竜の教示

「ああ、やはりこんな状態では不安でしたか」

「かかさまがだめっておこるから、ととさまがきてくれたのー」


 彼らが住んでいるのは、麓にエジア湖がある高山の山頂辺りである。

 黒髪の青年が近くにいると感じたティムルは遊びに行きたいとお願いしたのだが、母親は許してくれなかったらしい。ドラゴンの親子から見れば脆弱な人間達の争いとはいえ、その渦中に愛する息子を向かわせたくはなかったのだろう。母親としては当然のこと。

 そこで父親の出番である。さすがに金の王が様子を窺っていれば滅多な事は起こるまいと納得したようだ。ティムルが一度誘拐されかけたのも彼女の憂いになっているのかもしれない。


「我らを傷付けられる者などおらぬと言っても聞かぬのだ」

 ライゼルバナクトシールも腕組みして眉根を寄せる。彼も細君に頭の上がらない部分はあるらしい。

「まあ、其の方のような者もいるでは強くも言えぬでな」

「それが情というものでしょう。家族が想い合っての事ですので良いのではありませんか?」

「竜種でも感情は儘ならぬのだ。わらえ」

 この辺りは高位存在である自覚か。

「まさか。僕は貴方のようで在りたいと願っているのですよ。なのに身体にくへの執着が拭えない。愚かしいのがどちらかは明確ですよね?」

「案ずるな。其の方の生き様は我らに近い。緑もそう言っておったぞ」

「御期待に添えるよう頑張ります」

 彼の周りで追いかけっこをするティムルとニルベリアに気配りしながら答えた。


 勇者王ザイードは、強大な存在との対話の時間を得られて、いたく感動したようだ。その手に能力ちからが在っても、それをどう用いるかは心の在り方次第であると共感を得る。

 人の身では限界もあれど敵う限り地域の安寧に尽力すると約束すると、金の王からは彼の心意気を買うとまで言われて喜色を見せる。


「お前は神々の力の継承者だけに人の世に心を置くのだな。驕らず務めれば、その望みは叶うであろう」

 金眼の主の顔には鷹揚な笑みが浮かぶ。

「邁進すると誓おう。あなたにも」

「期待する。うむ、長居をしてしまったな。どうする、テュルムルライゼンテール?」

「もっとあそぶー!」

 ルイーグを引っ張り回している仔竜は元気に答える。

「では其の方に預けよう、理の外側に佇む者よ」

「はい。奥方に宜しくお伝えください。そのうちにご挨拶に伺わせていただきます」

「あれも喜ぼう。暇を持て余しておる」


 金竜の長は皆の挨拶に頷き返して去っていった。


「まさか金の王がこんな人の多いところまで出てくるとは思わなかったわ」

 チャムも胸を押さえて心を鎮めている。

「えー、ととさまがきらいー?」

「違うの。ちょっと緊張するだけ」

 ジュースを飲みながら休憩しているティムルが首を傾げるのに、苦笑いしながら彼女は答える。

「誰でもビビるってもんだぜ? お前の親父さんにはな」

「余波だけで魔力酔いしそうですぅ」

 フィノは頭をふらふらさせている。大人しかったのはその所為らしい。

「平気なのはそこの鈍感男くらいだ」

「怖がる必要なんて欠片もないさ。あの方は道理の分かる方だから。なにかやましい事でもない限りはね」

「てめぇ、妙な事口走るなよ。いくらドラゴンスレイヤーを夢見たって、あんなのに挑むほど俺は馬鹿じゃねえぞ?」

 想像するだけでも怖ろしいというようにトゥリオは胴震いする。その様子に皆が爆笑した。


(さて、覗き屋には気を付けておかないとね)


 カイの笑いには違う色も混じっていた。


   ◇      ◇      ◇


(神聖なる戦場いくさばに子供だと? 嘗められているな)

