ポーレンの女狐

 メナスフット王国の王都ポーレン。逃げ出す間もなく追い詰められた国王ラナハイル・ワヌマイトスは、近臣とともに謁見の間の玉座で数多くの剣を向けられている。磨き上げられた石タイルの床は軍靴に踏みにじられて、王国の名誉と同じく汚されていた。

 先ほど強制的に降伏を宣言させられた国王の前には、軍装に身を固めたメルクトゥー女王クエンタ・メルクトルが傍らに親衛隊長で婚約者でもあるラシュアン・メイゼ侯爵を侍らせている。そして、その横には女狐の異名を持つメルクトゥー宰相シャリア・チルムの姿もあった。


 北の国境に集結していたメルクトゥー王国軍が電撃的に越境し、ウルガン南部を縦断するとメナスフットまで侵入し、守りの手薄になったポーレンを一気に攻め落としたのであった。


 それは遠征軍が進発するとほぼ同時に進行していた。


   ◇      ◇      ◇


(どうしてこんな事になっている? あり得ない速度だ)

 メナスフット王国宰相ボウレンの頭には疑問しかない。


 事態は異常な速度で進行し、自分達が敗北に塗れているのは自覚出来る。ただ、その理由だけが判然としない。


「解らないという顔をなさっておいでですね」

 黒髪に白皙の女狐は、ボウレンを流し見て薄笑いを浮かべている。

「我らは全て把握していたのですよ?」

「把握、だと?」

「ええ、ここポーレンで遠征軍が編成されて進発準備がなされている頃から我が国軍は北の国境に集結していたという事です。それはイーサルやウルガンにしても同じこと。今頃遠征軍は二つの国軍に包囲されて武装解除されているでしょう」

 それは長征の失敗を意味する。もうどこにも逃げ場所もなければ頼る先も無いということ。

「何ゆえの暴挙か? 我らは訳有って出兵と相成ったが、隣国への侵略の意思など持っておらんぞ」

「疑ってなどいませんよ? 帝国西部連合の背後を急襲する意図以外は」

「何を根拠に?」

 図星を指されても顔色に上らせたりなどしない。彼も政治家である。

「ずっと監視されていたからです。貴殿が帝国の将の密使と接触していたのも」

「まさか!?」

「逐一報告をいただいていましたよ。森の民エルフィンは極めて優秀な諜報能力をお持ちですので。隣国の方々も同様にお聞き及びの事と思います」

 意外な存在に監視を受けていたと知ってボウレンは絶句した。


 エルフィンの名が挙がったという事は、彼を監視していたのは神使の一族という事である。最もその動向に懸念し、怖れていた相手に目を付けられていたのだ。


「ゼプル女王国国王代行ラークリフト・ナトロエン殿下は大変心を痛めておいででしたよ? これ以上、大陸の平和を乱す行為は厳に慎んでいただきたいと申されておられました」

 シャリアの自信は正義の御旗を掲げているからだと分かった。

「直々にお言葉をいただいてしまっては我らメルクトゥーも動かざるを得ません。取り急ぎ、貴国の出兵を諫めるべくこうして女王陛下の出征と相成った訳です」

「し、神使の一族は我が国に滅びを望んでおられるか……?」

「さあ、そこまでは聞いておりません。ただ、貴国の軍は他国まで歩を進めた。これは立派な越権行為です。今後の事はイーサル、ウルガン両国との講和という形でなされるとよろしい」

 メルクトゥーは穏便な対応を見せるかに思えた。

「ですが、大陸の平和を願い強硬姿勢を変えない帝国の野望を挫くべく立ち上がった、ゼプル女王がおわします軍勢の背後を脅かそうとした罪、厳重なる抗議を表明させていただきます」

「破滅だ……。メナスフットは終わりだ」

 ボウレンは膝を折り、顔を覆う。それは奇しくも国軍司令官と同じ姿であった。


 逃亡の可能性を否定出来ないメナスフット首脳陣は、メルクトゥー軍によって一時拘束される。捕縛まではしないものの、連行される彼らの列が傍を通る時、ボウレンは悔しげにしながらも尋ねてくる。


