獣人決起

 ハモロ達と簡単な方針説明とハンドサインの打ち合わせをしておく。基本戦術指揮をカイが執ると分かると、露骨に安堵を浮かべる。若い彼らには少々荷が勝つかもしれないが、出来れば頑張ってもらえたほうが連携は取り易い。


 そうしていると、不意に森の民エルフィンが現れて青髪の美貌に跪いた。

「ラドゥリウスからほぼ全ての獣人が脱出しました」

「早いわね。逃げられそう?」

「目立った追手は掛かっていないようです。ほとんどはコウトギを目指して東に逃げましたが、一部はラルカスタンに逃げ込むか、西に向かっている模様です」

 想定内と言える状況だが、決して良いとは言えない。

「緊急を要するってほどではないけれど……」


 おそらくそれなりに準備を整えてから一斉に脱走している。途端に困窮したりはしないはず。付近まで進撃すれば西部への脱出を望む者は集結してくるだろう。


「軍勢の動きは?」

 こちらが戦闘単位クラスに膨らんでしまった以上、衝突の可能性は上がっている。

「ひどくゆったりと進軍しております。歩兵の割合がかなり高く、足並みを揃えているからだと思われますが、編成目的までは分かりかねます」

「足の遅い二万。さっぱりね。……まさか、あんた、今度は帝国と手を組んだんじゃないでしょうね?」

「そんな訳無いにゃー」

 こちらの動きに先回りしている。或いは、想定しての派兵だとすればファルマの企みだと考えられなくもない。

「違うね。罠ならもっと上手にやるさ、彼女ならね」

「そうよね。この強かな灰色猫なら」

「そんなに褒めたら照れるにゃよ」

 長い尻尾が中空をくねくねと踊る。

「褒めてねえよな?」


 言葉遊びのようなものだ。最初からこの斥候士スカウト猫を疑ってなどいない。金で寝返るような簡単な相手なら扱いに苦労しないで済む。

 掴みどころが無いのに、極めつけに能力が高いから面倒なのだ。しかも軽薄そうでいて義に篤い。裏切りなど考え難い。

 今のこの行動にも何か意味があると匂わせている。懇切丁寧に教えてくれたりはしないだろうが、乗るべきだと思わせられている。


「帝国中で同様の動きが起こっています」

 エルフィンは言い添えてくる。

「露骨にならない程度にフォローを。あまり刺激したくないわ」

「御意」

「引き続き調査して。でも、身の危険を感じるようならすぐに離脱なさい」

 チャムは彼らを案じる指示も出す。気遣いに頷いて応じると、来た時同様静かに去っていった。


「軍勢が何を意図しているかはいずれ見えてくるさ」

 思案げに目を伏せる彼女にカイは軽い口調で言う。

「今は目の前の事から始めよう」

「気にし過ぎても仕方ないわね」

「そうですよぅ。結構大変ですぅ」


 これから率いるのは訓練された兵士ではない。元帝国兵や領兵もいるが、冒険者も多ければただの腕自慢も混ざっている。集団行動に慣れていて、号令一つで動く兵士ではない。


 平原に出ると、避難者を見送る彼らの姿があった。


   ◇      ◇      ◇


 港湾都市ドゥカルは軍港を擁している。

 帝国の版図は東方に大きく広がっているが、意外と大洋に面しているのは西部の南北海岸に限られていた。

 大規模な軍港があるのは北のウィーダスとこのドゥカルだけであり、当然海軍の基地もある。だが、基地の海兵がサルゲイド伯爵の命令で軍事行動を起こす事はない。彼の配下ではないのだ。


 だから、伯爵は自領の領兵だけで行動を起こさなければならなかった。

 手数が足りているとは言えないが、帝室に対して何らかの行動を起こしたと訴えて見せねばならない。なぜならドゥカルは、対ラムレキア戦線や中隔地方方面の戦略とは地理的に切り離されている。西部連合の面々とはそりが合わず、働き掛けも拒んだ以上、中央の歓心を買わねば活路はない。

