蛮族の徒

 周囲から見えないよう、窪地の中に集結していた軍勢一万は号令とともに移動を始めた。坂を上り始めたところで異様な気配を感じる者が現れる。


「おい、何か聞こえないか?」

 例えに困る音を不審に感じた兵士は隣の同僚に尋ねる。

「聞こえんぞ。神経質になってんだろ?」

「いや、何だよこれ」


 兵士の耳には、土を掻くような音、荒い鼻息、羽音のようなものが聞こえる。しかも聞こえるべきものが聞こえない。窪地の上は西方特有の森林帯の一部が見えているのだが、そこから鳥の囀る声一つ聞こえないのだ。


「待て待て! おかしい! これは変だ!」

 周囲に注意を促すように大声で伝える。

「騒ぐなよ。いくらここが西方だからって、そんなにビビって、ん、じゃ……」


 見上げた窪地の縁から黄色い物が見え始める。円錐形のそれは鳥の嘴だ。大きい上に、しかも開いた時にはずらりと細かな牙が並んでいる。


「あ、あれは……!」

 大きな瞳がぎょろりと兵士を見つめる。そして、後ろには騎手の姿が現れる。

「敵襲 ── !」

「うおおー! 何でだー!」

 縁から顔を覗かせた無数の騎鳥の顔は彼らを睨み付けた。


 それは一ヶ所に留まらない。横並びに増え始める。

 半円を超えて、全周を埋め尽くさんかという勢いで並ぶ。続々と押し寄せる姿は一万どころの数ではない。しかも、その全てが色とりどりの原色に近い彩りを持っていた。


「ば、馬鹿な!」

「全て属性セネルだとぉー! 逃げろー!」

「逃げろってどこへだ!」


 僅かな希望を求めて、騎鳥兵の姿がない反対側に向かって殺到する。その背に向かって特性魔法が激しい雨のように降り注いだ。


魔法散乱レジスト!」

「持つものかー! さっさと逃げろー!」

「急げ―! もたもたすんなら退けー!」


 一部の魔法士は咄嗟に魔法散乱レジストを発現させるが、とてつもない量の魔法で瞬時に飽和させられて着弾する。様々な属性魔法になぶられるように宙を舞った彼らもすぐに倒れ伏した。


「よし、登りきった……?」

 這うように縁に手を掛けて身体を持ち上げると、そこには居並ぶ騎士の姿。

「総員、掛かれ」

「行けー! 一人も逃さず討ち取れー!」


 狼頭の騎士が落ち着いた声音で号令とともに剣を振り下ろすと、並んでいた騎士達が一斉に斬り掛かってくる。しかも、最前に並んでいたのは百名に及ぶ獣人騎士であり、彼らの突進は極めて苛烈だった。

 中でも黒狼のまだ年若い騎士の振るう双剣は触れるを違わず斬り刻む。黙々と剣閃を放つ彼の間合いに入っただけで、それは死を意味すると言わんばかりの鋭さを持っていた。


「うーにゃ ── !」

 続く女獣人騎士の剣は破天荒そのものだ。変幻自在の軌道を刻み、長く剣を握ってきた者にも読めない。

「何だ、こいつは! 出鱈目なのに強いぞ!」

「失礼にゃ! こんな奴ら全滅させるにゃ!」

「わー! 怒ったー!」


 歩兵では抵抗の余地もない。高い位置から振り下ろされる双剣はほとんど死角を持たず、僅かに剣の届かない真正面は騎鳥の噛み付きか蹴爪しゅうそうによる蹴りの射程範囲である。

