虎威皇帝出陣
金銀に彩られ、各所に青や紫の装飾の施された大型の馬車は、誰が見ようと貴人が座していると知れた。
一分の隙もなく囲むのは、壮麗な鎧を纏った近衛騎士の集団。彼らは
一段格は落ちれど、同様の煌びやかさの馬車が数両続き、供回りだけでも相応の数に上ると感じさせた。
皇帝レンデベル・ロードナックの馬車に続くのは帝国軍最高責任者である軍帥ラッダーナ・ブニンガル侯爵の馬車。
周囲には、通常なら本陣に当たるほどの規模の騎士の列を擁する四つの軍。それぞれを軍帥に次ぐ次席の軍要職に該当する頭大将四名が率いている。個々が兵力五万とその位の者が率いるにはあまりに少ないが、皇帝陛下本人の長征への随行とあらば不平など出る訳もない。
しかし、それほどの錚々たる顔ぶれが揃えば勢力争いで険悪な空気にもなろうものだが、そんな事にはなっていない。玉体の手前遠慮しているのではなく、彼らは一人の若い男の顔色を窺いつつの行軍になっているからだ。
現在第一位帝位継承者である黒髪に青緑の瞳を持つ青年、第三皇子ディムザその人である。
下手に目を付けられれば、策略家の皇子に捨て駒にされるかもしれない。その一念が彼らを容易に動けなくさせていた。
帝都ラドゥリウスを発った軍勢は、暗黒点セルヘンベルテを迂回してナギレヘン連邦の国境沿いに近付きつつある。半ば属国化してしまった連邦が苦情を入れてくる心配も無く、そのままラムレキア国境を目指す算段だ。
ここからは西部連合の勢力圏も近く警戒の必要も出てくるが、西部は現状南に目を向けているようであり、警戒し過ぎるのも沽券に関わる。
むしろ、ラムレキアの王妃のほうが警戒してし過ぎるという事もない。主に北側に向けて相当数の斥候隊を繰り出していた。
「まったく、行く先々で……」
レンデベルは、傍らで馬上にある皇子が副官からの報告に耳を傾け、吐き捨てるように言った台詞が耳に付いた。
常に見透かしたような、人によっては鼻持ちならないと感じる風情の彼が、ここまで渋い表情を見せる事はあまりない。それが気になる。
「どうしたか、ディムザよ?」
声を掛けると後継者は馬を寄せてきた。
「ラムレキアに魔闘拳士が姿を見せたようです。どうもこの長征に干渉してくる模様だと報告を受けました。既に参戦の意思を示しているとの情報も有るそうです」
「好都合ではないか。卑しくも我が帝国に歯向かう北の下賤どもの国も、ホルジア達の仇も同時に討てるのだ。血が騒ぐぞ」
二代前の勇者を祖とする歴史の浅いラムレキアを、皇帝は高貴の血を継ぐ国とは認めていない。ゆえに下賤の国と呼ぶ。
「怖れる事など何もない。我が陣営には四将軍も控えておるのだぞ? たった一人で何が出来る」
ディムザの不安が理解出来ない。
「討つ訳にはいかないのでしょう? 必ず生け捕らねばならない。お忘れなきよう」
「なに、彼奴めは神
「ええ、陛下のおっしゃる通りでしょうね」
表情を消した皇子は追従の意思を見せる。
ディムザの懸念が気にはなるが、この北征は帝国の命運を握る戦いだ。負ける事など一切考えていないレンデベルだった。
◇ ◇ ◇
王子ルイーグの随行はあっさりと許可される。未だ六歳のニルベリアも同行が決定された。それは
幾重にも警戒線が張られている本陣の中央まで易々と侵入してくる
もし、二人を人質にディムザが、どんな犠牲を強いてでも虎威皇帝を弑せと要求してきたら?
謁見の間で兄妹の随行が決議された後、王妃は私室でカイ達を前に本心を打ち明けた。
「それだけは絶対にねえ」
トゥリオは断言する。
「子供に手を上げたらカイを本気で怒らせると知ってる。あいつはやらねえ」
「そう……、なの?」
「無いわね。こいつの言う通りよ。ディムザはこの人を怒らせたくない。その恐ろしさを身を以て知っているから」
チャムも躊躇いもなく同意する。
「でも、ディムザに
「カイを狙ってあの子達を?」
「そう。だから、判断としては悪くなかったと思う。本陣には置けないだろうから後方に付けるんでしょう? エルフィンを七名付けてあげる」
面には表せなかった痛切な思いをようやく吐き出せたアヴィオニスは麗人に抱き付いた。
「ありがとう。恩に着るわ。ありがとう……」
幾度も感謝を口にする彼女は間違いなく母親だった。
◇ ◇ ◇
ラムレキア軍は兵の士気を維持する為に、階級を細分化している。
小隊を纏める兵長には必ず兵長補が置かれ、それなりに責任を負わせるとともに俸給にも差を設ける。
その上には幾つかの小隊を纏めて率いる「騎士」の位。これは魔法士隊の場合「法士」となる。
騎士への指揮を任されるのは「騎長」、同じく「法士長」が座り、その下に副官として「騎長補」「法士長補」が付く。
更にその上には万単位の兵を御する「騎令」の位があり、大軍を指揮する「騎将」が数名存在する。
貢献度の高い高齢の将にも名誉職として与えられる騎将位だが、実際に戦場に出る騎将は二名に限られる。
フェルキン・クスナード子爵とモルドカッツェ・ブリムデン男爵である。両名とも軍の要職に就くには爵位が低いが、実力主義の王と王妃は彼らを重用している。
方面軍を任せる時にはそれぞれに王妃が基本的な作戦を授けて行動させるが、戦場には筋書きは無い。臨機応変に作戦を遂行する実力があるのがこの二人だったのだ。
その、ラムレキア軍の双璧と呼ばれる二人も今回は勇者王の両脇を固めての出陣である。
王妃が直接指揮して、ザイードを中心に戦線を組み上げる勇者王軍七万と、五万ずつのクスナード軍、ブリムデン軍が続き、総数十七万のラムレキア王国軍が総力を挙げての出陣となった。
「ほら! さっさと動く!」
「さっきから走り詰めなの! 少しくらい休ませなさいよ! この魔人の生まれ変わりの女はー!」
勇者王軍の本陣、指揮戦車の脇でゆったりと歩を進める
アヴィオニスを悪し様に罵る暴挙に及んでいるのは、侯爵令嬢のナミルニーデ・シュッテルペである。
帝国に通じていた奸賊クルファット・ギアデ元宰相の共謀者であった彼女は、その罰として放り込まれた参謀部にまだ所属している。
シュッテルペ侯爵は、あわや大罪を犯すところだった娘を引き取ってくれた王妃に感謝の言葉もなく、煮るなり焼くなり好きにしてくれるように申し上げた。
本来はナミルニーデ本人も感謝すべきなのだが、持ち前の反骨精神で未だに反抗を止めない。王妃も面白がってそのままにするものだから、改められる事もなかった。
「過労死するぅー!」
そう言いつつも馬首を巡らせ、深紫の髪をなびかせて走り去った。
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