悪意の蔓

 隊商主は隣の馬車からの呼び掛けに応えて出向く。その連絡は重要であるがゆえに伝言などという粗雑な方法で受け取る訳にはいかず、自らの目で確かめなくてはならないからだ。


 扉を開けて中に入ると、卓に着いていた人物が場所を譲る。椅子に腰掛けてから心を静め、改めて確認作業に移った。

 水晶板には短くも明確な命令文の文字が連ねられている。何度か確かめるように視線を走らせ、間違いないと確認した。


『決行せよ』

 そこにはそう綴られている。帝都からの命令だ。


 商隊主は伝送馬車・・・・から降り周囲を見回す。そこには馬車で休む商人や『倉庫持ち』の従業員らしき者、そして繋げた馬の傍でくつろぐ冒険者或いは傭兵と思われる姿がある。

 ただし、それは極めて多数に上り、総勢で一万ほどになる。明らかに商隊などではない。見る者が見れば分かる。皆が訓練を受けた者の身のこなしをしている。


 商隊主が手を挙げて注目を促すと、皆が背筋を伸ばし姿勢を整えて傾注する。


「帝都より命が下った。決行だ」

 商隊主の言に総員が緊張の面持ちを返す。


「これより作戦を開始する。壊せ! 奪え! 殺せ! 魔闘拳士に、我らが栄えある帝国に牙を剥いた報いを思い知らせよ!」

「おお!」


 ホルツレインの東の外れの地で、翼将軍エヒズムは声を上げた。


   ◇      ◇      ◇


「みゅー」

 白い子猫は、やはり白い手の甲に頭を擦り付けて甘える。人懐こい彼は、害意を感じなければ誰にでもそういう仕草をしてしまう。


「ああん、そんなに私の事が好きなの?」

 手の主はその仕草に身悶えしている。

「じゃ、結婚して!」

「もう少し大きくなってからにしてもらっても良いかな?」


 一応はツッコミが入るが、それ以上に激しい仕打ちが待っている。チャムは彼女の後頭部を平手で叩いてからキルケを抱き取って遠ざけた。


「馬鹿な事してんじゃないわよ! 仕事をなさい、仕事を!」

 後頭部を押さえて涙目になっている情報局長ウェズレン・フィフィーパは、悲しげな瞳を女王に向けながらも書類に目を移した。

「ラドゥリウスに今のところ出兵の動きは見えません。そう言った噂も無ければ、従軍依頼も出ていないようです」

「みゃう」

「真面目に!」

 チャムの手元から合いの手が入ると目を奪われて顔をにやけさせるが、即座に注意されてしまった。

「あぅ……。その他、練兵以上と思われる行動も見掛けられてはいないようです。目立った胡乱な情報はないのですが、ちょっと引っ掛かる話が」

「何? どんな情報?」

「知り合いの兵士を見掛けなくなったと思ったら姿を消していたといった感じです」


 友人というほどではないが、酒場で顔を合わせれば酌み交わす程度の仲だった兵士が、いつの間にか居なくなっていたという話だ。

 その冒険者は従軍依頼も受けるタイプの男で、兵士を飲み仲間だと思っているが情報源にもしていたようだ。消えてしまって困っているという話を冒険者ギルドでしていたと記録されている。

 非常に曖昧で、ただ単にその兵士が他の任地に移動になっただけかもしれないが、何の前振りもなく消えたのを不審に思った受付嬢が一応入力した情報らしい。


「面白い情報だね。帝都のギルドにも優秀な受付嬢がいるみたいだ」

 握った手を口元にやって口の端を上げるカイ。何か考えているようだ。

「目端が利く子がいるのね。その子にお小遣いを振り込んでおいてあげて」

「了解しました」


 冒険者ギルド憲章によって、積極的な情報収集は謳われている。それにどう取り組むかは自由意思に任されているが、少額ながら情報量が給金に加えて支払われている場合がある。

