首座の煽動

 皇帝レンデベルとて、ディムザが不用意にゼプル女王国やホルツレインを攻めるなと主張する理由は理解出来る。神使は魔王対策の最前を担う種族であるし、ホルツレインは今や彼らの盾にして最大支援者でもある。

 暗黒時代を知っているロードナック帝国が、それらに害するような軍事行動を取れば国際社会の大きな反発を招くのは間違いない。帝国にも大陸の国家全てを相手取る力はない。


 これまでならば西方の動きなど無視出来る海路という要素があった。

 しかし、今は違う。魔境山脈横断街道の存在が痛い。今やメルクトゥーと繋がったホルツレインはその気になればこの東方へも出兵が可能なのである。長大になる補給線も、露骨に動くようになったエルフィン達の協力を仰げば困難ではない。

 一変してしまった状況が西方二大国の思惑まで懸念材料にしてしまった。人口と武力、そして広大な国土の生む継戦能力がレンデベルにも脅威でしか無いと思わせる。

 それに、例えその脅威を退けたとしても、神使に害悪と判断されれば将来的に魔王への対抗手段を失ってしまう。現勇者を利用出来るのも当代限り。また東方に魔王が発生すれば暗黒時代の再来である。今度こそ帝国は滅び去ってしまうだろう。

 そして、彼は歴史上最大の愚帝と呼ばれる事になる。それだけは耐えられなかった。


「何を迷う必要があろうか?」

 情勢をつらつらと並べる皇帝に、首座アメリーナは不審げな表情を見せる。

「神使はそれほど重要かのう?」

「彼らなくして対魔王の戦いは出来まい? 勇者が生まれようが導き手がおらず、ましてや聖剣も得られないでは魔王を倒す事は敵うまい?」

「どうかの。大陸制覇を成し遂げれば、魔王の発生場所などそなたが座していても耳に入ろう? 導き手を要するか?」

 アメリーナが囁く。

「要らんな。勇者に知らせるだけでいい。だが、帝国がどれだけ強大になろうが、聖剣を作る事は出来まい? 勇者を出向かせても意味はない」

「覇権国家にはゼプルも逆らえまい? 命じて作らせれば良い」

 可能かどうかはともかく、筋は通っていると感じる。

「そも、聖剣も要するか? 吾が神ほふる者の力を手にすれば、神至会ジギア・ラナンは神に至る道を昇るのだ。神なる力持つ吾は魔王などものともせぬぞ?」

「そ、それは……」

「覇業を達成した皇帝が導き手に、神至会ジギア・ラナンが聖剣となって魔王を討つのだ。民草の尊敬など思いのままぞ? 誰一人として叛意を抱く余地など有るものかえ」

 レンデベルは注ぎ込まれているのが毒だとは気付いていない。


 皇帝の脳裏に計算が働く。

 神ほふる者を捕らえて渡せば、あの強大な力は神至会ジギア・ラナンのものとなる。それを後ろ盾にすれば偉業など児戯に等しいものだと思えてくる。それさえ叶えば後は何ら懸念はなくなるのだ。帝国は未来永劫栄えるだろう。

 覇業を成し得た虎威皇帝レンデベルの名も歴史に深く刻まれる。天秤一つの傾きで、彼は天に上るか地に沈むかが決まる。これは賭けだ。賭けるのならば運命の神ホレイグに祈りを捧げるだけではなく、自ら動かねば幸運を引き寄せる事など出来はしない。


「重大事じゃ。しっかりと考えてみるがよいぞえ」

 しわがれた指が彼の胸を指す。よく考えた上で心に従えという意味だろう。

「うむ……。邪魔したな、アメリー。余の最高の盟友よ」

「そなたならいつでも歓迎するぞよ」


 控えの間から再び後ろに付いた秘書官に小声で命じる。

「決行だ。そう伝えよ」

「御意」


 そして事態は動き始める。


   ◇      ◇      ◇


 赤燐宮に続く通りも多少様変わりしてきた。設備や官舎の建築に追われていた頃とは違い、住宅も建ち並んで街らしき雰囲気を漂わせる。


 それ以上に目に付くのは活動的なゼプルの姿である。住宅に彩りを加える為にエルフィンとともに立ち働く姿や、周りに花壇などの植栽を整える姿が多く見られる。明らかに情操面の活発化が顕著に表れている。


