人獣乖離
帝都でも上へ下への大騒ぎになっていた。
完全に想定外の事態である。城壁外の兵舎はもちろん、城壁内の兵舎の獣人兵さえ一人とて残っていなかったのだ。
城門の衛士は眠らされて詰所に寝かされており、城門は開け放しで逃走経路は確定されている。夜間は閉鎖されている街門では、ちょうど獣人衛士が少数で担当だった東門の脇の小さな通用門が開放されていた。もちろん詰所はもぬけの殻。
消えたのは兵士だけではない。街で暮らす獣人も、単身者はもちろん、既婚者も一家ごと消えている。
獣人同士での婚姻関係が主なのも事実だが、中には人族との婚姻を結んでいる者も二割強ほどはいる。その場合、全員で消えている例も多いものの、残されていった者も少なくなかった。
相談を受けるも拒んだばかりに残された場合がほとんどだ。街区での発覚は、彼らが騒ぎ出した事で起こっている。真に受けずに聞き流したら、本当にいなくなってしまったと訴え出たのだ。
ラドゥリウスからほぼ全ての獣人が消えた。
軍からの報告と街区からの訴えが集中して、処理に追われて報告が遅れる。帝国首脳部は、一報は受けたものの、実態を耳に出来たのは実にその
それから本格的な対応の協議に移ったのだが、意見が大きく二分する。
一方は追跡して連れ帰るべきだと主張する。軍を中心に、獣人が失われれば都市機能が麻痺しかねないと訴える。身分の保証を確約してでも戻ってもらうべきだと考えていた。
他方は放任を主張する。無理して連れ戻したところで、そんな前例を作れば勝手な意見が罷り通ると勘違いさせてしまうとの指摘。それに、追跡に大軍を動員した場合、コウトギから保護目的の戦力が派遣されてくる可能性もあるとする。もし、衝突などすれば戦争に発展するかもしれない。それなら逃がしてしまえと言い放つ。
後者は、人族主義者が多く、舌鋒も過激だった。
そのままでは放任派に傾きそうだったが、軍閥貴族は懇々と訴える。獣人兵抜きでは戦略も立てられなくなる可能性が有るとまで主張する。皇帝も、この意見は無視出来ず、どちらにも断を下せないまま時間だけが過ぎていった。
この時点で首脳部は大きな失策をしている。獣人の足を侮っていたのだ。中には人族の家族を抱えている者もいる。そんなに早くは逃げ出せないだろうと踏んでいた。
ところが彼らは、配偶者や子供達を背負ってなお健脚を発揮している。みるみるうちに帝都からの距離を開けてしまっていた。
それを確認した調査騎馬隊は慌てる。対応に関しては何ら指示されぬまま調査に駆り出された兵は何も出来ない。呼び掛けるのが精々でそれも無視されて終わる。
報告を聞いた首脳部も、焦りを感じて皇帝に裁定を求める。背後に控えていたジギリスタ教の枢機卿の耳打ちを受けたレンデベルは、最終的に放置を命じた。
(魔法を扱えない者を切り捨てたか。だが、これは完全に失策だぞ。帝国の優位性は明らかに揺らいだ)
悩ましい表情を作りつつ、ディムザは心の中でほくそ笑む。難しい事態が生じたのも事実だが、後々の追及の手札になるだろう事も事実だった。
こうして帝国内部で人族と獣人族の乖離が始まった。
◇ ◇ ◇
「り、リドさん、痛いです。あ、血が……」
「ち、ちぅー……」
ここしばらく基本的にゆったりペースの旅だった。
あまり緊張を強いられない、楽しめる状態で走りたいと望んだパープル達の自由にさせたは良いが、本気の疾走が
問題は油断していたリドだった。薄茶色の小動物は
しがみついているのは黒髪の頭な訳で、生憎と
結果として、青年の額を生暖かい液体が伝い落ちてくる事になった。
「ぢ ──── !」
異常事態に気付いたパープルが急制動を掛ける。当然、前肢に全体重を掛けていたリドは、慣性に従って前方に放り出される。
くるくると舞って、べちゃりと地面に落下すると目を回した。
半笑いで座り込んで
その後はしがみつく場所を胸元に変えた小動物が放り出される事はなくなる。
そんな感じで南下の旅は捗るのであった。
◇ ◇ ◇
少し西に寄せて、商都クステンクルカを横目に眺めつつ南への旅は続く。
ほとんど来た道を戻るような経路から外れて、モリスコート周辺には向かわず宿場町レスキレートへの街道が視界に入るよう進路を取る。
この辺りで潜伏場所となると限られる。連山が荒れ果てているのは注意情報として流れているし、隔絶山脈山麓の森は危険に過ぎる。点在する小さな森を除けば、
やはり最大の候補は南西帝国門の有る狼達の山になろう。山岳地帯はモリスコートに近過ぎて難しい。盲点だとも言えるが、南に商都フォルギット、東にラドゥリウスと危険が多くて気が休まらないだろう。
それなら山で様子を窺いつつほとぼりが冷めるのを待ち、北上してクステンクルカで補給の後にインファネス城塞を目指すのが近道だと考えると予想する。
迂回して西側に向かうと、やはり広域サーチに反応があった。魔獣の群れとは思えない規模の集団である。
「多いなぁ」
思わずカイも参ったとばかりに後ろ頭を撫でる。どう見ても六~七千の規模である。
「いらっしゃいますかぁ?」
「うん、当たり。と言うか、この周辺だと一番の立地だから当たり前なんだけど」
見つけるのは難しくない。避難を訴えるのも簡単だ。だが、ただ逃げろと言うだけでは芸がない。
逃げ切れるだけの食料を持たせなくては意味が無いのだ。その為に改めて西方から反転リングに変換した食料庫をエルフィンに運んでもらっている。接触して分配したら、まずはクステンクルカに向かわせる。
中継点の商都では、使者からの連絡を受けたジャンウェン伯子ファクトランが受け入れて食料を補充し、インファネスに向けて北上させる手筈になっていた。
「これはいきなり空っぽになっちゃうかもね?」
少々読みが浅かったかと心配になる。
「仕方ない。次の便から増員させるからとりあえず放出なさい」
「ごめんね。よろしく」
遠話器を取り出したチャムに依頼し、山に向かって並足で近付いていった。
「あれ? ご苦労さん」
そんな脈絡のおかしな台詞が口を吐いたのには理由がある。迎えに出てきたのが狼だったからだ。
本来なら転移門に近付けないよう動く筈の彼らが、獣人達を保護しているように見える。実際に案内された先には、獣人達が身を寄せ合うように座ったり寝転んで休憩したりしていた。
「おいおい、こりゃどうなってんだ?」
トゥリオでなくとも、そう言いたくなるような状態である。
「あ! チャム! 嘘だろ?」
「何? あら、ハモロ。こんなところでどうしたのよ?」
「どうしたもこうしたもないだろ? 帝国は物騒な動きしてるし、カイが西の盟主と手を結んだっていうから、みんなでインファネスに向かうところなんだぜ」
狼系獣人の少年は手を広げて呆れた声を出す。
「あ~、カイだ~。やっほ~」
「わあ! 皆さんがこちらにいらっしゃるとは!」
ロインもいればゼルガもいる。
彼らは宿場町レスキレートで知り合った冒険者少年達だった。
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