軍勢の秘密
(き、来た……)
兵士は表向きそう見えないようにしているが、にわかに緊張している。
斥候からの報告で接近が知らされ、見向きしないよう命令されている。交戦など以ての外だ。
(獣人軍団、全部がそうだ。とんでもない数。命令が無くたってあんなのと戦いたくはないぞ)
私語は謹んでいるが、周囲と見交わす視線は彼の思いは共有されていると確信出来る。
(でも、こいつらも戦う気は無いんじゃないのか?)
胡乱な目を向けてくる獣人も多いが、皆が一様に落ち着いている。中にはじゃれ合って笑っている者も少なくない。
指差しているところを見ると話題の的は彼ら帝国遠征軍なのだろうが、何を笑われているのかは分からない。見知った顔も見えない。
ただ、噂だけは本当のようだった。
(冗談抜きで全部が騎兵なのかよ)
◇ ◇ ◇
エドイェール・カランバン子爵は軍閥貴族の一員で、頭将軍を拝命している。
慣例に合わせれば五万以下の兵が成す軍勢、または陣を統べる官職となる。上には大軍勢の司令官となる頭大将と、全軍司令官であるただ一人の軍帥、その二官位だけになる。
軍閥一門の出とは言え、三男の自分がこの位にまで駆け上ったのは才覚とは他に時の運も味方してくれたように思う。だからと言って手放す気など毛頭ない。
今回彼に与えられている命令は、戦闘を極力避けて目的地まで行軍する事である。
情勢からして一切の交戦を避けるのは困難だと判断し、経路上の小領の領軍を糾合してそれなりの軍勢にしているが、命令を愚直に守るカランバン将軍に交戦意思はない。
(勝手に抜いて行け。そして、そのまま西部連合の元へ帰ってしまえ)
先刻からゆるゆるとした足並みで獣人軍団が並行している。近付くでも離れるでもなく、ただゆっくりと自分達を観察するように少しずつ追い抜いていっているのだ。
(そんな微妙な距離で威容を見せつけて挑発して来ようが、絶対に仕掛けたりはせんからな)
そこへ毛色の違う一団がやってくる。
これまでは兵士の向こう側に見える避難民らしき家族が乗った馬車には人族の姿はちらほらと有った。しかし、明らかに戦士と分かる人族はこの三人が初めてだろう。
赤毛の大男がじっと見つめてくる。青髪の麗人はなぜか微笑みを湛えていて、周囲の兵をそわそわとさせる。
そして、白い
(魔闘拳士!)
背筋を冷たい何かが通り過ぎる。
ただの烏合の衆ならば追い散らかすのも無くは無いと考えていたが、あれが敵方に居ると知ってからは攻撃意思などどこかに飛んでいった。
僅か数名で、城門内に待機する陸軍兵二千近くを撃破するような怪物を相手になどしていられない。
その男は一瞬だけ口元を歪めると視線を外して通り過ぎていく。
(頼むからさっさと行ってしまえ!)