 動くのは彼らだけではない。ところどころに針猫ニードルキャットの姿が見られるが、それ以上に目立つのが仔セネルだ。

 隠れ里の頃はあまり入り込んで来なかった彼らが、敬愛するゼプルに構われる事によって生活の中に溶け込みつつあるように思える。


 自由に闊歩する仔セネルは悪戯したりはしない。

 狩りをする陸生鳥類は目が良い。色鮮やかな花壇に見入っては褒めるように鳴く。それがゼプルの歓心を引くのだ。

 嘴で花を突いて揺らしては香りに包まれ目を細める姿は、まるで人類と変わりない。両者の仲は以前より遥かに深まっているように思えた。


「こらこら、もう!」

 歩いているとチャムの足元に子猫が纏わりついてくる。数匹を抱き上げて言い聞かせた。

「燻製が出来るのは明陽あすよ。それまで大人しく待っていなさい」

「チャムさんの身体に魚の匂いが付いちゃっているんですぅ」

「やだ! 早くお風呂に入らないと」

 首を傾けて肩口を匂うが、彼女には分らない。でも、フィノがそう言うという事は匂いが付いてしまっているのだ。

「いいんじゃない。子猫にモテるのは嬉しいよね」

「お前はモテすぎだろ?」

 カイの身体にはかなりの数の子猫がぶら下がっている。彼の場合は魚の匂いだけが理由ではない。普段からよく遊んでいるから寄ってくる。

「君への愛は深そうだよ」

「食べちゃいたいくらいってか? いや、痛えんだよ! 牙まで立てんな!」

 トゥリオは完全に遊ばれている。

「あははは。トゥリオさんが大好きなんですよぅ。ねぇ、キルケ?」

 白い子猫は犬耳娘の胸でぬくぬくと丸まっている。


「戻りました、お父様」

 父に礼を送り、母と頬を合わせる挨拶をする。

「晴れ晴れとした顔をしておるな。気分転換になったか?」

「ええ、それはもう。そのうちお父様もご一緒に」

 釣り仲間に引き込もうと画策している。

「ははは、そのうちな。ジャワナ麦の様子はどうだったかね、カイ?」

「結果だけ問えば順調です。でも、ほとんど次の種籾に回さないといけないと思うと、僕の口にはちょっとしか入りません。悲しい限りです」

「道は険しいな。次からは多少は増しになろう」

 ラークリフトは軽笑しつつ隣に目をやる。ドゥウィムは傍にしゃがみ込んだフィノの胸から跳び付いてきたキルケを撫でている。

「美味い酒の肴だけは確保してきたからラークリフト様も安心してくれ」

「頼もしいな。では、いずれご相伴に与かろう」

 酒豪ではないが、嗜むのを好む父親にトゥリオが時折り付き合っているのも日常になってきた。


「それで、例の件はどうでしたか?」

 気に掛けていた要件の結果がそろそろ出る筈だとチャムは問う。

「ええ、本当だったわ。確認しただけで十八名が妊娠していました。環境の変化がこんなにもすぐに影響を及ぼすなんて思いもしなかったの」

「あれだけ楽しそうに遊んだり歌ったりはしゃいでいれば、うちにも居て欲しいって思うんじゃないでしょうかぁ?」

「そうね、フィノ。わたくしでさえもう一人欲しいかもって思えてしまうものね」


 チャムは弟か妹が出来てしまうかも知れないと気付くと少しおののく。人の意識の変化というのは侮れないものだ。

 女王国に居るたった五人の子供達が大きく変化を見せた事で、ゼプル全体に波及効果が出ようとしている。最初はドゥウィムが妊婦の噂をよく耳にすると言うので調査するよう進言してみたが、こんな顕著な結果が出るとは思っていなかった。

 数十を目途に期待していた変化が、もう半輪はんとし後の現実として見えてきている。


 チャムは充実感に包まれていた。

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