兵、意気軒昂なり
雨は次の
帝国正規軍も同じ条件で、軍を動かしては来なかった。兵を用いる側として、想定出来ない事態が予想される場合は交戦は避けたいものである。
「動かないわね?」
上手くいけば陣構えが変えられるかもしれないという期待が込められた次の
「うん、本陣に中陣が合流していればもしかしたらとも思っていたんだけど、きちんと抑えが利いているようだね。剛腕は前には出てこない」
「やっぱり待っているのかしら?」
「その可能性は高いかな? 朗報を待とうか」
機を待っているのはカイ達にしても同じところだ。
「さすれば、あの話は本当の事でしたか?」
「残念ながらそうみたい。まあ、あちらの件は気にしなくても良くてよ?」
「そうは申されましても戦局にも影響する事でありますれば、気にはなってしまいますぞ?」
髭の辺境伯も黙ってはいられない。
「幾重にも安全策が打ってあるから。心配しなくてもこの人は抜かりないわ」
「ウィーダスでの補給はガフメス卿に申し渡してあるので、今頃は河口あたりかと?」
「はっきり言ってそちらが機能するようでは困りものなのよね」
チャムの余裕の微笑にも苦いものが混じる。
「今は眼前の敵に集中しましょう、ウィクトレイ伯。こちらのほうが難敵です」
「そうでありました、ルドウ殿。では、段取り通りに」
「ええ、お願いします。僕も左翼陣に戻ります。行こう、チャム」
本陣から様子を窺っていた二騎は北に向けて駆けていった。
◇ ◇ ◇
帝国軍の左前翼の領兵軍は二万強まで戦力を減らしているが、補充されないままにモイルレルの連合軍右翼四万の前に留まっている。しかし、実効戦力としては二万五千まで減らしている重装歩兵軍団の中陣も計算に入れねばならないだろう。
その論拠として中陣が前回より前に出ている。それは連合軍の両翼の動きに呼応して機動展開する気構えを表しているようだった。
右前翼四万が維持されているのは、連合軍左翼六万に対しての対処であろう。
西部連合は数的優位にあるように感じるが、これまで不気味な沈黙を保っている両次翼三万ずつの睨みが利いている事を考えれば、お世辞にも優勢であるなどとは言えない。
「依然、予断を許さない状況なのですね?」
「ちーちゅうー」
リドの前肢が各配置を指しては理解を求めるように振り向いてくる。
無論、彼女が盟主ルレイフィアに説明しているのではない。それはジャンウェン伯の役目である。
「みゃう、みーにゃ!」
ノーチが前肢を伸ばして空を掻いているのは遠見の魔法の現像を触ろうとしているからだ。
ルレイフィアの御座車輛には、指揮戦車と同様の遠見の記述が施されている。ウィクトレイの説明に合わせて、御者台のモルキンゼスが操作して彼女に各軍団の状況を見せていた。
「みゃう! みゃう!」
「ちるちー、ちゅい!」
左翼陣の様子が映されると、前方付近に紫色の背にある騎士の姿がある。ノーチは彼に向かって応援するように鳴く。
「中陣を叩きまするぞ」
そう言いつつ総司令のウィクトレイが旗手に合図を命じる。すると遠く指揮ラッパの音が響き、中陣一万が前進を始めた。
騎士爵領軍一万は今まで出番が無いままに両翼の活躍を眺めていなければならなかった。しかし、今回は彼らの働きも重要になってくるだけ勇んで前進している。
「大丈夫でしょうか? 彼らは半分以下ですよ?」
軍団の大きさの差だけでも、見るからに心細く感じてしまう。
「敵は重装歩兵ですがご心配召さるな。あの者らの陣営からは獣人兵は抜けておりませぬ。打撃力では勝るとも劣りませぬ」
「ええ、伯の言葉を疑っている訳では無いのですが、意気を感じて無理をしなければ良いと思ってしまって……」
「あれらは気負っているくらいが良い働きを見せてくれましょう。殿下の御前で功を上げる様を見てやってください」
少女は複雑な心境のまま戦いを見つめる。
衝突時は押されている印象を感じた。鍛え抜かれ実戦経験も多い正規兵は、領兵で相手取るには少々荷が勝ってしまう。それは彼らの主君も分かっている。
戦争で名を上げ騎士爵を得た者、騎士爵の名を守り騎士として身を立ててきた者は、例え相手が正規兵でも武威で劣りはしない。自らが前に立ち、重装歩兵の槍の列を切り崩していく。
常道中の常道な戦い方ではあるが、大崩れはしない策ではある。騎士の覇気に釣られ配下の領兵も勢いを付けて斬り込んでいく様子が見えた。
「でも、これでは」
敵は二倍以上の戦力を誇る。斬り込まれても後列の兵に押されるように圧力を掛けてくる。
「いえいえ、これは計算のうちでございます、殿下。徐々に退きつつ戦っておるでしょう? その為に勢い込んで出ていったのでありますよ」
「ルレイフィア様、あちらを」
「あ、モイルレルが!」
家令が右翼方向を指差す。
「領兵軍を追い込んで来ています」
「騎士達がもう少し耐えてくれれば面白い事になりますぞ?」
二万強の領兵軍と対峙していたジャイキュラ将軍率いる右翼陣は、右側から回り込むように半包囲態勢で攻撃している。抗し切れない領兵軍は、意図的な方向に後退を余儀なくされているのには気付いても、そこから逃れる事は出来ないようになっていた。
彼女は攻撃の勢いを位置ごとに操作し、纏めた形で戦力を削ぎつつも一方向に追い込んでいっている。ただし、得意の細やかな指揮は味方の動きに反映されるには多少の時間を要し、生み出される状況の進行は遅い。
「でも、かなり厳しいのでは……」
戦い続ける騎士は果敢に戦っているが、疲労の色は隠せない。彼らが押し込まれるだけ倒れる領兵の数は増えていく。
「少し時間が掛かっていますな。敵の領兵も意地を見せておるようです。が、時間の問題ですぞ?」
「それでも討ち取られていく者が無視できない数に上っている気がします。わたくしの事は良いので、この本陣を差し向ける訳にはいきませんか?」
「殿下のお気持ちは尊いものと存じますが、ここは見守っていただけませんでしょうか? あれらも懸命に戦っておりますれば、盟主の護りさえ敵わず生き延びても、己が不甲斐なさを口惜しく思って眠れぬ夜を過ごさねばならなくなりましょう」
ルレイフィアは兵士の覚悟を知る。背負って戦う決意を抱いているのは彼女だけではなかった。
「ごめんなさい。言ってはならない事でした。許されるならばさっきの言葉は忘れてください」
「御意」
兵士の奮闘は結実する。
包囲されて叩かれ続けた敵左翼は、半ば逃げ出すように中陣の中に入り込んで列を乱す。当たってきたのが味方だと知った正規兵は、その動きで後背にも敵を背負ったと知った。
その動揺は前列まですぐに伝わり、連合軍中陣への攻撃は露骨に弱まる。劣勢だった騎士も兵も息を吹き返して攻勢に出る。
「良かった。間に合いました」
「うむ、多少は手間取りましたが、ルドウ殿の言った通りになりましたな」
当初はジャイキュラ将軍が敵左翼を潰走させて挟撃に移る作戦だったが、追い込んで合流させるようにカイが提案した。入り混じる領兵が隊列を混乱させ、攻勢を弱めさせる策だ。
挟撃から包囲の態勢に移行しようとする連合軍だが、それは正規軍も許す訳にいかず、左次翼の騎馬軍団が動く気配を見せていた。
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