戦団躍進
「お嬢、司令官……、カイ殿からの指示は輪形陣だ」
自身もハンドサインを確認したロインはすぐに答える。
「だね~。右回り機動展開~」
「了解。右回り機動展開!」
朗々と副官の声が響く。
「坊や、うちは輪形陣だってさ」
女獣人ミルーチは意識して艶っぽい声で伝える。
「止めてくださいよ、ミルーチ。ここは戦場ですよ? それと『坊や』も止めてって言っているじゃないですか!」
「男なら奮起しなさいな。そんなところが坊やだって言っているのさね」
「むぅ! 左回り機動展開!」
女豹獣人はほくそ笑みつつ復唱する。
「左回り機動展開!」
穿孔陣で切り込まれている領軍の方形陣は大きく乱れを見せている。側方から大きく崩され、分断された陣は輪形陣に削られている。一定の流れが作られた獣人戦団は特に指示を下さずとも連携して動き、輪形陣が張り出すように敵を粉砕している。
それでなくとも穿孔陣の真正面、斬り込み隊長としてカイが先頭に立っているのだ。
◇ ◇ ◇
「魔闘拳士……」
紫色の
打ち掛かった兵の槍の穂先は鉤に絡められて折られる。回転した刀身が寝かされると瞬時に横に走り、胸元を大きく斬り裂かれて倒れ伏す。
数歩進んできた黒瞳の戦士が下から跳ね上げた刃が受けに回った兵士の剣を断ち割った。弧を描いた斬撃が肩口から落とされて血飛沫が舞う。横合いから迫っていた兵士は気付くと胸の中央に切っ先が突き立っていた。
武器が封じられたと思い込んで殺到する領兵に左のガントレットが向けられると幾人もが身体の各所から血を噴いて倒れていく。
「ひ、いぃ、銀爪の魔人!」
怖れをなした領兵の中には背を向けて逃げだす者が出始める。領兵軍の形作る方形陣も全体に押されるように中央の帝国兵の方陣に接近してきていた。
「貴様らぁ! 敵を前に逃げ出すとは何事かぁ!」
帝国軍の指揮官から怒号が走り、横を擦り抜けようとする領兵を長剣の腹で殴り飛ばした。
「逃げる者は斬り捨てるぞぉ!」
これは単なる脅しであるのだが、やられたほうは堪ったものではない。
「味方を攻撃するのか! お前らこそ何様だぁ!」
「冗談じゃないぞ! 近寄るなぁ!」
武器を振り回しながら駆け込んでくる領兵が増え、そこで衝突が起こる。
しかし、当の獣人戦団は転進を始めていた。
◇ ◇ ◇
「ま、マズいぞ」
獣人戦団が陣形を変化させつつ領兵軍の陣に切り込んでいった時は、ベウフスト軍の参謀部員も慌てる。そのまま突き進まれると、帝国正規軍本体にまで進みかねない。そうすれば救援を出さないと押し包まれてしまうだろうし、騎馬兵団八千でも救援としては足りないだろう。
それも想定外に疾い戦団の機動に対応し切れず満足な指示が出せなかった自分達の失態である。ここで見殺しになどすれば、後々無能者の烙印を押されてしまうのは間違いない。
「閣下、今のうちに撤退命令を! このままでは我らが前に出て退路を築かなくてはいけなくなりまする!」
窮した参謀達は撤退を進言するが、獣人侯爵は戦況に見入っている。
「そうか? どうも問題無さそうだぞ? あれはひと当てしただけで戻ってくるな」
「は? そうでありましょうか?」
「閣下のおっしゃる通りだ」
副官のアスカタンも戦団の動きを注視していた。
確かに戦団は右に転進を始めており、離脱への機動を始めていた。領兵の方陣一つを完全に崩壊敗走させただけで、満足げに戻ってくる気配を見せている。
「これはいかんな。全て魔闘拳士殿任せになってしまった。我々は少し考え直さなくては申し訳が立たぬぞ?」
兜を脱いで頭を掻く虎獣人イグニスに、参謀達は言葉もなく平服するしかなかった。