「いつから私は疑われていた?」

 女狐は快く答えてくれる。

「ずっとです」

「何故だ?」

「以前からおっしゃっておられましたよ。もし、帝国がどこかを使嗾するとしたらメナスフットだろうと。私も衰退の一途を辿る貴国を危険だと感じていました。魔闘拳士殿と同じく」

 急に暴れ出した宰相を兵士が両脇から取り押さえる。

「魔闘拳士ー! またしても貴様かー!」


 ボウレンの怒声は謁見の間に虚しく響き渡った。


   ◇      ◇      ◇


「策を弄していたか、ホミド」

 ホルジアの問い掛けにも応えず、将の一人は恥辱に面を真っ赤に染めていた。

「解っていなかったか。奴はマークナードはおろか、ディムザも退けているのだぞ? あれは多少の謀略では揺るぎはせん。武威で圧倒しなければ下すのは無理であろう」

「しかし、殿下のお手を煩わすほどの男では……」

「貴公の忠はありがたく思う。我の足りん部分を補ってくれているのにも感謝している。だが、敵と呼べるだけの力を示してきたのだ。ここは潔く正面からの勝負で我らの力を思い知らせてやろうではないか?」


 近習の将の失敗を叱責するのではなく、認めつつも諫める姿勢が心酔を集めている。そうやって剛腕は帝国軍を掌握してきたのだ。

 現場気質で、常に同じものを見てきたという思いが、皇子という立場を越えて将や兵とホルジアを繋げている。


「お心遣い感謝いたします、殿下。時間が惜しいので、今回の償いは後の事とさせてください。今は陣を再編して彼奴らを叩きのめす戦術を論じたいと思います」

 ホミドは無事に立ち直ったようだ。

「それでいい。貴公の働きに期待する」

「お任せください」


 剛腕は満足げに頷いた。


   ◇      ◇      ◇


 戦闘が一段落したという報告をもらい、上手に芸をした仔犬が褒めてもらえる時のような瞳をしたクエンタが手柄を誇って拳士との遠話を済ませた後、シャリアは遠話器を受け取った。


【ありがとうございました。良い頃合いでしたが、時間的に厳しかったのでは?】

 彼はこちらの事情も汲んで案じてくれた。

「少々強行軍ではありましたが、セイナ様にお分けいただいた騎鳥達が頑張ってくれましたので。車輛に使える新機構もアルバート陛下がご都合付けてくださいましたし、それほどきつくはありませんでした」

【強く印象付ける為とは言え、クエンタさんや貴女にまで骨折りしていただいたのですから、きちんとお礼は致しますよ。折を見て牛追いをしますので用地を検討しておいてください】


 シャリアが牛系魔獣の牧畜産業の推進を望んでいたのを覚えていて、その為に自ら動くと約束してくれる。ルドウ基金を通じて金銭や物品を都合するとは言わない辺りが彼らしくて好ましく感じる。


「では楽しみにしておきます。陛下の婚儀には是非ともおいでいただかねばなりません。決まり次第早めにお知らせしますので」

 現在調整中であるとは伝えてある。

【その辺りが理想ですね。こちらも剛腕軍を退けたら多少は都合が付け易くなると思います。必ずや伺わせていただきます】

「ええ、私と致しましても、ご懐妊のお知らせよりは婚儀のお知らせを早くしたいので急ぎ調整している次第ですので」

「にゃ! 何を言っているの、シャリア!」

 真っ赤になったクエンタが彼女を揺すり、ラシュアンも申し訳無さそうに渋面を見せる。

【ははは、祝い事は幾ら重なっても良いのではありませんか? お忙しい方々を集める手間も省けますし】

「一理ありますね? ですが、ご懐妊のほうは私には都合しかねます。夜にお時間を作って差し上げるのが限界です。メイゼ候に相談してみましょう」

「そのくらいでご勘弁を、宰相殿」


 聞き耳を立てていたのか、遠話器の向こうからは幾つもの笑い声が聞こえた。

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