聖なる戦い

 出兵を決意し、宮廷貴族を説得し、王からも御意を得た男は、練兵場に居並ぶ八千の兵が立てる金属鎧の音に耳を傾けている。


(これは大きな賭けだ。この長征が成功せねば私はもちろん、この国にも未来は無いだろう)

 三前の大失態で、王国は求心力を急速に失っている。国の中心に魔の眷属を抱えながら、それに気付かず国を動かそうとしていたのである。国民の失望は計り知れない。

(それでも教会の後押しを受けて立て直そうと尽力してきたがもう限界だ。このままでは民の不満が爆発するは近い)

 それだけに成功させねば全てが終わる。


 練兵場には王国軍八千の他に、白銀の壮麗な全身鎧を着けた騎士の列も見受けられる。彼らは神聖騎士を筆頭にした教会の神聖兵の一団である。

 その三千を加えれば遠征軍は一万一千を数える。の国の叛乱勢力の後背を脅かすには十分な戦力になるはずだ。

 使者からの連絡で叛乱の徒は既に出兵して本拠地の防備を手薄にしていると聞く。そこを突いて占拠してしまえば叛乱勢力に動揺が走り、士気は地に堕ちる。元々開きのある戦力比にその一撃が加われば、早晩叛乱軍は敗北に追い込まれる。

 大きな尽力があった国は、の大国の中心的な同盟国へと躍進。再びの栄華の時を得られる未来に手が届く。


(この予想図の為に、彼らには必ず事を成して戻って来てもらわねばならない)


 メナスフット王国宰相ボウレン侯爵は、長征の成功を神アトルに祈った。


   ◇      ◇      ◇


 騎兵軍団で与えた損害と危機意識は帝国軍をそこに釘付けにした。

 その間に西部連合軍本隊八万がスリンバス平原に進出し、少し離れて野営を張っている騎兵軍団と合流を果たす。ここからが本格的な会戦となる。


「お疲れ様」

 ベウフスト歩兵軍団を迎えるイグニスや、行軍してきたジャイキュラ領軍への指示で忙しいモイルレルが外しているので、カイが出迎えてくれた。

「ごめんなさい、お兄ちゃん。旅慣れないルルがいた所為で遅くなってしまいました」

「そんな事はありませんぞ。殿下は行軍の間、不平一つ口になされませんでした。ご立派です」

「そうなんだ。偉かったね」

 謙遜したルレイフィアだが、ジャンウェン卿が真実を語ってしまう。

「気にする必要はないよ。歩兵の行軍速度がどのくらいかは僕のほうが知っている」

「えへへ。ルルが平気だったのはお兄ちゃんがくれたこの新型車輛のお陰なの」

「それでも一揺られていたら疲れるものさ。よく我慢したね」

 腕を差し出してくれたので、乗り出して身を預ける。抱えて降ろしてもらい、肩口に顔を埋める。戦場のカイからは染み付いた血と泥の匂いがした。


「恐縮です」

 青年が差し出してくれた果汁を薄めたジュースは今日も冷たくて美味しい。彼の肩に移ってしまったノーチが甘える様を見ながら味わっているとそんな声が聞こえた。

 見れば御者をしてくれていた老家令モルキンゼスが、チャムに手ずからお茶を淹れてもらって渡されている。彼らはそういったところに全く境い目が無い。誰か手隙の者が気を遣えば良いと思っているようだ。冒険者暮らしが長い所為だろう。


 以前、ルレイフィアが麗人の行動から学びたいと思うと口にすると、青年は笑顔のままゆっくりと首を振った。

 確かに市民と同じ視点を持つのは大事だと言う。しかし、ずっとその視点でいるのは一概に良いとは言えないそうだ。責任を負う者はそれに相応しき視点で物を見つつ、市民目線も忘れないようにしなくてはいけないと諭された。

 確かに神使の女王も一冒険者のように振る舞いながらも、品格や磨かれた所作は失われてはいない。それでいて末端の者に至るまできちんと目配りして配慮が出来る。彼女のようになるには長い長い坂道を登っていかなくてはならないだろう。