 彼ら彼女らがどの情報によって支給されたのかは知る由も無いのだが、ちょっとした小遣い稼ぎとして熱心に取り組む一助になればいいと制度化されていた。


「各所に警戒を呼び掛けておこう。どこに軍勢が現れてもおかしくない、とね」

 黒髪の青年はその情報の先を読んで判断したようだ。杞憂に終わればそれでいい。

「おう、やっとくぜ」

「フィノも連絡しておきますぅ」

 これでフリギアとメルクトゥーには伝わるだろう。


 あとは彼女とカイで手分けしようと遠話器を取り出した。


   ◇      ◇      ◇


 レンデベルとて、座して結果だけを欲しているのではない。彼も独自に策を講じている。

 その一つが潜入作戦である。魔境山脈横断街道を逆手に取った策だ。

 帝都から兵を隊商や冒険者、傭兵に扮装させて送り出す。目立たぬように少人数ずつだ。ドゥカルを経由してホリガスに上陸させ、街道を使ってホルツレインに潜入させる。

 ホルツレインも、東方への玄関口の港町カロンは警戒している。それなりに兵を配していると思ったほうがいい。しかし、街道は物流の要となるだけに警戒は薄いはず。そこを通して少数ずつ侵入させ、集結させれば纏まった戦力となるのだ。


 無論、ホルムトを落とせるほどの大戦力は動かせない。それほどの数となればどう足掻こうが目立ってしまう。だが、二万くらいまでなら人里離れた盲点となる場所を見つけられると考えていた。

 運用出来る陸上戦力を持っていれば、あとは上陸地点を確保させて戦艦を送り込むも良し、万が一の時の攪乱戦力とするも良し、使い道は幾つも考え付く。その為に、ドゥカルに海兵を送り出す以前から、兵を動員して進めてきたのである。

 あの出兵は、この作戦の陽動の意味合いもあったのだが、それは第三皇子ディムザにさえ話していない事だった。


(魔闘拳士よ。慌ててホルツレインに帰るといい。その前に散々荒らさせてもらうがな? 気付いた時には手遅れだ)


 帰途には横断街道を破壊しつつ後退するように指示してある。抜けてからの目標は残存戦力次第となるが、基本的にはメルクトゥー王都ザウバだ。そこを焼いてから南下して港町を占拠。現地で鹵獲した船舶と、派遣した戦艦に収容して帰還の途を取るよう計画している。

 随時、伝送伝文による指示で皇帝本人が方針を伝える形にしている。


(貴様は懇意にしている国の民をずいぶん大事にしているようだな? 苦しめ苦しめ。我が息子達を殺めた報いをその身に刻むがいい)


 レンデベルの悪意の蔓がホルツレインにまで伸びようとしていた。


   ◇      ◇      ◇


 一万の軍勢はその扮装を解いて武装する。これからは遊撃軍として村々や街、小さめの都市などを片っ端から襲って破壊の限りを尽くすのだ。


 兵士にはあらかじめ、略奪、暴行、殺戮、全ての行為が許されている。しかも、略奪行為によって得た金品は個人のものとする事も許可済みだ。

 現代戦では眉を顰められる行為ではあるが、現実には一部認められているのも事実。侵略戦争ではどう引き締めようとも横行するのは否めない。それをあまり厳しく戒めていると、兵士の働きが悪くなるというのも帝国の将軍達の見解となっている。


「いいか? 警戒しつつ進軍せよ。領兵もしくは王国兵との戦闘は原則禁止だ。発見し次第撤収する。我々の目的は破壊であり戦闘ではない。それをよく理解して行動せよ」


 具体的には数千規模の兵力との戦闘を禁止している。数百程度の守備兵は蹴散らしても良いが、極力兵力を維持しつつの作戦行動を求められる。

 変に戦意をもって噛み付いていくような兵士は捨てていくとまで言い含められている。ここが敵地であり、作戦行動には細心の注意が必要だと徹底されていた。


「では進撃開始!」


 翼将軍エヒズムの号令で帝国軍一万は行軍を開始した。

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