押し寄せる波頭
ロードナック帝国北西部に位置するスリンバス平原は比較的人口密度の低い地域である。
気候は温暖で耕作にも向いているのだが、いかんせんラムレキア国境が近い。帝国との確執が本格化してからは繰り返し軍馬の蹄に掘り返されてきた大地。そこに住み続けて故郷にするにはいささか厳しい環境になってしまった。
人の手が遠退けば自然と草原性魔獣の棲み処へと変化していく。普段は彼らが闊歩する地になった平原には、今は驚くべき数の
「皮肉なものだな」
そう口にした虎獣人の周囲を囲む一団は主に軍馬に跨っている。ベウフスト騎馬兵団八千は慣例通り騎馬戦闘を旨とした戦闘集団であるが、現状の主力となる獣人戦団は全てが騎鳥兵なのである。
その獣人戦団の装備は各国からの支援物資で賄われている。そう考えれば掻き集めの品ばかりが目立つかと思えば、果たしてそうではない。神使の女王が任命するゼプルの騎士が率いる戦団に寄せられる物資は、各国が競って自慢の品を揃えた。
それだけに名品とまでは言わずとも、相応に高品質の装備品が送られてきていた。
「下手をすれば我ら騎馬兵団より高価な装備を揃えていないか?」
あの動乱からも無事落ち延びていた副官のアスカタンに問い掛ける。
「そう申し召さるな。戦争とは装備品でするものではなし。練度では劣るものではないと思いますれば」
「そうであろうか?」
「この、我が角に賭けて誓いまする。主格は我らが騎馬兵団であるのは間違いございません。閣下なくしてこの作戦は適いますまい」
フタツノイタチの獣人である副官は、何かにつけて自分の角に賭けて誓いを立てる。どうやら彼の種族にとっての角が矜持に大きく関わっているらしい。
(どうだろうか? あの魔闘拳士殿がそんなに修練を疎かにするとも思えん。相応に鍛えられていると思うが)
副官よりは彼に接してきたイグニスにはそう感じられてならない。
青髪の美貌が伝えてくれたエルフィンからの情報では、剛腕の軍もスリンバス平原に迫っているという。斥候からの報告もそれを裏付けていた。
獣人侯爵が命じると停止旗が振られ、全軍が停止する。獣人戦団の年若い指揮官達は当初これに慣れない様子で戸惑いを見せていた。彼らは基本的に黒髪の青年のほうを見る癖が付いていて、信号旗に気付くのが遅れたりする。そこは元帝国兵の副官がフォローしていたようだが、ようやく形になってきていた。
その青年を含めた四人のパーティーは状況に応じた遊撃を行う事になっている。戦略も戦術も理解している彼らが、何の理由もなくそれを阻害するような行動は見せないと分かっているし、ベウフスト候軍の指揮官達も魔闘拳士に命令を下し行動を強制するのを怖れたという事情もある。
当の四人は戦団の中ほどに位置して、色とりどりのセネル鳥の背の上だ。三つの戦隊は主に女性で構成される衛生部隊二千を中心に守るように展開して行軍しており、その先頭辺りにカイ達の姿が見えている。
戦闘機動を始めるとともに後退する衛生部隊に不安感を与えないような気遣いが感じられた。
「閣下」
休息を挟んで斥候からの情報を統合していたイグニスに副官は注意を促す。
「来たか」
平原の彼方からゆったりと行軍する二十万の大軍が押し寄せる様が確認出来た。
中央には数多くの帝国正規軍の旗がひるがえり、脇を固めるように各地の領旗が風になびいている。
当面は情報通りの構成をした敵軍は、こちらの姿を確認すれば機動展開を見せるか、或いは無視して軍を押し進めようとするかは不明。それによって別の対応が作戦として全隊に示されていた。
観察する限りは後者のようである。斥候隊はこちらに目配りしつつ本隊の元へと往復を繰り返しているが、本体は止まらない。こちらの構成を把握しつつも、そのまま進む方針らしい。
つまりその程度の兵力で掛かってくるなら掛かって来いという姿勢であった。
この場合の作戦は、まず獣人戦団が攻撃に入る段取りになっている。騎馬兵団は、劣勢になった箇所へ暫時投入して立て直すために待機の形になる。
作戦開始の信号旗が振られると、衛生部隊は整然とイグニスの居る本隊の後方へ移動。ハモロ戦隊を中陣に、左翼にゼルガ戦隊、右翼にロイン戦隊が展開し、錐形陣を形作って進撃を開始した。
「疾い!」
獣人戦団は一気に帝国軍の先陣を掠め過ぎると、小さな円弧を描いて敵左側面に接触する。
「まだ何も……」
高台から遠見の魔法で帝国軍の対応を監視していた副官や参謀は、相手が対処に動く前から接触する様子を見ている。敵の対応を見てから細かい機動展開指示を下そうとしていた彼らは、何も考えられないうちに衝突が始まってしまったのである。
(これは想像の遥か上を行く!)