 それを思うと気が遠くなりそうだが、兄と慕う人がルレイフィアにそれを望んでいるなら応えたいと望んだ。


「みゃう~♡」

 茶虎猫のルキードと三毛のスーメルも跳び下りてきてしゃがんだカイのところへ寄っていく。燻製の香りがする魚をほぐしてもらって、灰虎猫のスーチと一緒に皆がにゃぐにゃぐ言いながらおやつを楽しんでいる。


「どんな感じですかな?」

 美貌が差し出すお茶に何度も礼を言いつつ受け取ったジャンウェン卿ウィクトレイが尋ねる。

「一万以上は削ったはずよ。もっと減らしたつもりなんだけど、帝国は魔法士部隊がしっかりしていて戦闘復帰率も高いからそんなものかしら?」

「そんなにもですか? 二十万相手に四万足らずで?」

「合流までにこちらの損耗は抑えたかったから、そんなに無理はしてなくてよ?」

 奇襲奇策の類を主に用いていたと語る。

「だが、ありゃあダメだな。奴ら、領軍がいくらやられても気にしてる風がねえ。正規軍にそれなりの損害が出ねえと退かねえだろうな」

「トゥリオの言う通りでしょうね。領軍の陣を盾のように前面に押し出しています。反発されるとも思っていないかのように。そこに狙い目も感じているのですが?」

 猫達の口元を拭いてやっていると、青年は一策を献じている。

「難しいでしょうな。中心に剛腕がどっかりと座っている以上、領兵などは逆らう気など起きはしません。帝室の力はそれほどまでに強いのですよ」

「そうですか。では離間策は打っても無駄って訳ですね」


 連合軍は帝国正規軍を叩きに行かないと始まらない。しかし、そこには領軍という壁がある。打ち砕かないと手は届かない理屈ではあるが、領兵達にとっては堪ったものではない。

 不憫には思うが、選んだ主君が帝室寄りでは致し方なかろう。現実に、日和っている諸侯も見られる。彼らは剛腕の呼び掛けにも応じていないらしい。


「板挟みになっているのは可哀想です。何とかしてあげられませんか?」

 領兵も帝国臣民だと思えば胸が痛む。

「難しいね。戦況が劣勢の時に降伏の呼び掛けは出来るだろうけど、主君の前で武器を放り出してこいねがうのは無理だろうから、逃げ道を作っておいて追い散らすのがせいぜいかな?」

「簡単に降伏するようでは信用を失うわ。今生き延びてもこの先兵士として生きていけなくなるものね。徴用兵でもない限り、その辺りが落としどころかしら?」

 手に職を持たない雇われ兵士は戦場働きしか示すものが無いと説明してくれる。

「国の在り方そのものから変えなくては、命乞いも出来ない人がいるのですね?」

「各領地が領兵を持たなくて済む治世を願うのは革新的に過ぎるかな? でも彼らが無闇に戦場に駆り出されないような国作りをするのはきっと難しくないね」


 理解したルレイフィアは深く頷いた。


   ◇      ◇      ◇


 頭には金細工を施された銀のサークレットのような兜を被り、各所にミスリル銀の細工を散りばめた皮鎧と肩当てを纏い、小さな身体を大きく見せるように広げて兵士を鼓舞する言葉を連ねるルレイフィアを見ていると、チャムはつい微笑ましく感じてしまう。


「あの時分の娘って心も身体も成長が早いわね。どんどん吸収していっているのが実感出来るわ」

 環境が厳しい所為かとも思うが、それは口にしないでおく。

「みるみるうちに面持ちまで貫禄が増していってるみたいですぅ」

「それだけに気を付けてあげないといけないね」

「そうね」

 隣の筋肉の塊に目をやる。

「大事な時期に師に恵まれないと変にいじけちゃったりもするものね?」

「俺の事かよ!」

「さあ、誰かさんと違って素直で感受性が強いから見えているものも違うんじゃないかな?」

 徹底して無視する。


「いや、だから俺の事かよ!」

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