再訪のガレンシー

 仲が良いからこそぐだぐだと続く言い合いは、ラムレキアの勇者王ザイードが間に入るまで終わらなかった。

 その間にカイ達はかりかりと何かを食べ始めている。


「ちょっとこら、そこ! 真面目にやんなさいよ!」

 気勢を削がれたアヴィオニスが八つ当たりを始める。

「そんな事を言われましても、僕達がやっと待望のメニューを手に入れた途端に衛士に引っ張られたのですよ? 腹ごしらえくらいさせてください」

「何よそれ?」

「何って麦肉ですよ。ご存知ないのですか?」

 王妃は地道に街中へも視察に出向いている。知らないはずはないと彼は思って訊いた。

「知ってるわよ、そのくらい! そんな露店料理を食べなくたって、もっと美味しいものを準備してあげるって言っているの!」

「えー、美味しいじゃないですか、麦肉。好物なんですけど?」

 カイは不満げに言い募る。


 麦肉は彼女の言う通り露店で扱う類の料理である。単純に肉を揚げただけではない。トンカツをイメージすると一番近いと言えよう。

 魔獣や家畜の肉を使うのだが、衣が大きく違う。高温でさっと揚げて膨らんだイェリナン麦、通称赤麦を使うのだ。

 軽く下味をした肉を溶き卵にくぐらせる。そこへ揚げた麦をまぶす。また溶き卵にくぐらせて揚げ麦をまぶすを繰り返し、分厚い衣を作り上げる。

 これを低温の油でこんがりと揚げるのだ。外の揚げ麦は小麦色のかりかりに染まり、中の肉は火が通って肉汁をあふれさせる。その肉汁は揚げ麦が吸い込んでしまう。

 出来上がった揚げ肉は、外はぱりぱりかりかりの食感で、中はしんなりと良い味に仕上がり、肉は蒸し焼きで柔らかく旨味の塊になっている。肉体労働者が好んで食す、片手で食べられる栄養価の高くてお手軽な料理なのである。


 しかも、露店ごとに独自の特色を出している。

 一般的なのは甘辛いタレやソースを塗り付けたものだが、中には調合した香辛料と塩だけだったり、乾燥ハーブを粉末にして塩と混ぜて振りかけてあるものなど千差万別だ。


「これ、初めての店でしたけど、とんでもない掘り出し物ですよ?」

 黒髪の青年が差し出すので、つい一口齧る王妃。

「たかが知れているわよ。あなたも結構な地位に着いたんだからもっと良い物食べなさい。……って、めちゃくちゃ美味しいじゃないの! 何よ、これ!」

「ええ、見かけは素朴だし、たぶん塩を振ってあるだけなのに、とんでもなく深い味わいでしょう?」

「いったい、どうやって? この味、魚のスープ?」

 記憶を懸命に探った彼女はその風味に辿り着く。カイも同じ結論に達していた。

「おそらくですが、魚の骨を煮出したスープに揚げ麦をしばらく浸してあるんです。出汁を吸い込んだ赤麦が揚げられて水分が飛ぶと、衣に旨味だけが残る寸法です。これ、衣だけでも食べられるほどの代物ですよ?」

「こんなのほとんど新しい料理みたいなもんじゃない。どこの店よ? 内緒にするから教えなさい」

「その気になったら取り上げてあげてください。本当に創意工夫って素晴らしいですよね? 予想外のものが突然現れる」

 目の色が変わったチャムに彼女の分を渡し、多めに買っていた分を勇者王夫妻に手渡しながら続ける。

「そんな人々が居るこの街や国が蹂躙されるのなんて面白くないですからお手伝いしますよ。今度は虎威皇帝本人との戦いになりますか」

「あなたもそう思う?」

 大きな葉の包みを広げてザイードに頬張らせつつ、アヴィオニスは尋ねてくる。味が多少移ったこの葉も食べられるものだ。

「これまでの流れからすると、そうとしか思えませんね。ただ、それだけだと詰めが甘い気がするので、もしかしたら刃主ブレードマスターも来るかもしれません」

「つまり、そういう事なのね?」

「踊らされるのが業腹ならば、敢えて彼を先に狙うのも有りですよ。貴女がどう意図して動くかは自由です」

 これには赤毛の美丈夫が慌てる。

「ちょっと待ってくれ! それは……」

「難しいわね。状況が許せば考えるけど、国軍にそんな余裕は無いと思うわ」


 もしディムザが出てくるならば、虎威皇帝が主力を率いる傍らでそれなりの戦力を備えているだろう。裏を突くような戦い方をしない限りは狙える位置だとは思えない。最悪、片手落ちとなって、不必要に攻め込まれてしまう。

