剛腕動かず

 雨が叩く天幕の中、大きな身体で腰掛け、従軍メイドに拭かせているのは剛腕の異名を持つホルジア・ロードナック。上衣を脱ぎ捨て、大きく盛り上がりを見せる筋肉の束を見せつけるようにしている。


「挑発してきおったぞ?」

 三々五々集まってきた近習の将に苦々しい面持ちを見せながら言う。

「おこがましくも殿下に挑もうとは愚か者もいたようです」

「なに、殿下に御出座願うほどの者ではございません。今陽きょうこそ空に裏切られてしまいましたが、次なる戦いでわたくしめが討ち取って参りましょう」

「心煩わせる事無く、西部の平定をお考えくださいますれば幸いです」


 将達はこういったホルジアの発言にも慣れている。好敵手と見れば挑もうとする第一皇子だがいつもいつも自ら出陣させるようでは腹心の名折れである。

 相手が勇者王ほどの強者であれば場を整え、希望に沿う戦場を用意しない事もない。しかし、大陸に名を轟かせる英雄とは言え、実力も知れぬもの相手にそうそう前に出てもらう訳にはいかないのである。


 ましてや、どちらかと言えば奸計に通じている男という印象が強い。隠剣の裏をかき、刃主ブレードマスターを退けるほどの策士であるのは間違いない。ところがその武威に関して言えば噂話程度にしか耳に入って来ない。

 帝都城壁内が襲われた一件にしても、ホルジアとともに出征していた彼らは直接目にしていない。苦渋を飲まされた将達が過大評価して騒いでいるように見えてしまうのだ。

 戦い方にしても魔法を中心にしているように感じる。勇者王とのその違いは、何が起こるか分からない戦場で、剛腕の出座を躊躇わせる一因になってしまう。


「だが、領兵どもはあれに翻弄されている。早めに潰しておかねば、戦後に諸侯がうるさいぞ?」

 そこへホミド将軍が膝を進める。

「畏れながら申し上げます。魔闘拳士なる者、殿下の思われているような武勇の者ではないと愚考いたします。むしろ奸智に長けし者と見受けられますれば、あれは殿下を罠に掛ける為の挑発であろうかと?」

「おお、確かにそうかもしれんな! さすがホミド将軍。殿下もお気を付けくださいますようお願い申し上げます」

 ホルジアを座らせておきたい将は賛同の声を上げる。

「うむ、卑しき魔獣崩れの鳥どもではあるが、あれほどの数を揃えている相手。何を仕掛けてくるか分からんな?」

「御明察にございます。どうか心安らかに我らの戦いを拝謁賜りたいと思う次第であります」


 ホルジアは、ホミド将軍の慧眼に感心して戦意を取り下げた。


   ◇      ◇      ◇


 メナスフット王国軍は神聖騎士団を陣頭に立て、この軍勢が聖なる戦いに赴くのだと喧伝しつつ国内を横断する。


 目的地である帝国西部へは当然イーサル王国を横切っていかねばならないのだが、そうなればイーサルの国軍が伺いを立てに来るだろうとは思っていた。何せ他国の領地である。侵略行為だと謗られてもおかしくはない。

 しかし、事前に通行許可交渉などを行っていれば非常に時間が掛かってしまうし、その使者が行き来する間に情報が漏洩して西部連合に動きが察知されてしまうかもしれない。

 とにかく電撃的に叛乱軍の背後を襲わなければ効果的に機能しない作戦である。神聖騎士の存在を頼りにイーサル国内は乗り切る方向で動いている。


「何ゆえのこのような所業か?」

 先行したであろう青旗を立てたイーサル国軍の使者が司令官に問い質してくる。

「興奮しないでいただきたい。見れば分かるように我らは神聖なる目的を持った長征の最中である」

「どのような理由あれど、事前に通告もなく我が国を脅かすように軍勢を進めるのは蛮行である。即座に退去を要請する」

 これも当然の理屈であろうが、「はいそうですか」とはいかない。ここはイーサルを丸め込んで通り抜けなくてはいけない場面。

「我らの行動を疑う事なかれ。ご覧のように何一つ脅かす事も破壊する事も奪う事もせずにここまでやってきた。これが証明以外のなにものであろうか?」

「それは確認が取れている。侵略行為ではないと思われるからこその本官が使者として立てられた。貴殿らの目的を全てつまびらかにしていただきたい。その上で陛下の御裁定をいただく事になる。これは最大限の譲歩である」