 虎威皇帝レンデベルは、心の奥からじわりと湧いてくる黒い感情に身を任せる。


 こくのもたらした情報は彼を怒らせるに十分な力を持っていた。

 念には念をと夜の会ダブマ・ラナンに敵陣を張らせていたが、森の民エルフィンの存在が距離を取らせる。監視するに留めるつもりだったが、この情報は彼に火を点けてしまった。


「さらえ。戦場の理も知らん者の愚挙を後悔させてやれ」

 皇帝は王子達の拉致を指示する。

森の民エルフィンもおりますれば、相応の人員の投入をお許しください」

「あまり派手にはするな。だが、魔闘拳士もいる。止むを得まい。とうも使って構わん」

「そうさせていただきます」


 黒い鉢金の頭巾の男は掠れた声で答えた。


   ◇      ◇      ◇


「で、ドラゴンの言ってた『理の外側に佇む者』って何? カイの事みたいだったけど?」

 晩餐を終えてくつろいでいたところでアヴィオニスが切り出してきた。

「嫌な部分だけ耳聡い女ね。聞き流しておけば良いものを」

「気にならない訳ないでしょ、こんな聞き慣れない言い回し。どういう意味よ?」

 当の本人はセネル鳥せねるちょうの世話に行っているし、大男や犬耳娘も視線を逸らす。

「秘密。これもそのうち教えてあげられるかもしれないし、あげられないかもしれない」

「あんた、教える気ないでしょ?」

「ない」

 チャムはきっぱりと応じる。


 魔王、ドラゴン、神々。格の違いが明らかな存在が彼をそう呼んできた。つまりはカイの性質そのものが世界の根源に関わっているのだと分かる。

 高位次元である魔法空間、人類の形態形成場、そして世界生命の大いなる意思。全てが関わる彼の存在を明かせば、人々がどんな反応を示すのかチャムにも計り知れない。

 機を見誤ればそれが争いの原因になりかねない。それを青年は望みはしないだろう。


「知れば迷いの原因になるわ。目の前に集中なさい。あんたにはまず守らなくてはならないものが有るでしょう?」

 王妃の膝で寝息を立てる少女を見る。彼女にはその向こうに多くの国民を見なければならない義務もある。

「そうね。こんな馬鹿馬鹿しい事、さっさと片付ける。あたしもあんたが見てるものを見ていられる時間を手に入れてみせる」

「思いっ切り無理なさい。あんたの子供達の傍にはティムルがいる。地上最強の生命体よ」

 麗人の膝で安らかな寝顔を見せる金髪の少年がそうとは見えないだろう。しかし、紛れもなく彼は人間の域を越えていっている。


 アヴィオニスが物静かな夫と頷き合っているのを見つめるチャムも、とある人物がその秘密に触れる事になるとは知る由もなかった。


   ◇      ◇      ◇


 闇の中で開かれた瞳は金色こんじきの光を宿している。


(へんなのがくるー。いやなかんじー。にんげんだからたべちゃいけないけど、たたいておどろかせるくらいはいいよねー)


 ティムルが感じている感覚を誰かに伝えるのは難しい。

 命であるのは間違いないし、人の子の形をしているのも分かる。なのに欠けているものが多くて違和感ばかりが強い。ちゃんと感じられるようになった害意や悪意の類さえ無いように思える。

 果たしてそれが本当に敵なのかは彼にも分からないが、集団で迫ってきているところに危険性を感じる。増えたばかりの友達を失いたくないティムルは身を起こした。


「あれ、起きちゃったのかい?」

 ルイーグ達を起こさないようにそっと馬車から降りると、外には黒髪の青年が身支度をしていた。

「カイ-。おかしなのがくるのー」

「うん、来てるね。僕が何とかするから眠っていると良いよ」

「なんかあぶないかんじするからいくー。ともだちはだいじにしないといけないのー」

 囁くほどの小声で主張する。

「そう。君にも守りたいものがあるんだね? じゃあ、僕には止められないな。一緒に行こうか?」

「ぼく、つよくなったよー。カイもまもってあげるー」

「嬉しいね。じゃあ、僕も負けないよう頑張ろう」


 二人は足音を忍ばせて夜陰の中へと駆け出していった。

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