因縁の対峙
アヴィオニスは大胆にも軍に国境を越えさせる。正直、戦力比では敵うべくもない。国内に踏み込ませれば、退きながらの戦闘は難しくなる。様々な状況を想定して、選択肢を狭めない為の方策だった。
虎威皇帝を刺激して正常な判断力を奪う計算もあるし、そのくらいであれば
中央に勇者王軍、左翼にクスナード軍、右翼にブリムデン軍を従えて待ち構える。蹴散らした国境警備隊が逃げ込んでいるだろうから、帝国軍はこちらが国内に侵入しているのは察しているはずだ。
帝国軍は中央に皇帝直轄軍を配したまま、テルナケスト平原を進んでくる。四方には帝国四将と呼ばれる頭大将の軍が位置する。
左前方に方陣を敷いたグエメン・ルポック伯爵率いるルポック軍。右前方はネレード・モスチレン伯爵のモスチレン軍。左後方にキシュビル・キラベット伯爵のキラベット軍。右後方にカシドナート・ザイエルン伯爵のザイエルン軍。
ラムレキア軍にとっても四将は因縁深い相手である。
時には剛腕軍に随行する形で対戦し、時には
この出征では皇帝の命を受けた軍帥の指揮下で動くと予想され、兵力差もあるのでそれほど極端な奇策は用いないだろうと考えられる。やり難さはないかもしれない。
彼我の距離が
正面戦力だけで二十万。実に壮大な光景であるが、ラムレキア兵にとっては脅威でしかない。それだけでも自軍総数より兵力で勝るのに、更に八万の皇帝軍が暫時投入されるのがひと目で分かるからだ。圧力を掛ける意味でもこの陣容を取ったのだろう。
青旗を掲げた使者が派遣されて降伏勧告が為される事もなかった。
それで帝国軍は遠慮容赦もなく仕掛けてくるのを伝えてくる。
◇ ◇ ◇
「この陣容の差を見よ! 臆する必要など欠片もない! 我ら精強なる帝国軍が、北の新参者などに後れを取るはずなど無いのだ! 東方の覇者は帝国である事を思い知らせてやれ!」
演説を続けているのはモスチレン将軍である。勇猛で名高い彼は、陣頭近くに立って自ら戦う事でも有名だが、こうして戦闘前に兵を鼓舞する演説をするのも知れ渡っている。
声も大きく自信家である事を示すかのように長々とした演説が続いている。出陣に当たっての主君からの訓辞は一般的であるが、敵前にしてこのような行動は比較的珍しいと言えよう。
(目立つな、だと? 第三皇子殿下も負けが込んできて弱気になっているのか? 皇帝陛下を御前にして、この戦力差でどうやって負けろというのだ? 競うのは勝ち負けでなく、それぞれがどれだけ功を上げるかだろうに)
軍帥ブニンガル侯爵が陣の配置を命じた後に、ディムザから注意点が幾つか与えられている。指揮官、特に軍の中心に在る司令官はあまり目立った行動を取らないように、とのお達しだった。
(怖気付いていらっしゃるのか? これからの帝国を担われる方がそうでは困るのだが、まあ我ら四将が盛り立てていけば自信を取り戻されよう。ラムレキアを平らげ、東方を平定し、増長した西方までも手を伸ばす我らがな)
モスチレン将軍は馬車に設えた台上でそんな風に考えながら自ら率いる大軍を前に演説を続けた。
◇ ◇ ◇
「あれは何かな? 誘っているのかな?」
甲高い音色を奏でる笛の音を背にカイは独り言ちる。
ラムレキアでは伝統的に出陣の合図として、遠く響く高音を奏でる笛が用いられている。風魔法を使用した魔法具から鳴り響く音色は、専属の兵士の演奏で複雑な音階の変化を見せ、全軍に戦いの気運を高めていく。
勇者の気構えとして正々堂々を謳う為とされているが、音楽をこよなく愛した勇者王が始めた風習なので後付けの理由かもしれない。ただ、ラムレキア兵の意識の切り替えには効果を発揮しているように思えた。
「良いんじゃない。これ、出陣の合図なんでしょ?」
独り言が耳に入ったチャムは青年の意図を察し、賛同する。ただし、その声音には笑いの成分が含まれていた。
「あまり空気を乱すのも考えものだと思うけど、これほどの隙を見せられるとね?」
「構わねえだろ。やっちまえ」
「フィノがやってもいいですけど、やっぱり
美丈夫も犬耳娘も苦笑交じりである。
「まあ、良いかぁ。マルチガントレット」
武骨な手甲を展開した主人の意図を見抜き、パープルも微動だにしない。差し向けられたマルチガントレットの
馬車の台上で背を向け、激しい身振り手振りを交えて何かを下知していたらしき男が、一つ頭を揺らすとそのままうつ伏せに倒れ、転げ落ちていった。
その後も動揺を見せてロッドを掲げ直す魔法士と見える者達が次々とその場に
動揺したのは敵だけではない。彼らが何を始めたのか分からずに見守っていた周囲の兵士も、敵の様子を唖然として見つめる。互いの距離は
呆然と見比べているうちに突撃ラッパが鳴り響く。皆が身を跳ねさせて、慌てて馬を走らせ始めた。
中陣に位置する勇者王軍の最前に位置していた四人は、騎馬兵とともに混乱の最中にある帝国軍左方中陣に襲い掛かる。
魔法の撃ち合いも矢の応酬もなく、一撃必殺の突撃でテルケナスト平原会戦は幕を開けた。
◇ ◇ ◇
苦々しく戦況を見つめるレンデベルの横でディムザは呆れるように額を手で押さえている。
「だから言ったのに」
早々にモスチレン将軍は討ち取られてしまった。
「帝国の誇る四本の剣も三本になってしまいました」
「何なのだ、あれは?」
「警告したでしょう? あれが魔闘拳士ですよ。油断も隙もない。いや、こちらが隙を見せ過ぎなのです」
指揮系統の要を破壊されたモスチレン軍は組織的な抵抗が不可能になっている。
実戦経験も豊富で、副官に就いていた頭将軍や翼将軍が命令を飛ばし、その下の千兵長や百兵長が兵を纏めて混乱を抑えようとしている為、完全に崩壊する事はない。しかし、兵士の動揺は容易に収まらず、突撃してきたラムレキア騎馬隊に一方的に押されている形だ。
しかもその一画では人体が宙を飛ぶ。白ずくめの冒険者装束の男が拳を振るうと、屈強な兵士と言えどもくるくると回転しながら遠く殴り飛ばされてしまう。
あれでは失神では済まされまい。力無い身体が宙を舞う姿は、まるで滑稽な絵図を見ているような印象だが、笑い事ではない。
(あまり減らしてくれるなよ。こんな序盤から俺も前に出るようでは段取りが難しくなってしまうじゃないか?)
顔には出せないが、忸怩たる思いを抱えるディムザ。
(引き摺り出したいと考えているのか? いや、待てよ? 引き摺り出そうとしているのは俺じゃないのか? カイ、まさか、お前……)
思索が一つの可能性に辿り着く。
(だとすれば俺は……)
第三皇子は方針に修正の必要性を見出していた。
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