エドイェールは大声で叫びたいのを必死に堪えていた。
◇ ◇ ◇
遠征軍の中心らしき場所を通り過ぎてから、カイは堪え切れずに軽く噴く。
「どうしたの?」
問い掛けるチャムの顔にも笑いの影が潜んでいる。
「だってあれってあれだよね?」
「私もそうだと思うけど専門家じゃないから今一つ自信はなくてよ?」
「その専門家もいる事だし、あとで訊いてみようね」
彼は後方に位置する少年少女指揮官に付き従う年嵩の獣人達を見た。
◇ ◇ ◇
十分に距離を取ってから夜営の段取りに入る。帝国軍の行軍速度からして、彼らも今頃は停止しているだろうから距離が詰まる心配はない。
夕食が済んでからメンバーを呼び寄せて作戦会議に入る。特に天幕などを用意する訳でもなく、車座で話すだけの堅苦しさなど欠片も無い席だ。
強いて言えば、いつもは寄ってくる子供達に遠慮してもらっている程度である。
席には暁光立志団団長ゼッツァーの姿もある。離脱するかと思われた彼らだが、意外にも残留している。
カイに観察するような目を向けてくるところを見れば、そういう意図で残ったのだろう。決して賛同を得られたわけではないと分かる。
そして、席には新しい顔も加わっている。
ハモロの隣には狐獣人の副官。
アカオキツネの獣人オルモウは、元帝国軍千兵長の位に在ったが、筋骨隆々と言った風情の戦士ではなく、細身のしなやかな印象の身体つきをしている。口調もぞんざいで、ハモロを立てながらも親身に面倒を見ているようだ。
ゼルガの隣には豹獣人の副官。
シマオクロヒョウの獣人はミルーチという名で、彼女も元千兵長。男勝りな口調で体格も良いのだが、どこか独特の艶が感じられる。戦争経験豊かな彼女は重々しくも的確な助言をくれるらしいのだが、時々ゼルガをどぎまぎさせるような発言もすると聞いている。
ロインの隣には狼獣人の副官。
タテガミキンオオカミの獣人は、非常に精悍な顔付きでジャセギという。千兵長が務まっていたのかと思うくらい普段は無口ながら、指示を伝える時は良く通る声が辺りに響き渡る。なかなかに美声の持ち主で、それをロインがからかうと相当照れた様子を見せている。何か仲の良い兄妹を見ているようで微笑ましい。
「今夜は特に作戦行動などを決めようという訳で集まってもらったのではありません」
カイはそう切り出す。
「帝国遠征軍に関して、感じた事を忌憚なく教えていただけませんか?」
「旦那はどう思っているんですかい?」
オルモウが訊き返してくる。何度か指摘したのだが、この呼び方と丁寧口調は改めてくれない。
「あれは、たぶん陸戦隊……、うーん、海兵って言うのが正しいんでしょうか? 僕も明るくないんで、正しく言い表す言葉が出て来なくて。すみません」
「とんでもねえ。ちゃんと伝わってますぜ。どうしてそう思われたんで?」
「なにか如何にもお仕着せな感じが否めなくて。金属鎧を着けてはいますが、真新しい上にこなれた感じがしない。かなり鍛えられた感じはするのに、行進するのが下手で足並みはばらばら。しかもお世辞にも速いとは言えない。こういう集団行動に慣れていないのが見え隠れしてちょっと笑えてしまいました」
彼らにとっては元同僚かもしれないので失礼かもしれないが、隠す事無く意見を述べる。
「隠れていない。司令官殿の言う通り」
「あら、ジャセギは専門家?」
「ええ、以前、一時は属していた。あれは海兵、間違いない」
お墨付きが出た。どうやら勘違いでは無かったようでカイは安心する。
「ミルーチも知り合いにいたよ。連中、普段は皮鎧を着ているはずだけど、ずいぶん背伸びしているみたい。多少なりとも見せ掛けようって腹かもね?」
艦船に搭乗する海兵に重たい装備は禁物である。いくら防御力が上がるとは言え、金属鎧など着けていれば、重くて搭乗人員を制限しなくてはいけなくなるからだ。
この世界では海戦などという概念は極めて乏しい。何せ戦艦とは、発明もされていない大砲を装備する艦艇では無いのだ。魔法も超長距離の空間を隔てて制御出来る性質を持たない上防御手段がある以上、遠距離戦には向かない。
つまり戦艦は彼ら海兵を乗せて運んで現地で放出する艦艇でしかないのである。それならば、搭乗海兵数がそのまま戦艦の戦闘力として換算される。装備品などに積載能力を割くのは愚行だという結論にしか行き当らない。
「なんなのよ~。教えてよ~」
ロインが隣のジャセギを揺さぶって結論を急がせる。
「この先にはドゥカルの海軍基地がある。そこへ海兵を移送しているのだ」
「移送~? どうして~?」
心底分からない風の犬獣人の指揮官少女にジャセギは苦笑いを見せた。
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