甘さの意味

「ずいぶん甘やかしているのにゃ?」

 ふいに居なくなっていた灰色猫が夜になって戻ってきて、座っているカイに後ろからしなだれかかっている。


 二陽ふつかに渡り帝国遠征軍の前に居座って行軍は阻止し続けているが、この膠着状態がいつまでも続くとは彼も思っていない。何らかの策を打ってくるだろう。

 それでもゼッツァーの方針に従っていることを言っているのだろう。


「まだ結果は出てないよ?」

 フィノが差し出すお茶を彼女に手渡しながら言う。

「上手くいくなんて思ってないにゃ」

「思ってないねぇ」

「だったら何で好きにさせるにゃ?」

 当然の疑問が返ってくる。

「フィノも不思議で仕方ないですぅ。あんなに不躾な人の言葉に耳を傾けなくても良いと思ってしまうのですぅ」

「試しているんでしょ?」

「試すだぁ? そんなんが必要なほどの相手には見えねえぜ」

 トゥリオの評価も低い。

「ちょっとね。あんなタイプの人を見るとね、正義の強さを比べてみたくなっちゃうんだよ。自分の方法を押し通すのは簡単だけど、違う方法でも結果が出せるなら僕は自分の正義を見直さなきゃいけないのさ」

「ああ、あいつのやり方でやってみて、自分を試してんのか」

「いつでも自分の芯を監視していないと踏み外した時に被害が大きいからね」

 自戒はそれこそ身体が動かなくなるまで続けなくてはいけないと思っている。


「正義の強さを競っているようなもんか」

 肩を竦めるところを見ると、大男はそんな彼を心配性だと思っているらしい。

「比べている割には冷静にゃ」

「冷静だよ。僕がチャム以外に興奮しているとこ見た事ある?」

「だから、それは要らないの!」

 笑いに包まれて夜は更ける。


 そして翌朝、遠征軍は消えていた。


   ◇      ◇      ◇


 駆け出した団長ゼッツァーに合わせ、彼のパーティーメンバーも現場に向かう。

 そこには食事の痕跡は残っているものの、夜営したような跡は無い。焚火も完全に冷えて固くなっており、早朝に出発した訳ではなさそうだった。


「夜間行軍ね。まあ、昼間は邪魔するのがいるんだから考えるわよね?」

 同じく痕跡を調べている麗人に彼は勢いよく振り返る。

「知っていらっしゃったんですか!?」

「普通はあまりやりたがらないのよ。危険だもの。今回なんて、こちらに覚らせないよう篝火も焚いていないはず。魔獣に襲われたら大きな被害が出るわ」

「彼らは危険をおしてでも先に向かったという事ですか?」

 見れば分かるというように彼女は地面を指している。

「それならば早く前に回り込まなければ!」

「いや、さすがに彼らだって今頃は休んで……」


 身を翻したゼッツァーはいち早く先へと駆けていった。


   ◇      ◇      ◇


 夜中の間歩き通した遠征軍は、当然の如く休息中である。見張りは立てているが、横になっているのがほとんどだった。


「く!」

 ゼッツァーは距離を置いてその様を睨み付けている。

「そんなに急がなくたって、ずっと歩き通せはしないわ」

「……こんなに前進されてしまった」

「仕方ないじゃない。相手が無理を通したんだもの」

 戦団を大きく迂回したとは言え、それなりに距離は稼いでいる。


(あの人を起こさなかったって事は、相当迂回したはず。そんなにまで警戒するとは、この将軍は本当に用心深いわね)

 カイが反応しなかった以上、1ルッツ1・2km以上離れて通過している。


 休息を終えた後も遠征軍は動かなかった。

 昼間の状況は変わらない。彼らも動くはずがない。


「今夜から夜間も監視を継続したい」

 ゼッツァーが指揮官を集め、そんな意見を切り出した。

「今まで通り交代でいい。夜間は交代周期を長めに取れば十分に仮眠も取れるはずだ」

「出来ません」

 しかし、カイは明確に拒む。

「なぜだ! また、夜の間に行軍されたらドゥカルに近付いてしまうではないか!」

「今はこうしていつでも動ける態勢で待機しつつ休憩していますが、夜はそうもいきません。仮眠中に夜襲を受ければ即座には組織的な対応は出来ないのです。立て直す間に味方を大勢死なせる方策などには絶対に賛同いたしません」