 問題行動があれば問答無用で攻撃するという意味だ。それは司令官としても絶対に避けたいところである。

 とは言え、ここで目的を明らかにしてその報告が王都スリッツに届き、それから喧々諤々の御前会議を経て運良く通行許可が下りたとしても、その時にはすでに機を逸している。だからこそ事前通告もなく国境を越えたのである。足留めを食ったのでは何の意味もない。

 ここは押し通らなくてはいけない。


「重ね重ね申し上げるように、これは聖なる目的を持っての戦いである。神聖騎士団の随行がそれを証明しているであろう? 報告を上げていただくのは結構。その間の行軍もお許し願えないだろうか?」

 司令官も下手に出て懇願する。事実、相手にしている使者もそれなりの地位に在ると思われる士官で、決して文言を伝えに来ただけの雑兵ではない。司令官の記憶が正しければ、千人将官に当たる徽章を下げている。

「そのような権限は本官には与えられていない。貴軍の目的を明らかにするか、この場で反転して国内に戻られるか、どちらかにしていただこう」

「ではまず国軍の司令官にお伺い願えないだろうか? 何なら国軍監視下での通行も視野に入れてご相談申し上げたい」

 本隊との往復時間であれば何とか飲めない事も無いので探りを入れる。

「司令官閣下であろうと権限は持ち得ない。ここは国王陛下の治めし地である。これを覆せる者など誰一人存在しないとお心得いただきたい」

 理には適っている。適ってはいるのだがそれでは困るのである。


 この使者を人質にして押し通ってやろうかという考えが、メナスフット軍司令官の頭をよぎった。


   ◇      ◇      ◇


「ひゃー、堪んないや。一気に来たねー」

 濡れ鼠になったカイが天幕に駆け込むと、手巾が放って寄越された。

「あなたがあんなところでのんびりしているからよ」

「そう言ってもさぁ、向こうは一方的に言い寄られて靡く気配を見せたところで、すげなく振られたような状態だよ? 未練たらたらに決まってる」

 獣人戦団の行動を男女の関係になぞらえて青年は説明する。

「それに丁度頃合いだったみたいだから僕的には問題無いね!」


 天幕内ではチャムやフィノが胸装ブレストアーマーなどの装備を外し終えたところである。少し厚みのある高級な防刃繊維は濡れてもあまり透けはしないが、どうしても身体には纏わりついてしまう。今は彼女らの煽情的な身体のラインをあからさまに伝えて来ていた。

 もちろん男性陣も衣服の水気を切ろうとしているが、そんなものは目に入らない。それどころか金髪犬娘ロインなど既に半裸である。ごう育ちのハモロ達は羞恥心が薄めなのだ。


「もう! じろじろ見ないの!」

 犬耳娘フィノが慌てて生み出した温風を浴びているが、今しばらくはその姿を堪能出来る。

「あはは~。カイ、べっちゃべちゃだよ~。脱いで脱いで~」

「そうだね。軍営であまり恥ずかしいも何も無いからね」

 下着だけで彼の服を引っ張るロインに微笑んでそう返す。


 軽鎧を脱ぎ捨てて上衣をはだけると荒縄で編んだような青年の肉体が露わになる。それには感嘆の声を上げる者もいる。


「さすがに鍛えられておりますな、魔闘拳士殿。先は背筋が凍る思いをしましたぞ?」

 虎獣人イグニスは彼の闘気に言及する。

「仕掛けてみましたが、変な機で降られちゃったので効果は薄そうです。何とか引っ張り出さないと長引いてしまいそうで嫌なのですが」


 彼の予想通り、剛腕はまだ動かない。

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