 王妃とて、勝算有っての編成をする。その為の手札も準備している。それだけに無茶はし難いというのも本音なのだ。

 アヴィオニスはそう説明してトゥリオを納得させた。


「それはそうとお仲間が増えているのね?」

 空気を変えるのに王妃が切り出した。

「はい。彼はキルケと言います」

「とっても良い子なのですよぅ。こんなに可愛いのにぃ」

「みゅー」

 フィノの胸元に抱かれている白い子猫は、肉の欠片を咀嚼していたがようやく飲み込んだようだ。


 彼らが赤燐宮を出立する時、キルケは何かを察したのか犬耳娘の脚にしがみ付いて離れなくなった。危険な場所での活動が多いので悩んだのだが、フィノはどうしても突き放す事が出来ずに涙目になる。結局、カイのひと言で連れていく事が決定したのだ。

 ここまではイエローの鞍に取り付けられた、麦藁で編んだ籠の中が彼の居場所だった。


「ついでだから授乳もしておこうか?」

 時間的にも頃合いである。

「はい、ちょうど良い感じですぅ」

「何それ?」

 フィノが取り出したものにアヴィオニスは目を引かれる。

「何って哺乳瓶……、哺乳袋ほにゅうたいみたいなものです」


 問題は、キルケがまだ授乳期だった事だ。

 彼の母猫は他に五匹の子猫が居るので、キルケを手放すのに好意的だったものの、お乳を与えない訳にはいかない。幸い、黒縞牛ストライプカウの牛乳を少し薄めたものがちょうど合っているようで今はそれで哺乳を賄っている。


 この世界にも、母乳が出にくい母親も当然いて、幼児の居る近隣の母親に頼んで貰い乳などをして対処されるものだが、全てがそう上手くいく訳もない。なので哺乳袋ほにゅうたいと呼ばれる道具もある。

 耐水性のなめし皮で作った袋に飲み口の突起を付けてあり、それにヤギの乳などを入れて飲ませる道具である。昔から重宝されて、一般に普及している道具だ。


「へえ、ゴムっていう製品はこんな使い方も出来るものなのね?」

 ガラス瓶にシリコンゴムの吸い口を付けた普通の形の哺乳瓶なのだが、この世界の人には物珍しいだろう。

「希釈しないといけないので、瓶のほうが都合が良かったんです」

「なるほどね」

 保冷缶から牛乳を注ぎ、割合を加減して水も加え振る。フィノが魔法で温める間も、キルケは待ち遠しいとばかりに足をじたばたとさせていた。

「それ、あたしもやってみたい」

「構いませんよぅ。飲んでいる間は大人しいですからぁ」


 王妃が子猫を抱いて吸い口を咥えさせると、丸まったキルケは両前肢でしっかりと掴んで一生懸命に飲む。その様子を眺めていたアヴィオニスの目元は自然に和んでいった。


「リアがまだ小さかった頃の事を思い出すな」

 ザイードの口元も緩んでいる。

「あの頃は妙に忙しくて、従軍メイドに赤ん坊籠を持たせて戦場で授乳していた時期もあったものね?」

「それはお前が乳母に任せるのを嫌がったからだろう?」

「母親の意地なの!」


 勇者王夫婦は思い出話を語る。

 アヴィオニスは政務秘書に軍師にとどんなに忙しくとも、母親である事を絶対に辞めなかった。常に身近に置きたがり、危険だと分かっていても戦場まで連れていく。

 そのお陰か、王家にありながら母子の関係に希薄さが全くない。或る程度育った今こそ王宮メイドに任せる時間もあるが、基本的に寝起きもともにしている。


 その子供達が呼ばれて私室にやってきた。

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