疑惑の陣中
帝国遠征軍内部では不死兵の噂が巻き起こっている。西部連合軍の獣人兵が不死の兵士なのではないかという疑惑だ。
それは領兵から広まった噂に端を発する。這いつくばっている瀕死の兵に連合の騎鳥衛生兵が駆け寄ると、多少はふらつくものの何事も無かったかのように立ち上がって自陣に戻っていくという目撃情報である。
当初は画期的な回復薬の存在や、逆に怪しげな薬が横行しているのではないかとまで囁かれていたが、目撃情報が集まるにつけ治癒刻印棒を用いているところまでは判明している。
ただし、既存の治癒刻印棒はそこまで劇的に作用はしない。あくまで
その上、魔法士ギルドが権利を保有するそれは非常に高価である。何千本と用意出来るような代物でもない。
どちらにせよ常識では計り知れない状況が噂を呼び、獣人兵を得体の知れない敵だと見做す話になっていってしまったのだ。
「兵はまだ怪しげな噂に惑わされているのか?」
帝国第一皇子ホルジアに尋ねられれば近習の将は狼狽えてしまう。
「い、いえ、正規兵までもがくだらぬ噂一つに惑わされてなどおらぬはずです」
「臆病者など我が軍には要らん。騒ぐ者は装備を剥いで放り出せ。魔獣の餌にしてやれ」
「滅相もございません。我ら勇猛果敢な帝国兵、殿下の御命に忠実に応えます事でしょう。ご心配召さるな」
兵の信頼は篤い剛腕だが、果断な一面も持っている。敵に背を向ける行為などには大きな処断を下す場合があるのだ。
「魔闘拳士にあしらわれているようでは名折れだぞ? 大陸に覇を唱えるなぞ夢物語。締めて掛かれよ?」
「は、仰せのままに」
西部連合の本隊が姿を現してから騎兵軍団も攻撃を仕掛けて来ていない。いいように足留めをされた格好だ。
自ら前に出て
(少しは耐えてもらわねば困る)
剛腕配下の諸将の一人、頭大将の位を持つホミド将軍は心の中で訴える。
(軍事に通じておられるホルジア殿下ではあるし、我らの意見も要れてくださる度量の持ち主でもあるのだが、いかんせん真っ正直すぎる)
彼の考える機はまだやって来ない。それまではあまり大胆に軍勢を動かして欲しくないところである。
(戦争というのは力と力のぶつかり合いで終わるものではないのですよ。相手に隙を作ってから確実に仕留めに行かねばならない。一筋縄ではいかないと理解していただきたい)
陣営の中では毛色の違う存在だとは自覚があるが、それだけに働きどころがあるとホミド将軍は思っている。
彼の送った密使が結果を出してからが本当の戦いなのだ。
◇ ◇ ◇
西部連合側の布陣は非常に特殊な形になっている。
ラムレキア国境の反対側、南側の右翼陣はジャイキュラ子爵モイルレルが率いる四万。内訳はジャイキュラ領軍二万とジャンウェン領軍のうちの二万で構成される。
中陣には諸侯の一万の領軍兵力が位置し、その後方にはジャンウェン領軍の残り一万が本陣を組み、盟主ルレイフィアを擁している。
そして国境側の左翼陣をベウフスト候軍三万と獣人戦団三万、計六万が形作っている。
これは変則的な指揮系統から決められた。
盟主の下で司令官を務めるのはジャンウェン辺境伯ウィクトレイで、本陣と諸侯軍の指揮も執る。モイルレルも彼の指揮を仰ぎつつ右翼を運用するのだ。
しかし、ベウフスト候軍と獣人戦団の指揮を執るのはカイである。最初は全てウィクトレイに任せる方向で話を進めていたのだが、獣人兵団全体の士気を鑑みた場合、青年の指揮下に置く方が有効であると髭の老練貴族が判断したのである。
従って、カイの作戦立案のもとイグニスの用兵で左翼六万が運用される方針で落ち着いた。拳士が仲間四人で随時遊撃するにはその指揮系統にするしかなかったのだ。
虎獣人候の傍には目の良いヘイゲンオオミミネコの獣人が専属要員として付き、黒髪の青年のハンドサインを読み取ってイグニスに伝える方式が取られた。
「ええ、ですからそのまま命令通り守備に就いていてくださるだけで結構です」
左翼陣中を訪れているのはラムレキア国境警備隊の使者である。
彼らは軍師でもある王妃アヴィオニスから国境守備を命じられているが、要請があった場合はカイへの助勢も指示されていた。なので伺いを立てに国境を越えて彼への使者を送ってきたのである。
「承りました。では国境守備任務を継続させていただきます」
「王妃殿下には僕からの感謝をお伝えください」
「了解であります!」
敬礼をして使者は戻っていった。
ラムレキア国内各地の国境砦には遠話器も備えられているだろう。彼らが指示通りの仕事をしたのは、感謝の言葉とともにそこから伝えられるはずだ。なので、敢えて個人的には連絡しないでおく。
「助勢と言っても意味が違うのにね?」
肩を竦めて苦笑いのチャム。
「そうだね。万が一僕達が敗走してきた場合、黙って通してくれたり、帝国軍への警告を行って足留めしたりしてくれるのも助勢だからね」
「アヴィはその意味で命令しているんだろうけど、末端までは意図が伝わってないみたい」
「いざって時はやってくれんだろ? そんな事になってもらっちゃ困るんだがよ」
そこまで徹底されていないのは、緩やかな命令でも意図通りに動くと信じているからだろう彼らは考える。
「そんな訳ですので、最悪の時でも北にも退路があると頭の片隅にでも置いていてください」
「一応は承りますが、魔闘拳士殿の指揮で動く以上、考え難い事態でありましょう?」
遣り取りを聞いていたイグニスも牙を剥き出す。彼の場合は苦笑でも獰猛に見えてしまうから損かもしれない。
「いえいえ、何が起こるか分からないものですから、気を付けてくださいね。でもまあ、序盤戦はそれほど動く気は無いのですけど」
「いやはや意地のお悪い。貴殿が敵では無かったのが、我が人生に於ける最大の幸運でありますな」
「大袈裟な」
虎獣人もカイの言葉の意味を汲み取っていた。
「そろそろ慣れてきたんじゃねえか?」
トゥリオは自分の苦労を共有できる相手を見つけて喜んでいるようだった。
◇ ◇ ◇
(鈍いな)
それがモイルレルの感想であった。
帝国遠征軍は話に聞いていた当初の陣形とは変化してきていた。
正規軍の陣の配置は変わらないのだが、領軍は分割されて個々に陣を形成せず、中陣の両翼を形成している。それぞれが四万五千足らずほどの兵力だろう。
各個撃破を怖れた為か、陣容全体では二段重ねの変わった双翼陣に展開していた。
後方の正規軍騎馬兵団を警戒しつつ、モイルレル指揮下の右翼陣が重装歩兵を前列に敷いて押し出していくのだが、呼応するような動きが見られない。
「
伝家の宝刀である遠距離魔法戦を仕掛けてくるのかと思い、防御を厚めに取るがそう言った反応も薄い。
(何を企んでいる? わたしも帝国の将の末席に連なってるもの。手の内は知れてるというのに)
帝国正規軍がとる基本戦術はモイルレルの頭にも入っている。そういう意味ではお互いにやりにくい相手であるのは確かだが、それを差し引いても消極的に過ぎると彼女は感じてしまう。
そうこうしているうちに、軽く魔法攻撃の撃ち合いを経て両軍が衝突する。それも今一つ気合の乗らない槍での叩き合いが続いていた。
(何、これ?)
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