モイルレル進撃

(誘い込んでいるの? どうにも読めない)

 ジャイキュラ子爵モイルレルは平然としていながらも、胸中は深い迷いに捉われていた。


 衝突からこちら長柄の武器での叩き合いが始まったものの、お互いに熱のこもらない戦闘が続いている。対する領兵軍は列を締めて固い装備を並べているが、すぐ後ろの列との間に隙間が見える。本来は詰めて押し支えるくらいでないといけないのに、どこから見ても及び腰にしか見えない。


(抜かせて正規軍左翼にぶつけた後、包囲戦に入る気?)

 そんな読みに至るからこそ、あまり強く押せと命じられないでいるのだ。


 支えきれずに一角が崩れる。焦れた味方が少し強めに踏み込んだのだろう。

 そこから乱れが波及して前列が横並びに崩れていく。そんな動きがモイルレルの位置からは数ヶ所も確認出来た。


(あー、そのまま進んじゃうと穴を開けちゃうかも。これ、一時後退を命じるところ?)

 心中穏やかではないだけに、配下には絶対に聞かせないような言葉が浮かんでくる。


 お家騒動の結果家督を継ぐ羽目になったのだが、彼女とて未だ二十も半ばの妙齢女性なのである。周りに置く従軍メイド達とはそんな口調で気さくに話しているのだ。

 あまりに体裁が悪いので公式には相次いで家族が不幸に見舞われた事になっているが、実際には家督を巡って骨肉の争いが起こり、凄惨な血の宴の果てに生き残ったのがモイルレルだ。

 その無様な様子に主君を見限った家臣団が、細やかな気配りの出来る彼女の下に集まっている。彼らに支えられ、本人の才覚もあって翼将軍の地位へと昇っただけの話である。


 押すにも退くにも判断が難しい現状に動かないでいると、敵前列は総崩れになってしまう。勢いの付いた軍勢はそのまま突き崩しに入っており、押せ押せの空気が高まってしまっていて今更退けと言うのも憚られる雰囲気だ。


(いや、だから何なの、これぇ!)

 後列以降も腰が引けているとしか思えない反応。


『いつも通りにやってくだされば結構ですよ』

 その時、軍議の最中に魔闘拳士が彼女に向けた言葉が頭をよぎる。


(そういえばあの時の彼の顔!)

 普段通りの朗らかな様子ではあったが、何か含みがあるような微妙な色が混じっていたように思う。その場では気にも留めなかったが、今ではこの状況を想定していたのではないかと思えてきた。

(もしかして騙されている? 本当は普通にやっちゃいけなかったのに、私を試そうとしてあんな事言ったってこと?)

 踊らされているような気さえしてきた。


(…………。いいや、行っちゃえ!)


 腹立たしさが湧き上がってきて、モイルレルは進撃の剣を振り下ろした。


   ◇      ◇      ◇


「やはり動けませんな」

 イグニスは敵左翼の動向を見ながら意見を述べる。

「しゃーねえだろ? あんだけ振り回されたんだ。相手が違うとは言えよ、何をやってくるか分かんねえと思っちまう」

「怖くなっちゃったんですねぇ」

 フィノもまた相手の心理状態に気付いたようだ。


 獣人戦団の常道外れの奇策への対処に追われた領軍は、再び西部連合軍の策に掛かって大きな被害を出さないよう消極的な対応を行っている。どこでどんな策を打ってくるか分からない以上、思い切った攻撃に踏み切れないのだ。

 それを助長しているのがモイルレルと言う存在である。彼女は細やかで堅実な用兵の出来る将。それだけに巧みで優れた指揮をするのだが、全体に用兵は遅い。じわじわと攻めるのである。

 その遅さが相手を誤解させる。ゆったりと構えて攻め寄せつつ、どこかで機を窺っているのかと思わされてしまう。敵にしてみれば焦らされているように感じながらも、いつの間にか攻め込まれている印象だろう。


「でもこれ、相手も消極的にならざるを得ないだろうけど、モイルレルもすごく戸惑っているんじゃないかしら?」

 チャムは彼女の気持ちも慮ってしまう。

「たぶん困っただろうね。僕がいつも通りで構わないと言ったところで敵がいつも通りじゃないからさ。でも、そこで退くほど彼女は愚将ではないみたいだよ」

「おお、押し込んでる押し込んでる」

「名将なら、時に思い切りも必要だって解っているものねぇ」


 ジャルファンダル動乱をともに戦って優秀だと思ったからこそ、カイも彼女に必要以上に助言をしなかったのだろうと思う。この先の戦い、彼女には柔軟さも欲しているから、この局面を乗り越えて欲しいと期待している。


 青年の黒瞳がそれを物語っているように麗人は感じた。


   ◇      ◇      ◇


(まだ押し戻して来ない。これ、何かあるんじゃなくて、何かされるんじゃないかと怖れてるのね。魔闘拳士は敵にどんな魔法を掛けたっていうの?)

 本当にそんな魔法が有るとは思っていないが、皮肉ってみたくなったモイルレルである。


 前列を突き崩された領兵の左翼陣は押し負けるように僅かずつ後退している。しかし、それ以上の速度で彼女が率いる右翼陣が突き進んでいるので、徐々に横長に展開して受け止めようとしているようだ。

 モイルレルは訓練好きなので彼女の兵は指揮に遅れる事はない。残り半分のジャンウェン領軍もかなり絞られているらしく、出遅れたりしなかった。練度は相当高いと思える。


 ならば出来る事も増えてくる。狙い目を探して彼女は目を走らせた。

 抵抗を示しているのはやはり領兵を率いる諸侯の周辺である。潰しておきたいところだが、さすがに精強な兵を揃えているだろうし家臣で固めてもいるだろう。騎馬が多いのもあって、味方の損耗を考えれば普通に突撃は掛けにくい。


(普通なら間延びした両端に騎馬隊をけしかけたいところ。でも、敵の心理状態が普通じゃないのなら、敢えて普通は避けて意表を突くほうが動揺を誘えるはず。なら、こうする)

 モイルレルは旗手に信号旗を振らせる。


 ラッパの合図に合わせて騎馬隊が突進を始める。それも前衛を迂回させるのではなく、歩兵の間を割いて進むように命じた。

 これには敵の諸侯が過敏に反応する。前面に展開して重装歩兵に対しようとしていた騎士達が後退して、諸侯を中心に円陣を組むように陣形を変えた。

 魔法士部隊に散発的な攻撃を命じて敵魔法士を黙らせると、弓兵隊に円陣を重点的に狙わせる。牽制の遠距離攻撃を仕掛けているうちに、重装歩兵を進めて円陣を半包囲させる態勢を作り上げた。

 後は盾で防備を固めつつ、長槍で突き回すだけ。機動力を封じられた騎馬隊など重装歩兵には脆い相手になる。馬が突き崩され、落馬した騎士も集中攻撃で倒し、皮を剥くように防御を落としていく。ついには諸侯も、逃げ回った挙句に討ち取られるか、不利を悟って突進してきたところを騎馬隊で押し包んで潰されるかの差でしかない終わり方をした。


(思ったよりずっと簡単に落ちるものね)

 そうは思うが、こんな奇手が通じるのは敵の状態次第。変に酔ってはいけないと気を引き締める。


 モイルレルが戦場で学んだのは、堅実な用兵が最も味方の損耗を防ぐということ。ひいては負けない戦いが出来るという意味である。それだけは忘れてはいけないと心に誓っている。


 主君を討ち取られれば領軍は簡単に崩れ立ってしまう。この会戦の間の報酬くらいは帝国軍が補償してくれるだろうが、それでお終いなのだ。次の勤め先までは保証してくれない。戦闘に身が入る訳がない。


(えーっと、ここからはどう進めれば良いの? まさか初戦で同数の敵陣一つが落ちるとか思っていなかったし)

 彼女は本陣のほうを時折り窺いつつ深追いしないように兵を纏める。


 しかし、勝ち過ぎればそこに落とし穴があるのにまだ気付いていない。

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