ドゥカル陥落
雨の中の強襲を受けた時点でサルゲイド伯爵は都市内に逃げ帰っている。ただし、港湾都市であるドゥカルは強固な街壁を持っていない。
雨が止んで回復してきた視界で領兵軍の潰走を知った北街門の衛士は、魔獣の体当たりに何とか耐えられる程度の厚みの街壁と、戸板を張り合わせた程度の門扉を見限って早々に逃げ出していた。
そこへ再編成を終えた獣人戦団が静かに行進する。
領主の獣人捕縛命令を知っている住民は、戦々恐々の面持ちで動向を見つめている。もし、門をくぐると同時にバラバラに散って略奪暴行に及ぶような事になれば速やかに逃げ出さなければならないと考えているようだ。だが、露骨に逃げ出して見せてしまうのは刺激になってしまいそうで、息を詰めて眺めていることしか出来ないのだろう。
しかし、彼らが蛮行に及んだりはしない。それはカイが厳しく戒めていたからだ。
四人の冒険者を先頭に、獣人戦団は粛々と南北を貫く大通りを領主館に向けて進む。遠目にも、残存兵力がその手前で迎撃態勢を取っているのが分かった。
そこから距離を取ってかなり前で戦団を停止させるカイ。見るからに防御が薄い。事前情報では、まだ二千前後の兵力が残っているはず。その三分の一程度にしか見えないがゆえに伏兵を警戒しているのだ。
(便利そうで不便なところもあるんだよね)
サーチ魔法には多くの人々が映っている。それが伏兵なのか、襲撃を怖れて固く扉を閉ざして暴風が過ぎ去るのを待っている住人なのか区別が付かない。
全く剣気を感じないところを見れば住民だとは思うのだが、個での戦闘でなく軍隊運用だと思えば無理すべき状況ではない。
「問題無いにゃー」
待っていると情報が帰ってきた。
「東西の門が開放されて、住民も兵士もいっぱい逃げ出しているにゃ。あれは出涸らしにゃ」
「ありがとう」
拍子抜けだ。都市戦で如何に被害を少なく済ませるか頭を悩ませていたのが馬鹿らしくなってきた。
確かに領主館からも、使用人が多勢を占めるであろう人数が逃げ出しているのが見える。
(ならばどうして抗すべくもない兵数であそこで踏ん張っている? 何か手札を持っているのか?)
何らかの切り札が無ければ辻褄が合わない。
「と、止まれー!」
「止まってますが」
守備隊の長らしき人物が大きく手を振りながらの言葉に、白々とした空気が流れる。
「うるさい! これを見ろ!」
あまりの予想通りの流れにカイはうんざりする。
引き出されてきたのは人質だ。運悪く捕縛されたであろう獣人が二十数名。
「軍を引け! さもなくば此奴らの首を一人ずつ落としていくぞ!」
二十名余りを跪かせると、剣を抜いて掲げて見せる。
「返してはくださらない?」
「何だ!? 当たり前だ!」
「では、どうして引けますか? 我々が立ち去った後に彼らの身の安全の保証がどこにあります?」
何か言い返そうとしているようだが抗弁が出て来ず、守備隊長は後ろを振り返る。
「どうして返す必要がある! 生かしておいてやるだけありがたく思え!」
「あなたがサルゲイド伯爵ですか」
露骨に身分の違いを感じさせる装束の中年男が出てきて吠え散らかす。
「そもそもお前は何だ! 人族の癖になぜ獣人側に付いている? 力ばかりが強くて頭の弱い人型の獣の大将に座って、悦に入っている愚か者か?」
「外道が……」
トゥリオの剣気が昂ってきている。
(これは相当いかれているな。まあ、こういう人物でなければ、情勢を無視してこんな暴挙は出来はしないか)
カイとしては呆れのほうが強い。
「無理無理にゃー。もう良いから魔闘拳士の力を見せてやるにゃよ」
そこへ灰色猫が暴言を重ねてくる。
「……!」
「ま、魔闘拳士!! ちょっと待て! そんな話は!」
「いや、確か獣人侯爵に助力したと!」