 魔法攻撃だけで半壊状態だった軍勢は、みるみるうちに蹂躙されてしまう。誰一人逃がれられない包囲の輪の中で、殺戮の嵐が吹き荒れていた。


「我ら集いし新たな故郷で、このような無法、罷り通ると思うな」


 虫の息の兵士が最後に聞いた言葉は、重々しい響きを持っていた。


   ◇      ◇      ◇


 扉を開くと白地に黒ブチのある猫が座っている。その後ろにはハウスメイドがにこやかに立っていた。


「お帰りなさいませ、カイ様」

「みゃーご」

 ニルドがこの扉のところへやってくるのは彼の帰還の合図である。

「ただいま、レッシー。何も変わりはない?」

「はい、何もありませんよ。平和そのものです。強いて言うなら倉庫からチーズが溢れそうです」

「幾らでも売れるだろうに。あの子達は律儀だね?」


 四人がいつ帰って来ても良いように、彼らの部屋はハウスメイドの手によって整えられ、食料庫には院の子供達の手による産物が豊富に収められている。至れり尽くせりだ。


「鳥車を準備しておいで。まずは冒険者ギルドに行くついでに買い物をしよう」

 レスキリの顔が輝く。彼らが食べる野菜の仕入れと、何かご褒美を買ってあげるのが定例になっている。この時ばかりは彼女に思いっきり甘えさせるのだ。

「はい! すぐに!」

「転ばないようにね」


 冒険者ギルドは世にも珍しい事態に盛り上がりを見せていた。

 年季の入った冒険者でさえ一生に一度あるか無いかという、出会うのも稀なブラックメダル保持者。ギルド内に居た者は、それが二人同時に生まれる瞬間に立ち会う事になったからだ。


 帝国内の活躍の褒賞を、四人は従軍依頼の対面契約の形で受け取っていた。

 依頼料は少額に抑えたが、しっかりとポイントだけはいただいておく。帝国内では意図的にギルドに立ち寄らなかった彼らのポイントは累積されており、それが今一気に反映されたのである。

 もうひと息にまで迫っていたトゥリオはもちろん、まだ少し届かない位置にいたフィノもリミットブレイカークラスに昇格したのだ。


 祝福の言葉とともに、受付嬢からうやうやしく黒光りするメダルの填まった徽章を渡された二人は歓声を上げて抱き合った。犬耳娘の瞳には涙さえ滲んでいる。

 その様子を眺めていた冒険者からは拍手が送られ、祝う言葉がほうぼうから飛んでくる。彼らもその一団が魔闘拳士パーティーなのはすぐに気付いていたのだ。


 その傍ら、朗らかな笑顔の受付嬢はどさくさ紛れに魔闘拳士の異名を持つ黒髪の青年にもブラックメダルを手渡そうとする。だが、彼は即座にお断りを入れていた。

 あの手この手で攻めてくるホルムトの受付嬢との遣り取りも半ば定番と化してきている。


 買い物からの帰り道、カイにちょっと良い値のブローチを買ってもらったハウスメイドはほくほく顔。彼の胸に抱かれるブチ猫も、革製の球の玩具とふかふかのクッションを買ってもらっている。


 彼らは帰ってお祝いの食卓を囲んだのだった。


   ◇      ◇      ◇


「警告するまでもありませんでしたか」

 国王の私室に出向いた冒険者達は、本人と政務卿、王太子といういつもの面々を前にしていた。

「うむ、事前に察知して偵察を多数出しておいたら網に掛かりおったわ。獣人騎士団と、新設の騎鳥兵団に任せて一蹴してやったぞ」

「それはまあ、アサルト達が率いる二万もの属性セネル騎兵に囲まれたら一たまりもないでしょうね」

「そいつぁ堪らんだろ? 一瞬で終わりだ、一瞬で」

 麗人が断言し、大男が大笑しつつ言う。

「愚かな事です。調査や管理を問えば僕などより遥かに勝る侯爵様の目を誤魔化せるとでも思ったんですかね?」

「無論、管理はしていたが、最初に気付いたのはこれ・・だ」

 グラウドは後ろに控えているベイスンを指して言った。


 魔境山脈横断街道の通行量、ホルムトの物流量、フリギア関の通過人数、全てに触れる機会のある政務官見習いの青年ベイスンは、そこに潜む数字の違和感にすぐに気付いたのだと言う。


「行き先不明の商隊や冒険者等の総数が千を超えたばかりの頃に、私に注意を促してきたぞ。それで調べてみれば明らかに妙な点が浮かび上がってきた。それから偵察隊を出させて発見してしばらくは泳がせていたが、動く気配を見せたので始末した」

 政務卿はその顛末を事も無げに語る。

「見事だったぞ、ベイスン」

「お手柄じゃ。褒美は少し待て。期待して良いぞ」

 クラインとアルバートから次々にお褒めの言葉をもらった青年は恐縮している。


「しかし、結んだばかりの和平の国際合意。簡単に反故にされてしまいましたね?」

 カイは肩を竦めて見せる。

「うむ、どうやら相手は蛮族の徒であったか」


 その場の皆が苦い表情を隠せなかった。

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