剛腕の急迫
ラムレキア撤退
大剣同士が噛み合うと、重く軋むような音が響く。
「
一方の剣の主が食い縛った歯の隙間から漏らす。
「そうはいかん。このナヴァルド・イズンが打ち負けるなど有ってはならないのだ。例え相手が『剛腕』の二つ名をほしいままにしていようとな」
もう一方の主も冷静に応える。
大剣同士を交えているのは、帝国第一皇子ホルジア・ロードナックとラムレキアの勇者王ザイード・ムルキアスである。
周囲では両国軍が壮絶な戦闘を演じているが、それをものともせずに突っ込んできた剛腕が勇者王に一騎打ちを挑んできたところだ。
「と言いたいところだが、此度は貴公にいつまでも付き合ってはおれんのだ。悪いが程よいところで軍を引かせてもらう」
ザイードは意外な台詞を告げてくる。
「なんだと? 貴様、逃げると言うのか?」
「王妃が頃合いを見て退けと言っている。どうも貴公の国からの獣人難民の処遇に関して我ら自らが
「む? ぐぅ。ここまで押し出しておいて領土を求めんと抜かすか?」
自国が関わっているとなると否定はしづらい。それでも大きく進出したラムレキア軍がそれを捨てて退くのは腑に落ちない。
「俺は野心はない。国民に安心を与えようと押し出しもするが、それを維持するのに腐心しようとは思わん。国境警備を強めるだけでそれは成る」
「戯言を。奪いあってこその男の戦いであろうが? 腑抜けたか?」
ホルジアは挑発するが、それで勇者王の目の色は変わらない。
「貴公との戦い、楽しんでいないと言えば嘘になるが、俺も王。国の憂いのほうが重要なのだ」
「下らん事だ。余禄に
ホルジアにとっては戦いの果てに奪い取った物が自国の益になるのならそうすればいい程度にしか思えていない。だから勝利で得たものを余禄と評する。
戦士としての本懐のほうに遥かに重きを置いているだけだ。
玉座を欲するのは、周りの期待を除けば、自分の意に沿う戦いを自由に生み出せる権限を手に出来れば、その欲求を満たせると思っているだけなのである。
「何の為に戦っているかなど皆それぞれだ。貴公では窺い知れん高みで闘っている者もいると心に留め置くといい」
ザイードは彼を見ていないようだ。
「誰の事を言っている。貴様より強者などそうはおるまい」
「解せんならそれでいい。だが……」
見事に抜かれて膝が悲鳴を上げる。最近は勇者王の戦い方が変わってきていると感じている。
「ここは退かせてもらう!」
身を躱して大きく距離を取ったザイードは、自分の軍馬に跨ると踵を返した。
「縁が有ればまた相まみえる事もあるだろう。だが、もっと目を見開かねば貴公は足元をすくわれるぞ?」
「くっ!」
意味深長な台詞を残して勇者王は去っていく。
ホルジアは大地に剣を噛ませると、歯噛みした。
◇ ◇ ◇
「戻ったぞ」
「上出来よ、良い子ね」
「そういう言い方をするな。兵の手前、示しがつかん」
ザイードは鼻を鳴らす。
「へぇ、青髪の美貌にあしらわれてもへらへらしているのに、妻に同じ事をされると気に入らないわけ?」
「む! あれは違うぞ。強き者への敬意だ、アヴィ」
からかうと非常にいい顔をするので止められない。
最近のザイードは、行動としては童心に帰ったかのような様子を見せるのだが、目の高さや気の持ちようは上がってきているように思える。あの男への対抗心というのではないだろう。或る種、憧憬に近いのではないかと感じていた。
「これで良かったのか、王妃よ」
彼女が珍しく不得意分野の腹芸を要求してきたので、出来に自信が持てないのだろう。
「十分よ。あたしの言った通りにしたんでしょ?」
「ああ、口先だけだがな」
「あいつはかなりご立腹みたいだから、信用させられたはず」
真実味を帯びた理由を言い聞かせて、それを信じ込んでしゃべるようにさせた。首尾は上々らしい。
「信用出来るのか?
