魔性の誘い
一応は追撃を警戒しつつ帰還する獣人戦団。衛生部隊が一斉に散って迎え、負傷者を癒していく。彼女らの激励は戦士達の心も癒している事だろう。
僅かな戦死者を馬車に収容しつつ、戦団はベウフスト騎馬兵団の傍まで帰ってきた。
「先陣お見事でございました、魔闘拳士殿」
戻ってきて、武器の血を拭っている冒険者達に話し掛ける。
「指揮が行き届かなかった事、お詫びいたします」
「構いませんよ。練兵の様子を見るくらいではどの程度動けるかまでは見て取れなかったみたいですね?」
参謀の汗は止まらないが、黒瞳に怒りは感じられない。
「申し訳ない。練度が足りぬのはこちらのほうでありました」
「まあ、一度見ていただかないと運用に関しての話も出来ないと思っていましたので、良い機会だと思います」
「そう言っていただけると助かります」
彼の見通しを聞いて、少しは落ち着ける参謀達であった。
「とは言え、どうしたものかと思っております。どうだ、可能か?」
振り返ったイグニスは、参謀に問うが彼らの顔色は優れない。
戦闘時の参謀の役割は、作戦の進行具合の確認と戦況による調整である。状況によって陣形を組み替える事もあるが、それは毎度の事ではない。
敵味方お互いに陣を並べた時点で、或る程度の流れは決まっているようなものなのだ。それが駒遊びや机上演習との大きな違いであろう。
「展開が早過ぎて未だ慣れぬところがございます。今しばらく勉強させていただけぬものかと?」
矜持に拘らず、素直に吐露する姿勢は好ましい。が、それでは戦場は回らない。
「基本的には数手先まで睨んで動かせば良いのですが、どのように動けるかが掌握出来ていないと難しいですか?」
「情けない事ながら」
「ではこうしましょう」
拳士は戦団のほうを指しながら続ける。
「指示命令はもっとざっくりとしたもので構いません。『直進』『左右転進』とか、或いは『打撃継続』『一撃離脱』『陽動反復』など大雑把な指示を下せば彼らは戦術が頭に入っているので、状況に即したもので対応出来ます。そんな感じでどうでしょう?」
カイが説明を続けていると、各戦隊の指揮官の少年少女や副官達も大きく頷いている。そういった運用でも十二分な働きをする自信が彼らにはあるのだろう。
(実戦経験はこうも彼らを強くしていたのか)
獣人侯爵は、鍛え上げられた戦団の連携に内心で溜息が出る。
「譲歩をいただいたのだ。やって見せろよ?」
主君の下命に参謀は首肯する。
今後の彼らの仕事は、他の陣と戦団との連動調整になるだろう。
「お心遣い痛み入ります、魔闘拳士様。そのようにさせていただきます」
「では、彼らと打ち合わせておいてください」
青年は振り向いて小さく頭を下げる。
「ごめん。疲れているだろうけど、もうひと仕事頼める?」
「お任せください、旦那」
「やっておくから大将達こそ休みな。ずっと正面で戦ってたんだから」
「心置きなくどうぞお休みを」
副官達は口々に休養を勧めている。それに満足げに頷き返した元司令官は仲間をともなって去っていった。
「少し付き合ってもらえるか?」
虎獣人の問い掛けに少年達は戸惑いつつも従った。
◇ ◇ ◇
「これで形になるかしら?」
戦団の配給等の世話係も兼ねている衛生部隊の少女が持ってきたお茶を快く受け取りながらチャムが問う。そんな仕草にも頬を赤らめている少女は、彼女への強い憧れを抱いているのかもしれない。
「なってくれないと困るね」
カイもお茶を含んでゆっくりと緊張感を解しながら答える。
「僕がいつまでも司令官紛いの事をやっているのはよろしくないから」
「いつまでもあいつらに付き合ってやる訳にもいかねえしな?」
「大丈夫ですよぅ。あの子達は十分にカイさんの薫陶を受けていますからぁ」
フィノは、戦団側は心配無用だと告げる。
「問題は軍の側だよな。でけえ図体しているだけあって動かすのにも時間が掛かる生き物だ。連中はそれにどっぷりつかって生きてきているから、冒険者みたいに状況合わせで瞬間的に判断をする癖が付いていねえんだ」
「あの感触だとそんな感じなんでしょうね? こうして上から見てみると実感出来るわ」
「たぶんすぐに慣れるよ」
通信機器を用いて運用する現代戦では戦場の空気を読んだ運用も難しいだろうが、この世界では基本的に有視界での指揮が常識である。経験を重ねるうちに自然と流れは出来るものだと思っている。
(僕には僕の役割を振られている事だし、ね)
それがディムザの思惑でも、襲い来る強大な存在は無視出来ないのだ。
◇ ◇ ◇
とある場所の部屋の中。密談中の二人は、風魔法で声を漏れないようにしていながら声を潜めて話している。
「貴殿も苦しいところでしょう? 現在の情勢、ここから取り戻そうとお考えであるなら思い切った決断も必要なのではありませんか?」
一方の男は相手を思いやるような空気を醸し出している。
「それはそうなのだが、その申し出こそ世界情勢にそぐわないのではなかろうかと思う。場合によっては我らは破滅だ」
「あながちそうとも思えませんぞ。貴殿が決意だけすれば大義は付いてくるのではないかと思いますが」
「大義……。それがどこまで通用するのか私には量りかねる。民意はそう簡単に傾くものであろうか?」
彼の耳に囁かれた行動は、名目上は確かに大儀として通用するだろう。しかし、民衆がどう感じるかが読み切れない。彼にとってはとても重要な視点になる。
大陸のほとんどの国を占める専制君主政下であれば、中枢の人間の意思がそのまま国政に反映される。しかし、この国では一概にそうはならないのも事実なのである。
「よもや、一部の民意によって意思を曲げられると申されるのでしたら、それはもう体制が揺らいでいるようにしか見えませんですな」
男は当てが外れたといわんばかりに軽侮の混じった発言をする。
「見くびらないでいただこう。我が国とて王の治める国である。御意があれば皆従うのが当然のこと」
「さすれば貴殿が御意を得るだけで道は拓けるのではありませんか? 何せ相手は叛乱軍。平和を乱す輩の集まりにございます。そこへ節義の守護者たる貴殿らが本来の務めを果たすのであれば、誰がそれを批判など出来ましょうか?」
「大陸の平和の衛士たれと求めるか?」
あくまで彼は力の行使を促してくる。
無論、その選択肢が誤っているとは言えない。国の事情を思えば好機だというのも間違いではないかもしれない。上手くいけば往時の繁栄を取り戻すのも可能だろう。
ただし、それは賭けに勝てればの話である。情勢を鑑みれば分の悪い賭けでもないと思える。しかし、賭けるのが国の未来というあまりに大きな賭け金であれば、容易には踏み込めない。
「せめてある程度の保証は欲しい。万一の時でも体制が存続出来る保証が」
譲歩としては悪くは無い。必要なのは担保である。
「それは難しゅうございますな。なにせ難しくしているのが件の無法の輩。まずそれを取り除かなければ貴殿らへの援助など不可能だというもの。お分かりになりましょう?」
「ううむ、動かねば事は運ばぬと」
まずは賭けに出なければ、物事は進まないと誘いかけてくる。
「それは道理。ここで口約束するくらいはさほど難しくはないとはご理解いただけると思います。ですが現実的な手段となると、今の状態では我らの間に障害が多過ぎると言っておるのですよ。ともに手を携え未来を望むなら、まずは分かつ壁を砕かねばなりませんな」
男は長い長い溜息とともに、苦悩の表情を漏らした。
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