和平合意
ここはロードナック帝宮皇帝の間。
もっとも高い位置に座っている虎威皇帝レンデベル・ロードナックは顔を赤くして震えている。
もたらされたのはデュクセラ辺境伯オルダーン戦死の報である。彼は怒りに震えているのだ。
「兵を揃えよ。ホルツレインへ宣戦を布告する」
伝送文には魔闘拳士率いる獣人軍団の攻撃で辺境伯は戦死とある。事ここに至ってレンデベルは決断を下すかに見えた。
「それは問題だと思いますよ、陛下」
その決断を阻止しようとする声が掛かる。
「今は時期が悪いのでお諦めいただきたい」
「ここまでされて許せと申すか? そなた、魔闘拳士に怖気づいたのではあるまいな?」
「そちらの対処はまたの機会にと考えています。今、ホルツレインを攻めるのは危険だと言っているだけです。ご説明申し上げましょう」
ディムザの姿勢が少し変化を見せているのにレンデベルは気付いている。虚勢を張る男ではない以上、何か目算があるのだろうと感じて、無視できなかった。
「ホルツレインがゼプル女王国を擁して間もないのが理由です」
あの国は正義を後ろ盾にしたのだと語る。
ホルツレインに宣戦布告をすれば、ラムレキアには大義を、西部連合には賛同を、コウトギには戦争への参加を促すと言う。更には、最悪中隔地方各国の挙兵にも繋がりかねないと主張した。
事実はどうあれ、人類正義の看板はそれらを動かすに十分に足る。帝国は害悪と認識され、大陸中から攻められる可能性があるとまで言い切った。
「む!」
レンデベルとてそれはいくら何でも避けたい事態である。
「では、どうしろと言う。もしや何ら報復するななどと言うのか?」
「そうとは申しません。魔闘拳士に対しては例の策が進行中です。そちらが功を奏してからで構わないのではありませんか?」
「うむ、一手無駄にするのは惜しいか。だがホルツレインをこれ以上放置するのは業腹であるぞ」
彼の怒りは治まってなどいない。
「そちらはむしろ和平を持ち掛けるのが良策かと?」
「和平?」
「陛下、背後を揺さぶるのも面白いとはお思いになりませんか?」
◇ ◇ ◇
ホルツレイン国王アルバートは、ロードナック帝国大使の訪問を受けていた。
何せ国家同士のこと、事前協議なしでいきなり裁定とはいかない場合がほとんどである。
無論、外交上の事前協議は外務大臣ビスカス・メルギット侯爵の管轄下ではあるが、外務部の政務官では重要すぎる案件につき、まずは国王に方向性を決めてもらう意図で設けられた席である。
「この度はお時間をいただけまして……」
型通りの挨拶の後に時事を交えて談笑をし、ウィーソ・タットム大使は本題に触れてくる。
「実は陛下より、貴国との和平に関してお言葉がありまして」
「ほう、我が国とて和平は望んではおるが、元より貴国とは国交上の問題はなかったはず。それを急に和平とは如何なる理由であろうか?」
「いえいえ、深い理由などございません。件の新街道も開通し、隣国との流通も円滑化し、経済発展著しいこと大変喜ばしく思っておりまする。今後は我が国との交易も海路に頼る要もなく、増えていこうかと皇帝陛下はお考えのようです」
大使は貼り付けたかのような喜色で言い募ってくる。
「ここは一つ、両国で国交を深める為にも改めて和平をと望んでおられるというお話です。如何でございますか?」
「ふむふむ、それは確かに一理あろうな。これまでは陸路海路ともに厳しく、深まる事の無かった我らの関係。見直す時期だとレンデベル陛下の慧眼には映っておられるか」
「左様にございましょう。ご賛同いただけましょうか?」
ウィーソはこれまでで一番深い笑みを見せる。
「無論、それはやぶさかではない。互いに利のあること、進めたく思う」
ここまでは思惑通りに話が進んでいるのだろう。アルバートも言質を与えた格好だ。
これで八割方は決定事項になり、今後は外務の関係者間での協議に移り、合意内容や必要なら式典の内容に詰めていく形が通例である。
「これは両国にとって大変喜ばしい
平静を装ってはいるが、その声が微かに真剣味を帯びる。ここからが本題らしい。
「うむ、情勢を鑑みて我が国の大使は帰国させておるが、改めて派遣するのも当然であるな」
「そちらもお願い申し上げたいところではありますが、此度は別件となりまする。魔闘拳士に矛を収めて帰国するよう命じていただけませんか?」
「それは冒険者カイ・ルドウのことか? あれは流しの冒険者、どこに居ろうと余の関知するところでは無いのだが?」
アルバートの欺瞞に大使はすぐに反論する。
「そう申されましても、貴国の名誉騎士でありましょう? 何ら関与無しというのは詭弁に過ぎましょうぞ」
「元より我が国民でも無い者の行動を問われても困るな」
一国の王を、半ば嘘つき呼ばわりした事に秘書官は気色ばむが、国王はそれを制する。
「実際に、あれが帝都で謂われなき襲撃を受けた時も、余はそなたを呼び出して問い質したりはしなかったであろう?」
「そ、それは確かに……。ですが陛下の御威光をもってすれば、名誉騎士に命じるのは容易いはずでは? 両国の和平の為にもそれをお願いしたのですが」
ウィーソは和平を強調して主張した。
アルバートはソファーに背を預け嘆息する。思案して見せているのも欺瞞で、内心は嘲笑している。その程度でカイを止められると思っているなら、勘違いも甚だしい。
仕方ないとばかりに身を起こすと、秘書官を振り返り、「あれを」と命じた。
「カイよ、余だ」
秘書官が差し出した遠話器で当の名誉騎士を呼び出す。
【おや、陛下。何です? 構いませんよ】
「忙しかろうがちと良いか?」
【いえ。そちらは昼前でしょうが、こちらはそろそろ夜営場所を探すくらいの頃合い、夕刻ですので】
これにはさすがにアルバートもぴくりとする。いつもは時間を慮って彼が掛けてくるので強く意識していなかったのだ。
「おおう、それは済まなんだ。あまり時間は取らせぬゆえ、しばし付き合え」
国王はことの経緯を説明する。
「それでじゃ、済まぬが名誉騎士の位を返上せよ。このままでは余はそなたに命じなくてはならなくなる」
対面の男を意識して、困ったような声を出す。
【致し方ありませんね。では謹んで返上いたします。長のお世話になりました】
「なに、大して世話など出来ておらんよ。ここからはルドウ基金会長としての話であるが、引き続き城壁内用地は使用して構わぬ。国庫とも密接にかかわる基金。城壁内のほうが何かと都合が良い」
窺い見ると、大使の顔色はあまり宜しくない。
「あとはそうよの……。たまには知己の爺のところへ土産話でも持って来い。歓迎しよう」
【ええ、今後とも宜しくお願いいたします、陛下。美味しいお茶を期待しますよ】
「うむ、良い茶と菓子を準備しておこう。ではな」
【はい、おやすみなさい】
最後だけ時差を気にするよう釘を刺してくる辺りがカイらしいと思う。
「という訳で、あれは我が名誉騎士でさえなくなった。これも貴国との和平の為で仕方のない事じゃ。涙を呑んで諦めよう」
頬を引き攣らせるウィーソに口惜しげに告げる。
「……では、帰還を命じる話は?」
「国外に居る無位の者に命じる権利など余にも無いな。道理であろう?」
何か言いたげにしていたが、ついぞ言葉にはならなかった。
あとは外務政務官と話を進めるよう申し渡して、アルバートは席を立つ。
そこには項垂れる大使だけが残されていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます