獣人伝達網

「それでどんな感じ?」

 尋ねるチャムにカイは頭を掻く。

 イグニスとウィクトレイとの協議にはもちろん理由がある。

「拒む理由はないってのが共通意見」

「ただし、俺の立場でも獣人全てが清廉潔白とは言えん。確認は必要だと思う」

「今は善意を信じるべきじゃないかの?」

 三者三様だ。


 ルレイフィアの宣言から一巡六日一昨陽おとついには駆け込んでくる獣人の姿が見られ、昨陽きのうにはかなりの集団がインファネスに集結しつつある。

 これは西の盟主の陣営に魔闘拳士が入っている情報が怖ろしいほどの速度で広まっていることを示している。獣人伝達網がそれの主役であるのは間違いないだろう。


 カイは宣言の翌陽よくじつ、折を見てイグニスに問い質している。いつからコウトギ長議会の決定を知っていたのかを。

 その結果は驚くべきものだった。ほんの一往一ヶ月あまりのうちに彼の元には報せが届いていたという。ほとんどセネル鳥せねるちょうの足に近い速度である。

 いくら獣人の国との繋がり深く、人の行き来があるだろう獣人侯爵とは言え、それは異常とも言える情報伝達速度だ。

 そこで聞き出したのが獣人伝達網の存在。獣人同士かれらは普通に話しているようでも、人族には話さないような内容のものまで、実に密な情報交換を行っているらしい。

 その情報が馬やセネル鳥の背の上を介し、或いは本人が街道を小走りですすむ形で拡散されていく。一つの情報が東方中に拡散されるのに二往半三ヶ月は掛からないだろうという話。重要な報せであれば、それは半分近くまで縮まる可能性が有るという。

 この技術レベルの世界では驚異的な速度である。


 現在、その獣人伝達網に乗っているのは、獣人侯爵が叛意を疑われて領地を追われたもの、及び西の盟主に身を寄せたこと。そして魔闘拳士が助力した事となっている。

 東方中の獣人が自分達の秘密、魔闘拳士への従属を心に秘め、更に帝国首脳部の獣人への圧力が明確になれば、そこから起こる事態も明白である。予想される獣人への抑圧を回避する為に彼らは逃げ出し始める。

 その脱出先は、可能であればインファネスの獣人侯爵の下、或いはコウトギ長議国へ保護を求める形での入国になる。その前段となる現象が既に確認されているのだ。


「どの程度信用出来る?」


 イグニスはその波に乗じて中央側が間者を忍び込ませてくるのを危惧している。いざという時、内側から攪乱する為の人員を、だ。

 彼とて同じ獣人を疑いたくなどない。しかし、考慮しなくてはならない立場にある。


「案じたところで詮無い事ぞ? 正直に言って、このインファネスにどれほどの間者が入り込んでいるかも想像つかん。同胞を疑っていては何も出来まい?」

 ジャンウェン卿はイグニスを安心させようとしている。

「当面は直属の配下以外は要所には置けない形が限界でしょうな?」

「憂慮には値しないと僕は思いますよ?」

「ほう? それは?」

 確かに青年は難しい顔一つしていない。

「この状況自体が僕の想定範囲外なのです」


 カイは自分の考えを説明する。

 獣人同士の戦いを極力回避するには、いずれは獣人侯爵の号令を飛ばす必要を感じていた。それにせよ、普通は反応が返ってくるには相応の時間が必要だとも計算せねばならない。

 なのに、意図的な情報を流していないのに反応は返ってきている。獣人の集結という形でだ。これにはさすがにカイも面食らった。あまりに情勢の変化が早すぎる。

 この変化に巨体の頭脳である帝国首脳部が反応出来ているとは思えない。おそらく対応を協議している間に事態は取り返しが付かないほどに進行するのではないかという予想を提示した。


「では、カイ殿は間者を潜り込ませる時間さえ取れないだろうと考えていらっしゃるのですな?」

 髭の武人は納得顔。

「はい、全く無警戒というのは問題ですが、懸念するほどではないかと」

「うむ、俺も獣人伝達網の存在を知っているからこそ先走りしたが、知らぬ人族達から見れば驚天動地の事態か」

「それよりも違う事を僕は危惧しています」

 カイは賛同を得るように麗人を覗き見る。

「そうね。逃げたはいいけど、地理的に厳しい獣人ひとたちも少なからずいるでしょうね?」

「うむぅ、確かに」

「対策が必要です」


 西の獣人はこのインファネスが受け皿になれる。東もコウトギに逃げればいい。では北と南はどうすれば良いか? 

 北に関してはラムレキアに受け皿になってもらう。その場でザイードに連絡を取って了解を得た。


「では、北側にはラムレキアに逃げるよう情報を流してください」

 彼が頼むとイグニスはすぐに伝令を走らせる。

「問題は南ね。行き場所がない」

「急がないと可哀想ですぅ」

「潜伏するにも、街暮らしに慣れた獣人には厳しかろうな」

 女性陣は心配の声を上げる。

「行こう」


 黒髪の青年の決断は早かった。

 南側への伝達を依頼すると、地図を広げて潜伏に向いている場所の確認に入る。イグニスの弁に拠れば、獣人だけにそれなりの長期潜伏は可能だとの事だ。本能に従うように動くだけだという。

 それでも放置するのは忍びない。ラムレキアに様子を窺いに行く予定だったが変更し、カイ達は南部へ向かう算段を始める。


「なに?」

 そこへするりと室内に入り込んできた人物。

「む、森の民!」

「おお、すごい……」

 ウェクトレイとモイルレルは感嘆する。

「そう。分かったわ、ありがとう。監視を続けられる?」

「はい」

 知らせを受け取ったチャムは簡単な指示を与えた。


「ちょっと面倒」

 目顔で訊いてくる仲間に彼女は答える。

「帝都から軍勢が進発したそうよ。二万」

「もう討伐軍を送り出して来やがったか」

「いや、変だ。少ない」

 カイはすぐに疑問を呈する。

「ですな。先発かもしれませぬが、二万ではインファネスは落ちませぬぞ?」

「ここに三万。我が領兵二万もすぐに動かせます。ベウフスト軍も七千近くいると考えれば、話になりません」

 モイルレルも将軍の顔になっている。

「ええ、たぶんだけど目的地はここじゃないわ。南に向けて進軍しているそうよ」


 様々な事象が南部を示唆していた。


   ◇      ◇      ◇


「もう行ってしまうの、お兄ちゃん?」

 諸侯とともにルレイフィアの部屋を訪れたカイ達は、出発の連絡をする。

「どうもそんなにのんびりもしていられなさそうなんだよ。それに、帝国内を動き回れるのも今のうちだけだろうからね」

「それはどういう事ですかな?」

 家令モルキンゼスは主に成り代わって尋ねてくる。

刃主ブレードマスターにコウトギ長議国の判断を持って帰ってもらいましたからね」


 トゥリオがディムザに話した事は聞いている。恣意的なものではあったが、情勢的には悪い判断ではなかったとした。

 帝国首脳部はこれまでと違って後背を脅かされる危険を感じているだろうと説明する。あの獣人の国が立てば、大きな脅威になるのは間違いない。それが魔闘拳士の号令一つで動くとなれば気が気ではないだろう。

 今はいつ動くかと怖れているはず。東寄りの帝都ラドゥリウスは大戦力を動かし難い状態に置かれている。

 そんな中での南部への不穏な動きは気になるし、獣人達を見捨てる訳にもいかない。


「なるほど。帝都を進発した軍勢の意図は見えませぬが、避難潜伏しているだろう獣人達を集め回るには今しかありませんな」

 少し不満げな顔をする少女に、言い聞かせるように言う。

「一人にはしないよ。僕も帰ってくるし、みんなに頼っていれば大丈夫だから安心しておいで」

「はい……」

 彼の胸に顔を埋めるルレイフィアに優しく声を掛けて背中を撫でる。


「ちょっと旗振りして、人を集めてきます」

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