胡乱な動き

 機動戦力の敗走によるデュクセラ領軍の心理的ダメージは大きい。歩兵では獣人戦団の猛攻に翻弄されると感じられているだけに、同等の機動力を持っている筈の騎馬隊が敗れれば苦戦は必至だと考えているだろう。


「どう動くのかしら?」


 騎馬隊の敗走と同時に、それまで動くに動けなかったと思われる右翼陣が大きく押し出してきた為、ロイン戦隊は後退。合わせて輪形陣を形作っていたハモロ、ゼルガの戦隊もハンドサインに従い、陣を解いて後退する。

 元は領軍の左翼が布陣していた場所から少し離れて戦隊陣形を整えていた。

 かなりの損害を与えている感触があっても、相手が退かない以上は第二回戦に入る事になるだろう。


「お疲れ様」

 戻ってきた青年とチャムは手を合わせる。

「整列を指示させてあるわ。疲れてなくはないだろうけど、優勢だと分かるだけに士気は高いわよ」

「ありがとう。ここは無理せず相手が陣を再編する間は休憩しよう。何よりセネル鳥せねるちょう達も休めないと」

「そうね。ゼルガ、騎鳥に水を飲ませてあげなさい!」


 用意されていた皮袋から水を飲ませてもらうと、彼らは翼をばたつかせて喜びを表現している。どうやらまだ働けるぞというアピールも兼ねていそうだ。こちらの士気も高い。


 張り出していた右翼陣が少し下がり、崩壊した左翼陣は中央から補充されて再編され、再び形を取り戻している。ただし、今度は両翼が少し下がり目で、中央が迫り出した形に変化した。

 これではどちらかの翼陣に仕掛けようとすれば中央の側撃を受け、中央に食らい付こうとすれば両翼から挟撃を受けるだろう。


(なるほど、戦巧者だっていうのは間違いないみたいだね)

 一度の対戦でこちらの意図を読んで、常に数で押せる陣形に変えてきた。

(さて、どうしたものかな?)


 青年はロイン戦隊を前に、右後方にゼルガ戦隊、左後方にハモロ戦隊を置いて、左側面を敵に見せるように移動する。無傷の敵右翼陣を窺う様子を見せた。

 対してデュクセラ領軍は、立て直した騎馬隊が出てくると遊撃する気配を見せる。直接仕掛けては来ないが、どこかに食い付けば後背から叩くという構えだ。


(巧みだな。やりにくい)

 カイとて指揮経験が多い訳ではない。基本戦術よりは心理効果に偏った用兵が多いだけに、冷静に対処されると攻めあぐねる。


(じらしてみるか。そう……、おっと!)


 両者からは異なるところから大きな鬨の声が上がる。それはデュクセラ領軍の背後であり、戦陣全体がざわりと揺れる。


「別動隊を動かしていたのか!」

「輜重隊が襲われているぞ!」

「卑怯な! 尻尾付きどもめ!」


 陣の後方に置いていた馬車群が襲われているようだ。会戦中となれば警備も最低限に抑えられていただろう。

 戦闘以外では生命線となる糧食を襲われたとなれば動揺は大きい。しかし、目の前には獣人戦団が陣を固めて不気味な行進をしているとあっては即座に反転ともいかない。


「これはダメだ。退こう。ロイン、停戦旗掲げ!」

 声掛けとともにハンドサインを送る。

 青い縁取りの有る黄旗が大きく打ち振るわれると、掲げたまま戦団は後退を始めた。


「あれは何?」

 チャムがゼルガを、トゥリオとフィノがハモロを従えてやってくる。

「分からない。知らない動きだよ。潜伏していた誰かが食料に困って仕掛けたかな?」

「そんな無茶する? 獣人かれらなら山奥に入ったほうがよほど食料があるでしょ」

「そうなんだよねぇ」



(面白くなった。これは見定めるにはいい機会)