「帝国軍全体が進軍を停止しました。当初の目的は達成しております。戻り次第、再度の打ち合わせをすべきかと愚考します」
「だろうな。どうも思い違いをしていた。決して彼らは寄せ集めの集団などではない」
戻る時も素早い機動を見せる戦団を、彼は苦笑いで見つめるしかなかった。
◇ ◇ ◇
「なぜ止まったか? 我は命じておらんぞ?」
第一皇子ホルジア・ロードナックは不満げに問い質す。
「先ほどご報告申し上げた西部連合の尖兵の襲撃で、左前列の領軍の陣が敗走したようです。現在、負傷者の収容と領軍の再編を行っております」
「敵の規模は?」
「三万の騎兵部隊だと報告されておりますが?」
その内容に眉根を寄せる。
「聞き間違いか? 騎兵部隊が三万と聞こえたぞ?」
「いえ、間違いではございません。三万の騎兵が一団となって機動戦を仕掛けてきたそうであります」
「彼奴らめ、騎兵を掻き集めてぶつけて来たか。するとそのうちに本隊がやってくるという事だな?」
西部連合の戦力規模から推定する。
剛腕率いる軍は、重装歩兵を含めた歩兵団三万を中列前段に、騎馬兵団二万と歩兵団一万の兵団を中列前段、それに続いてホルジアの居る騎馬兵団本隊一万、更に中段と同じ構成の騎馬兵団三万が中列後段に控えている。
それを領軍二万ずつが五つの兵団を組んで囲んでいる。陣頭に一つと左右に二つずつの領軍兵団が位置して行軍してきたのだ。
そのうち、正規軍に五万の騎兵、領軍兵団にそれぞれ五千で総勢二万五千、合わせても七万五千ほどが騎兵である。二十万の大軍勢でさえ割合的にはそんなものだ。想定される西部連合の十数万の兵力からすると、三万の騎兵はそれがほぼ総数だと考えてもおかしくはない。
「おそらくは仰せの通りかと思われます」
精強な帝国軍でも、七万五千の騎兵を維持しようとすれば大量の輜重が必須である。かなり密な補給線も構築されているからこそ、その戦力が保有できるのだ。
「ならば本隊到着まで補給が滞るであろう? 騎馬兵団にそれほどの継戦能力は無い。押し通れ」
「それが、どうも領兵どもが敵勢の中に魔闘拳士の姿があったと騒いでおりまして、再編が遅れているとの話でありまして」
「魔闘拳士だと?」
正規軍前段に逃げ込もうとした領兵と正規兵の間で衝突があったとは報告出来ない。剛腕その人の怒りに触れるのを怖れての事だ。
「南部で足留めしていると聞いていたが?」
「確認不足ではありますが、そのような報告が」
「事実であるなら構わん。ふふふ、それはいい。行軍は止めだ。ここで討ち取ってやろう」
ホルジアの相貌に凶悪な笑みが浮かび上がる。どうやら
「それでしたら陣容の再編を提案いたします」
行軍陣形のままでは、今回のように領軍兵団から各個撃破される可能性が高い。足を留めるなら、陣容は整えなければならないと考える。
「ふむ、未だ敵の本拠は見えないが、ここで挫いてやっても良いな。二度と叛意など抱かせぬほどに」
「仰せのままに」
ラムレキア国境は近いが、占領地まで捨てて撤退した敵国の事まで気に掛けないでも良いだろう。西部連合と連携しているかもしれないが、それなら優勢だった戦場を捨てずに西部からの援軍を待ったほうが効率的だ。
現状ではラムレキアの援軍が到来する可能性は低いと考えてもいい。油断は出来ないが必要以上に警戒しなくても良いだろうと将達は考えていた。
◇ ◇ ◇
「魔闘拳士か、面白い。どれほどの男か見定めてやろうぞ」
勇者王や
その手で討ち取れば彼の勇名は大陸中に轟くと確信し、思わず柄を持つ手に力が入る剛腕であった。
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