「なら、どうしろという! このまま行かせろと言うのか!? 君は交戦状態に持ち込む為に私の作戦を否定しているのではないのか!?」

 これには副官達が待ったを掛ける。

「親分さん、目の前で敵が寝こけていたら絶好の的ですぜ」

「ミルーチなら確実に仕留めに行くね」

「対処は簡単だ。火矢を打ち込むだけで大混乱に陥れられる」

 ジャセギは具体的方法論にまで言及する。

「解るか? 後は何とでも料理出来るって寸法だぜ?」

「むぅ……」

「夜間の監視継続は支持出来ません。見張りを立てたいのなら独自に立ててください。ただし、絶対に眠らせないようにしてくださいね」


 珍しく彼が厳しい注意を与えたので、チャムは少し驚いた。


   ◇      ◇      ◇


「なあ、団長、火焚くなって言ってただろ?」

 当人の顔も焚火の灯りで赤く染まっている。

「無理無理、夜は冷えるんだから暖を取らないと凍え死んじゃう!」


 帝国南部は比較的緯度も低い。乾燥も相まって夜間は結構冷える。

 そんな中で焚火で暖まりながら食事をする遠征軍の様子を見ていたら、彼らも我慢ならなくなってしまった。

 そして、腹も満たし、身体が暖まれば眠くもなってくる。彼らは昼間も団長ゼッツァーとともにずっと立って監視を続けていたのだ


「起きなさい!」

 鋭い声に冒険者達は跳ね起きた。

 その瞬間に白刃が落ちてくる。咄嗟に躱すが、全員がそうとはいかなかったようだ。

「がっ!」

「ぎゃあ!」


 暗闇の中に光刃が灯ると、黒髪の青年が駆け込んできた。

 彼が襲撃者の影を斬り裂くと連続して悲鳴が上がる。傷を受けていないものは立ち直り襲撃者と斬り結ぶが、相手も数十名はいるようで対処が難しくなる。何せ見張りを命じられたのは1パーティーの六人だけである。

 夜闇の中から襲い来る攻撃に加減は利かずに、仕方なく斬る。良く見えずに血臭だけが濃くなっていく状況に嘔吐感が湧き上がってきた。それでも全てを退ける事は出来たようだ。

 

復元リペア

 青年が回復魔法を仲間に使っている。

「ここでは明かりが使えません。敵にも察知されています。戦団まで戻りますよ」


 その言葉には頷くしかなかった。


   ◇      ◇      ◇


 皆が寝入り際になって出掛けていたカイが負傷者を連れて戻ってくる。その様にゼッツァーは驚いて大声を上げる。


「どうしたんだ!」

 衛生部隊が呼ばれて、明るい場所で治療が為される。

「やられちまった。済まない、団長」

「火を焚いて眠ってたんですよ」

「馬鹿か、こいつら! 自分の位置を相手に知らせてどうする。襲ってくれって言っているようなもんじゃねえか」

 大男に糾弾されるが、返す言葉もないようだ。

 彼らにしてみれば、これまで何もしてこなかった相手が急に襲ってくるなどとは思っていなかったらしい。


「火は焚くなと言ったはずだ。それに見張りが眠ってどうする?」

 ゼッツァーの視線は冷たい。

「でも、寒かったし……」

「疲れてたんだ! 昼間もずっと見張ってて夜も見張れって無茶なんだよ!」

 険悪な空気が漂う。


「それじゃ軍勢は?」

 空気を変えるようにチャムが問い掛ける。

「今頃移動を始めているだろうね。もう無理だ」

「何を言う! 回り込んで止めねばならんだろう!」

「今から進発準備をして追いすがれば戦闘になりますよ? それも向こうは昼間に睡眠を取っていますが、こちらは眠っていない状態です。それで夜間戦闘などどれだけ被害が出るか分からないのに許可出来るとでも?」


 見張りからの連絡で事前に鼻先に移動して煌々と明かりを照らしておけば止められもするが、相手が移動を開始した後では手遅れである。


「それに仲間は負傷したばかりですよ? 彼らを率いて戦う気ですか?」

 青年が彼の前に傲然と立つ。


「貴殿の正義は仲間を殺しますよ?」

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