 彼女・・はそう思った。



「どうして退かせたの? 明らかに動揺してたのに」

 カイが珍しく機を逃したかのように見えて尋ねる。

「あまり一遍に追い込んではいけない。いくらか削ったけど、相手は三倍近い数がいるんだよ。乱戦になる愚を見過ごして一斉に仕掛けられたら味方も大勢死ぬ」

「あ、ごめんなさい。確かに」

「奴らもここでこっちが退いとけば今陽きょうのところは仕掛けてこねえだろ? ここまでだ、ここまで」


 騒ぎの元も一撃離脱だったらしく、混乱は拡大していない。こちらから動かない限りは当面青旗隊が出て戦場処理に入るだろう。

 獣人戦団も随時戦死者や負傷者は収容している。その為にセネル鳥も多めに随伴させていた。


「よし、2ルッツ2.4km下がろう。そこで夜営準備」

 領軍側で青旗が立つのを確認してカイは命じた。

「様子を見てくるにゃ」

「そうだね。頼める?」

「任せるにゃ」

 青年とて騒ぎの元に関しては頭の外には追い出せない。味方とは限らないし、情報は把握しておきたい。

「一人で大丈夫ですかぁ?」

「身軽なほうが良いにゃ。フィノは仕事がいっぱいあるにゃよ」


 負傷者の治療をしなくてはならない犬耳娘を気遣ってから、白い騎鳥を軽快に走らせていった。


   ◇      ◇      ◇


「申し上げます! 糧食の馬車三台を奪われました。兵の損害は軽微です」

 伝令兵が後方の襲撃の内容をデュクセラ辺境伯オルダーンに報告する。

「盗人が! 魔闘拳士め、姑息な手を!」

「……南に離脱したとの話です。追わせますか?」

「放っておけ。百程度の別動隊だったのだろう?」


 参謀は主君の怒気を怖れて言葉を挟めないでいるが、この動きには疑問点ばかりが目立つ。

 動揺を誘うのが目的ならば、獣人軍があっさりと退いたのが解せない。最大の好機であったはず。

 補給線を攻撃してこちらの疲弊を狙っているとしたら規模が小さ過ぎる。戦況に影響を及ぼすほどの損害を出せはしない。ここは商都フォルギットの少し南側なだけで、補給線は短いのだ。


「やはりあの獣人軍のほうに傾注すべきです。侮れる相手ではございません」

 意識の表れとして彼は「軍」と呼称している。

「分かっておる。軽い損害では無いのもな。ただ、陣変えしてからは攻めあぐねておったぞ。攻め口は見えている」

「は、基本的には損害を怖れているように見えました。やはり寄せ集め。一度敗れれば勢いは削がれると理解しているのでしょう。逆に言えば、大きな打撃を与えただけで瓦解するという事です」

「うむ、このオルダーンを怒らせたこと、後悔させてやる」


 参謀は瞑目して策を巡らせる。


   ◇      ◇      ◇


「ん~」


 ゼルガはぎょっとして固まった。

 ロインがカイにしなだれかかって頬にキスをしている。青年の顔に浮かんでいるのは苦笑いだが、拒んでいる風には見えない。


 規則の緩い獣人戦団では、特に細かい部隊の括りは設けず、気の置けない仲間、或いは信頼の置ける相手を見つけては小集団が出来上がりつつある。集団内部での役割分担も定まってきて、食料の配給なども円滑に進むようになっていた。

 軍経験のある有志が配給隊も結成し、その分の糧食を託されれば分配のほうも彼らが担当する。個々が現状を理解し、乗り越えようという志が自然に規範を生み、協調の意識が問題を起こさせず戦団として機能している。

 カイは戦隊の括り以上は自治に任せていた。


 なので配給品の準備をした後は自由な時間ができた訳だが、そこへロインがやって来ての一幕なのである。


「な、何してるの、ロイン!」

 嫉妬よりも、カイとチャムの雰囲気が違う事に気付いていた彼は、傍にいるチャムが気になる。

「お礼だよ~。約束したもん~」

「約束って!」

「助けてもらったから~」

 麗人は気にしている素振りを見せていないが、心の中でどう思っているかは分からない。

「ち、チャムさんに悪いだろ」

「あら、気にしなくても結構よ。聞いていたから」

「チャム、余裕~。んふ~、もしかして頬にキスくらい何とも思わない関係~?」

 この台詞には彼女も動揺を見せる。

「何言ってんのよ、この金髪犬娘ー!」


 真っ赤な顔で襟首を掴まれたロインは余計に面白がって彼女をからかう。

 カイはその様子を微笑んで見ていたが、遠くに灰色猫が手を振っているのにも気付いている。


 どうやら、騒ぎの元が到着らしい。

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