領域の守護者

「やあ、ティムル。いらっしゃい」

 カイは腰に抱きつく少年の金色の髪を撫でる。

「ご無沙汰しております、ライゼルバナクトシール」


 彼が紳士にも挨拶をしたので知り合いだと分かる。

 ただ、いつも物腰の柔らかい青年とは言え、妙に畏まっている風なのが気になる。どこの国の王族相手でもへりくだったりしない拳士が、かなりの敬意を以って接しているようにアヴィオニスには見えるのだ。


 上質な布に思えるが、華美とは言えないゆったりとした服装の紳士。

 少年と同じ金色の髪は程よく整えられ、金色の瞳も柔和に緩んでいる。整った顔立ちや優美な仕草は生まれの良さを感じさせるが、とりわけ地方風土を感じさせる所作が無い。

 しかし、醸し出す気品と威厳は本物で、カイが礼儀正しく接するに値する身分の者だと感じられた。


 そして、少し驚いたようにしていたチャムさえもがきちんとした礼を取るに至っては、只者ではないと思い始める。

 王妃と接するにも元々遠慮が無かったが、女王となってからは無遠慮に磨きが掛かっている麗人。対等の友人付き合いが心地良くもあれど、ずけずけとした物言いが癇に障る時も無いとは言えない。

 そんな彼女が一歩引いて礼を示す相手とは何者なのだろうかと興味が湧いた。


「足元を騒がせて申し訳ございません。今しばらくは我慢いただけませんか?」

 せがまれて、ティムルという少年を背におぶった青年が頭を下げる。

「人の子の戯れなどさほど気にはならぬ。ほうが本気にならない限り、我が干渉するような事態にはなるまい」

「お手を煩わせないよう気を付けます」

「そうよな。しばし前の南の海はいささか騒がしかったがな」

 言われた途端にカイは渋い顔になった。

光子魚雷フォトントーピードですか。あれを貴方の領域で使用するような事はまずあり得ませんのでご安心を」

「うむ、本気のあれを食らえば我の存在も危うかろうな?」

「ご冗談を。僕が貴方がたの使命を軽んじる事など絶対にありませんので」

 笑顔で握手するところを見ると今の遣り取りは軽口だったのだろう。


 少し警戒していたザイードも、それを見て解いたようだ。逆にその御仁に興味が増してきたようで、窺うような仕草を見せている。


「紹介してもらえるか、魔闘拳士?」

 我慢が利かなかったようで話に割り込む。

「ええ、どなたか分からないと安心出来ないでしょうね。申し訳ない」

「いいのか、カイ? ライゼルバナクトシールってよぉ……」

 トゥリオが不安げに問い掛ける。彼の正体を知っていて、明かすのに問題を感じているらしい。

「構わないさ。説明しないと納得出来ないだろうし。この方は、そうですね……、金竜の長、金竜王というのが理解し易いでしょう。『空を統べる者』『金の王』ライゼルバナクトシールです」

「何と言った? この者がドラゴンだと?」

 向き直って紹介した内容には勇者王とて動揺が隠せない。

「その通りですよ。人化した姿では初めてお会いしましたが、本来の体長は20ルステン240m足らずくらいですか」

「ちょ、ルステンって生き物の大きさを表す単位じゃないでしょ! 何なの! 二万メック? 王宮より遥かに大きいじゃないのよ!」

「こらこら、興奮しないの。失礼でしょ」

 驚きが爆発してしまった王妃をチャムが諫めるが、そう簡単に収まるような興奮ではない。


 誰もがその存在を知っているドラゴン。それを間近に見た者などいはしない。もし、そう主張する者がいるとすればただの法螺吹きだ。人間は彼らの前で生きていられるほど強靭には出来ていない。

 それがアヴィオニスの認識であり、社会通念だと言ってもいい。その埒外な存在が目の前にいるのだとしたら、逃げるか慈悲を乞うかの二つが人間に残された選択肢だろう。


「ドラゴンなの?」

 力の抜けた王妃の腕を逃れて、ニルベリアが金色の紳士の服を引く。

「あのご本に出てくるドラゴン?」

「ふむ。そなたがどのような本を読んでいるかは知らぬが我はドラゴンであるな」

「おっきくないね?」

 失笑した金の王は王女を抱き上げる。

「今はな。大きいほうが好みか?」

「ううん、このままでいい。大きいと怖いもん」

「そなたは素直であるな。好ましい」


(普通に会話してる? リアが食べられちゃうかと思ったけど、そんな感じじゃないわよね?)

 アヴィオニスは背中を伝う汗の感触に身震いする。


「そなたはこの者と友人か?」

 ドラゴンは青年を指して問う。

「カイ? 仲良し!」

「うん、友達だね」

「我にはよほど怖ろしい事のように思えるが、そうではないのだろうな。視えておらんのでは仕方あるまい」

 訳の分からない王女は「どういうこと?」と聞き返しているが、金の紳士は「気にするな」と答えている。


「彼はテュルムルライゼンテール。金の王の実子。ティムルで構わないよ」

 意を決したように歩み寄ったルイーグにドラゴンの子が紹介されている。

「初めまして。僕は北の国の王子ルイーグ。よろしく」

「ルイーグ? あそんでくれるー?」

「え、僕と?」

 王子の瞳は戸惑いに揺れる。

「この子は、ホルツレインの王孫チェインや騎士家のスレイグとかと仲が良いんだ。良く遊びに行っているらしい。君とも友達になりたいみたいだよ」

「僕で良いのなら」

「あそぼー」


 六、七歳くらいに見える子供が仔竜だとは思えないのは仕方ない。王妃でさえどう対応していいのかが分からないのだから。

 それでも彼女の懸念を余所に子供達はもう手を取り合っている。ルイーグでさえ、ぎこちなくもあるが笑みを口元に上らせている。


「ちょっと、説明してよ!」

 金竜王と握手を交わすザイードを目の端に捉えつつ、アヴィオニスはチャムを引き寄せた。

「説明も何も、私だって金の王が何しに来たのかなんて分からないわよ」

「そりゃ、いくら神使のあんただってドラゴンの考えている事まで分かるとは思ってない。でも、どういう知り合いなのよ。って言うか、何でドラゴンなんかと知り合いなのよ?」

「ちょっと前に色々あっただけ。金の王を間近にするのは私も初めて。他の王とならお話させてもらった事があるけど」

 麗人も怪訝な様子を見せる。理由が思い付かないのだろう。

「彼なら分かるわけ?」

「それはあの人でも無理なんじゃない。今、会話の端々から読み取ろうとしてるけど、たぶん散歩くらいの気分だと思うわよ?」

「散歩って!」

 声を抑えて悲鳴を上げる。帝国領内とはいえ、気軽に散歩されては敵わない。

「彼らは基本的に人族社会には干渉しないの。あんたも、間違っても加勢してもらおうとかつまらない考えは捨てなさい!」

「気になるじゃない。わざわざ陣中までやってきた理由とか。ゼプルとは繋がりがあるわけ?」

「…………」


 青髪の美貌が露骨に言い淀む。どう説明すべきか悩んでいるという感じではなく、歯切れが悪いと感じられる。あからさまに突っ込まれたくない部分らしい。


「もうしばらく待ちなさい」

 彼女は真剣に王妃を留めようとする。

「彼らの使命や存在の理由、世界での役割とかは、大陸の情勢が安定した時にゼプルから発表する時がきっと来るわ。今、それに触れれば良からぬ事を考えて彼らに接触する者が現れて、怒りを買う可能性も少なくない」

「それはあんたの考え?」

「ええ、あの人も賛同してる。だからホルツレイン国王にさえこの事は全く伝えていないの。来るべき時までの秘密」

 アヴィオニスはごくりと唾を飲み込む。

「そこまで言われると余計に……」

「世界が終わるわよ?」


 迫力を増した麗人の瞳に王妃はおののいた。

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