二の句が継げない貴族の後ろで騒ぎが始まっている。ファルマの言動はこれを意図したものだ。
「冗談じゃないぞー!」
「ふざけるな! 負けの決まった戦に参加できるか!」
両端の領兵から順に離脱を始める。当然だろう。彼ら領兵は基本的に雇われ兵。傭兵に毛が生えた程度の心構えしかない。分が悪いと察すれば速やかに離職を考える。
「逃げるな! 馬鹿者どもが!」
「あなたには与していられないそうですよ?」
振り向いて離脱者を罵っていた伯爵の至近距離から声を掛ける。目を放した一瞬で黒髪の青年は移動を終えていた。
「ぎっ!」
悲鳴を上げる間もなく殴り倒す。
そのまま身を翻すと人質を押さえている男の手首を捉え、背中に回して肘を砕く。隣の兵の後頭部へ踵を回し入れ、次の兵士の背中に肘を打ち込む。
反対側では剣閃が走るごとに剣を持つ手が舞い、悲鳴が木霊する。特殊な形状を持つ長剣が閃くと、手首どころか剣も鎧も斬り裂かれているのだった。
解放された人質は這うように逃げ出し、同胞の下へ駆け寄り戒めを解かれる。
「マルチガントレット」
残る少数の守備隊は、斬り込んできた二人を包囲しようとするが、領主であるサルゲイド伯爵を吊り上げられて手が出せなくなる。
伯爵は目の前で握ったり閉じたりを繰り返している拳の銀色の爪に震え上がった。
「銀爪の魔人……」
わななく口から二つ名を絞り出す。
「おや? そう呼ばれたのは久しぶりですね。よくご存じで」
「以前聞いた事がある。西から逃げてきた者が魔闘拳士を称して言っていたぞ。相応しいではないか。
喋っているうちに腹が据わったのか、舌の滑りも良くなっていく。
「今度は帝国を滅ぼそうと画策するか? そうはいかんぞ。暗黒時代を生き延びた優れた人族の末裔が貴様を
「そうですか。ですがそれは貴方ではないようですね? フィノ」
「
「ああーっ! 私の館がー!」
「カイさんをそんな風に呼ぶ奴なんて許しませんですよぅ」
幾度も魔法攻撃を受けて、全体を炎に焙られた公館はまたたく間に支えを失い脆くも崩れ去る。そこへ今度は氷の槍が打ち込まれて、消火とともに粉砕されるというお釣りまで付いていた。
「お、おお……」
投げ捨てられたサルゲイド伯は這いつくばって煙を上げるだけとなった残骸に手を伸ばしている。財物やその他諸々もそこに納められていたのだろうから、かなりの損害だと思われる。
青年が睨みを利かせただけで、残っていた領兵も追い散らされた。彼にはもう肩書くらいしか残っていないはずだ。
「これに懲りたら獣人を差別するような行いは止める事ですね? そうは言っても貴方のような輩は省みる事も無いのでしょうが」
言葉もなく座り込んでいる相手に、カイはもう興味を失ったかのように背を向けた。
◇ ◇ ◇
「閣下、ドゥカルが獣人の襲撃を受けているようです」
副官の報告に窓の外を一瞥した軍服の壮年はすぐに視線を執務机に戻す。
「仕方あるまい。あんな暴挙を演じれば反動があると分からない愚か者のやる事だ」
「救援には向かわれないので?」
ここは港の一画。ドゥカルとは別の防壁を持つ帝国海軍駐屯地の指揮棟である。
「我らには大事な役目があるだろう? 愚か者にかかずらっている暇など無い」
命令書にペンを走らせる手は止まらない。
「はっ、おっしゃる通りにございます」
副官は敬礼をもって応じる。
今は南海洋上を五十隻にも及ぶ大艦隊がこちらに向けて航行中のはずなのだ。それらの受け入れに、この南部海軍基地は忙殺されている。
「放っておけ。役立たずの首が挿げ替えられるだけだ。皇帝陛下は間違っても愚かではない」
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