イグニスも顔を顰めずにはいられなかった。
未だ目を剥いたままの参謀部員は何も出来ないままに、当初の作戦通りの機動を見せる獣人戦団を眺めているだけ。困惑の中で指示一つ下せていない。
◇ ◇ ◇
「魔法斉射止め!」
ロイン戦隊の副官ジャセギの指示が大きく響き渡る。
左側面の領軍の層に急接近して騎鳥の魔法斉射で崩しを掛けていたが、魔力の温存の為に数斉射に納めておく算段である。
それでも、こちらの全兵力が獣人兵で構成されていると考えている帝国軍には十分な牽制になったはず。実際に大きな乱れを見せている。
「突撃!」
ハモロ戦隊が真っ先に接敵すると、そのまま斬り込んでいく。歩兵が中心の領兵は騎鳥隊の突進に耐えられず両脇に退く。そこから腕を伸ばすように広く展開し、戦団を飲み込もうとする様子を見せるがそうはいかない。
(右翼前面に移動)
カイが指差すと、四人はハモロ戦隊とロイン戦隊の間隙を縫って前面に進出する。
「
爆裂の力を秘めた魔法が走る領兵の頭上から雨あられと降り注いだ。
多くは
(指示は無しか。戸惑っているな?)
本陣を一瞬だけ確認したカイは、このままではただ衝突だけで事態が進行するだろうと悟る。陽動の為にはここからの機動展開が必要なのだ。敵中深く斬り込んでいけば磨り潰されて終わる。
(慣れないうちは無理だったかぁ)
どうやら戦団の高速機動に頭が追い付いていないようだ。
彼は高く腕を掲げてハンドサインを送り始めた。
◇ ◇ ◇
「やっぱり旦那から指示が出やした」
正面に集中しているハモロに変わってオルモウが確認する。
「何て?」
「うちは単独穿孔陣でやす。お嬢達は輪形陣」
「解った。ハモロは右、オルモウは左」
「了解ですぜ」
インファネスで彼らは様々な陣形を計画して、話し合いの上で詰めている。この穿孔陣はその一つ。
戦隊を五千ずつに分けて、鋭利な錐形の陣形を取る。先頭の兵は敵を切り崩しつつ側方に流れ、後ろに控えていた兵が正面に打ち掛かりまた側方に走り抜ける。陣形内で左右に分かれる対流のような流れを作り、常に気力を充実させた尖兵が前面の敵を切り崩しつつ穴を開けるように斬り込んでいく陣形である。
こうして一戦隊でも作り上げられるし、戦団全てでこの陣形を取るのも可能。今回は中央のハモロ戦隊がこの穿孔陣を取り、両翼の戦隊は輪形陣を取る。これは全体が回転する鋸の歯のように機能し、敵陣深く進んでいく戦法である。
(カイは戦団だけで本陣まで切り込んでいく気かな?)
大胆な決断でも、狼獣人の少年は付き従う覚悟を持っていた。
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