった。
◇ ◇ ◇
「間違いなく
藍色の鉢金の男にディムザは問い質す。
「はい、間違いございません。全滅です」
「全滅……。お前たちみたいな腕利きでもか」
声を抑えた口元から吐息が漏れる。
皇帝に付いている
ましてや
「内密に回収出来るか?」
広くは知られていない者達だ。噂話のネタにされて、彼の周囲も疑われるのは面白くない。
「それが、我らが発見した時には既に斥候隊が検分中でして、手出し適いませんでした」
「ちっ! という事は、もう情報が流れているな。止められない」
第三皇子の思惑を先回りした
「仕方ない。味方にまで手を出せば後々厄介だ。違う使い方をするとしよう」
「そのほうが得策かと」
長もディムザに同意した。
◇ ◇ ◇
御座天幕付近は一種異様な雰囲気に包まれている。その中を素知らぬ風で第三皇子は通り抜け、立哨する近衛に訪問を告げるよう命じる。
「陛下、仕掛けさせましたか?」
それで通じたのは間違いない。苛立たしげだった空気が余計に重くなる。
「耳が早いな」
「俺にもそれなりに飛ばせる手足がいるのはご存じでしょう?」
追及するつもりが無いと示すよう、笑みを絶やさない。
「ですから申し上げた筈ですよ、少人数での仕掛けは無駄だと。状況を作って制限を掛けなければ、あれは好き勝手に暴れるだけです。手が付けられません」
「しかし、百もの夜を平らげるか?」
「まあ、彼一人ではないかもしれません。青髪や仲間が加勢して屠られた可能性もありますが、失われた事に変わりはありません」
不機嫌を隠そうともしない主君に平気で寄っていくディムザ。
「少し自重なさるべきかと」
皇帝が何かを仕掛けそれが失敗したのよりは、
元より口の端に上っていた噂話に、夜と教会の関係を疑うものが多いのは彼らとて把握している。その存在が教会周辺でなく戦場で発見されたとなれば、この戦争が国勢の維持に寄与するのではなく、教会の利益に繋げる為だと邪推させるには十分な理由になる。
それは兵の士気を削ぐのに足る要因になり得るのだ。自分達が何を守るために戦っているのか迷いが生じれば、気運が弱まってしまうのは考えるまでもない。
「どうすればいい?」
説明を受けたレンデベルは鬱憤を一時保留にし、献策を第三皇子に求める。
「ではこうしましょう」
戦闘をいったん中止し、兵士を鼓舞する演説を実施するよう進言する。噂を確信に変える方向性であるのは否めないが、放置するよりは遥かに増しな選択だと訴える。
続く逆風に追い込まれ、徐々に第三皇子に依存する様子を見せ始めた皇帝に、彼は内心でほくそ笑んだ。
◇ ◇ ◇
「みゅっ! みゃっ!」
多少ぎこちない足取りで草むらを飛び越えて駆ける白い子猫を、ニルベリアとティムルが追い掛ける。元気の有り余る二人が転ばないか見守るようにルイーグが早足で続く。その肩に乗ったリドが応援の鳴き声を上げている。
「それで動かんのか?」
聖剣を傍らに置いてくつろぐ勇者王に、応じるのは黒髪の青年だ。
「どうやら動かないみたいですね。動けないというのが正解でしょうか? 思ったより効いたみたいです」
「じゃあ何だ? お前、夕べあの仔竜と一緒に襲ってきた
「それであの子今朝は眠そうだったのね?」
トゥリオやチャムも疑問が解消する。
彼らは昨夜の出来事を青年に聞いたばかり。
帝国軍が戦闘準備を整えない理由を不審に思った一同に、カイが説明したのである。暗殺者の襲撃を未然に防いだのだと。
「これってつまり、その襲撃が
襲撃者の目的までは判明していないと聞いたアヴィオニスは眉根を寄せる。
帝国軍の戦術なら動かないのはおかしい。夜掛けをして、昼間に休ませるなど意味がない。
ディムザの策としても妙だ。レンデベルを窮地に追い込む為なら本人がいないのは変な話になる。
「何かの伏線って可能性は捨てられないけど、それにも違和感あるのよね」
煮え切らない状況に王妃は首を捻る。
「
「重いよ、ファルマ」
突如としてカイの肩の上に出現した猫系獣人の女性に控えていた近衛騎士が気色ばむ。彼らを手で制して、「すみません、知り合いです」と告げる。
「それで、昨夜の連中は虎威皇帝の配下だって?」
「そうにゃ。ディムザの配下は
「何者?」
警戒を解く踏ん切りがつかずにアヴィオニスは怪訝な様子で問い掛ける。
「極めて優秀な
「あなた達の仲間?」
「いえ、なにぶん気紛れ猫でして、なかなか思い通りには動いてはくれません。ですが、こうして肝心な時には姿を見せてくれるのです」
ようやく納得したのか頷いて見せる。
「情報も正確だし信用は出来るんだけど、面倒くさい灰色猫なのよねぇ」
「失礼にゃ! こんなに可愛くて役に立つ
「なるほど、確かに面倒くさそうね」
薄目で見てくる王妃に、「本当に失礼にゃー!」とファルマは吠えた。
脇目も振らずに駆け寄ってきたキルケが跳ねて灰色猫のズボンに飛び付いた。奮闘の末に肩までよじ登ると、頬を足先で撫でて「みゃうみゃう」と主張する。
「小さいのに、このファルマちゃんに惚れるとは見る目が有るにゃ。将来が楽しみにゃー」
彼女は子猫を愛おしそうに撫でる。
「みゅ~」
「猫さん、きれーい!」
そうするうちに、ニルベリアまでもが腰に纏わりついて見つめながら言う。
ファルマは美猫である。見惚れたとしても変ではない。
ただ、王女に続いてやってきたティムルの反応は妙だった。じーっと彼女から金色の瞳を放さない。そして、ぽつりと口を開いた。
「おばちゃん、きらいー」
「ぶぷー!」
チャムは吹いてしまう。
「誰がおばちゃんにゃー! 許さないにゃよー!」
両腕を振り上げて怒りを露わにする斥候猫から、歓声を上げて子供達とリドは逃げ出す。
麗人はお腹を押さえて笑い転げていた。
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