「丸っきりとは言わないけど、筋は通っているのよねぇ」
撤退を決めたのは先に述べた理由からではない。その程度で回らなくなるほどアヴィオニスが作り上げた行政機構は愚鈍では無いのだ。
警備の輪を容易に潜り抜けてきた男は、ザイードに聖剣を突き付けられても微動だにしない。覆面の中、藍色の鉢金の下の瞳は何の感情も映しておらず、アヴィオニスをぞっとさせる。
(
直感的にそう思った。
背中に嫌な汗を感じつつ、彼女は指揮戦車を引く属性セネル、ワンバルとルーバルの影に入る。彼らは身を呈して王妃を守ろうとしてくれている。
だが、その男は書状を差し出し、下に置くと一言も発さずに下がっていった。
恐る恐る紐解けば、それは第三皇子ディムザからの親書である。
『親愛なる隣国の王妃殿下へ
兄がご迷惑を掛けている事と思う。が、ここは一つ、矛を収めて退いて欲しい。
その代わりと言っては憚られるが、玉座を我がものとした暁には貴国との和平を望みたい。
これには相応の礼をもって応じたいと考えている。ご理解を賜りたい。
今、貴国が退いて見せれば兄の目は西を向こう。類稀なる頭脳の持ち主であらせられる貴殿のこと、この意味は語るまでもあるまい。
賢明なる判断を望む。
ディムザ・ロードナック』
綴られた内容にさすがのアヴィオニスも瞠目する。
「どう思う?」
大きな判断となると感じて彼女は勇者王に問う。
「罠でないとは保証できん」
「そうよね……」
ただ「相応の礼」とある。つまり好条件での各種条約を意味している。口約束とは言え、それは
しかも「玉座を手にした暁」、つまりホルジアを排する為の方策の一環であると示している。そして玉座に着くには、もう一人排さねばならない存在がある。
この親書の使い方によっては、ディムザを破滅に追い込むのも可能であるとも解ってしまう。
(正直に言って、帝国で一番厄介なのはこの男。でも、こいつを取り除いたところであの国は和平には傾かない。この親書の裏側にはこいつの想定が見えている。このままでは帝国は転覆してしまうと思っているんだわ。それならば、つまらない使い方は出来ないってことじゃない)
それさえもおそらくは彼の思惑のうちであろう。王妃には解ってしまう。解ってさえ、無視出来ない条件が付されてしまっている。
(いやらしい奴。でも、ここは乗るしかない。あたし達だって、いつまでもこんな不毛な戦争を続けたい訳じゃない)
近道に見えるだけ、そこが明るく見える。
(こいつ、剛腕を
未来が見えてしまう気がする。それはラムレキアにとっては好都合な未来。
(ごめん、チャム。今回は押し付けさせて。ちゃんと埋め合わせはするから)
この夜、ラムレキア軍は機を図っての撤退を決定した。
◇ ◇ ◇
ホルジアはかなり荒れ模様であった。
それもそのはず、ラムレキア軍は意表を突くように一気に撤退していった。これは事前に計画されていて、実行に移されたことを意味する。
「殿下、どうかお鎮まりください」
近習の将が、酒瓶を呷る剛腕を口々に諫めようとする。
「どうして落ち着けようか! 勇者王め、下らぬ世情などに惑わされおって!」
「しかして殿下、これは好機ではございませんか?」
一人の将が彼の耳に意外な言葉を入れる。
「好機だと?」
「殿下ならばすぐにお気付きの事と思いますが、進言をお許しください。西をのさばらせる手はありますまい。ディムザ殿下が失策で手放したあの地をもし殿下が取り戻せば、皇帝陛下の覚えもめでたくなる事、請け合いではありませんか?」
その進言はホルジアを振り向かせるに十分であった。
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