 ならば獣人侯爵の叛意を問う中央の動きに呼応して見せればと獣人の捕縛に走ったのである。あまりに短絡的に見えてしまうのは、侯爵が人族主義者だった所為もあるだろう。獣人はあくまで労働者であり、人族の管理下でこそ活きる者だという思想である。逆らうのならば害悪と断じる感情がそれを後押しした。


 結果として成功したとは言えず、獣人は逃げ散ってしまったが、都市の現状を満足げな面持ちで見つめていた。


「捜索は出来んのか?」

 視察に赴いた馬車の中から、司令官を呼び寄せて苛立ちをぶつける。

「なにぶんこの天気です。ほぼ見通しが利かないでは捜索のしようがありません」

「見落とさんよう少人数で広範囲に散らせばよいだろう?」

 さも名案であるかのように言う。

「ご勘弁を。最悪遭難の危険もあります」


 今は雨が降りしきって非常に視界が悪い。雨粒そのものはそれほど大きくないのだが、量が多くて見通し不良である。

 司令官の言う遭難の危険はさすがに無い。この辺りを知り尽くしている領兵である。彼が懸念しているのは、遭遇した時に反撃を受けて無駄に兵を失う事と、うろつく魔獣に襲われる危険である。それをそのまま伝えると、彼の練兵を問われてしまうので遭難を言い訳にしているだけ。


 だが、本当の危険はこの時既に迫っていたのである。

 待機所として設けられていた簡易な天幕の中から外を眺めていた領兵。その一人が雨を切り裂いて声を届かせた。


「敵襲 ── !」


   ◇      ◇      ◇


 サルゲイド伯領擁する領兵は六千ほどと、同じ領兵だった獣人からの情報を聞いた。本来は七千と少しはいたようだが、今回の獣人脱走で千余りは失われた。

 割合としては少ないほうのように思える。聞くに、領主である伯爵が身近に獣人を置くのを嫌っていたからだそうだ。彼ら獣人領兵もあまり良い扱いを受けていなかったという。今回の脱走騒動は彼らにとって渡りに船だったらしく、とんとん拍子に事が運んだと語った。


 確かにカイの広域サーチには四千ほどの集団が映っている。全戦力を捜索に用いないと考えれば、これは順当な数字といえよう。

 味方は三千七百。主に近接戦を得意とする者を集めた千三百をハモロに任せる。次の、弓などの遠隔攻撃技能を持った者や、重装の戦士千四百をゼルガに担当させる。そして、騎乗者や足の速い者を集めた千をロインが率いるように編成した。

 兵力的に同等であり、相手は人族のみと考えれば戦力では上回っていると思われる。ほとんど練兵を行っていない点を加味しても、難しい戦いではないはずだ。


 雨の所為でハンドサインは使えないが、この獣人戦団がどこまで戦えるか、三人がどれだけ指揮出来るかを見るにはちょうど良いと黒髪の青年は考えた。

 まず地面に相手の配置とおよその数を描いて見せる。それから作戦を説明して、極力その通りに実行するよう指示する。

 不安を抱えている三人はその絵図を囲んでしばらくは話し合い、カイに質問をぶつけたりしていたが、纏まったのか頷き合って立ち上がった。


「どうかな? 行ける?」

 神妙な面持ちで了解を伝えてくる。

「君達の力を見たいから今回は手出ししない。戦力的にも作戦的にも手堅いから、よほどのことが無いと大負けなどしないはず。これ一度で決めろって言っているんじゃないし、あまり気負わず存分にやっておいで」

「はい!」

「よし! じゃあ、行動始め!」


 手出ししないと言ったがそれは嘘である。それぞれの戦隊が作戦に動き始めると同時に彼らは雨中に忍び込んだ。

 最も動きの激しいロイン戦隊にはカイが付いている。サーチ魔法で行動を監視しつつ、彼我の距離を詰め過ぎないように、かつもしもの時は即座に救援に入れるよう配慮する。


(疾い!)


 ところが彼女の用兵は想定以上の速度を有していた。

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