南部不和

帝国の変貌

 闇の中をひたひたと走る足音がする。


 塀を越え、巡回の目を搔い潜り、或いは巡回を抜け、街壁からロープを垂らして滑り降り、足音は舗装路を叩くものから草を踏むものに変わっていく。

 夜陰に紛れて走る影はかなり多く、見交わす目が仄かな光を放っている。彼らは東へと、或いは北へと、時に西へと、そして南へと駆け去っていった。


 そして、隣人は気付く。

 兵舎の隣室から、肩を並べて戦っていた獣人の戦友が消えていることに。

 隣の獣人一家が、家財の一部とともに一人残さず消えていることに。

 住み込みで力仕事を担ってくれて貴重な戦力であった獣人が消えていることに。


 或る朝、当たり前のように歩いていた獣人達が、街や村から綺麗さっぱり消えていた。


 それは一ヶ所ではなく、時期に前後はあるものの様々な場所での出来事である。


   ◇      ◇      ◇


(ルレイフィアが立ったか)

 ディムザがその報を受け取ったのは巡回部隊からの転送伝文でだった。


 帝宮への帰還後、獣人侯爵を逃がしてしまった事を皇帝レンデベルに報告したが、それに関する詰問はなかった。

 ただ、それにも魔闘拳士が絡んでいると知ると憤る様子を見せる。が、長続きはしない。その後に、コウトギ長議国が魔闘拳士への忠誠を誓ったことを報告したからだ。

 それは極めて重大時である。宮廷貴族達はかなりの動揺を見せ、口々に隣国を悪し様に罵ったりもしたが、それでどうにかなるものでもない。まずは対応を協議しなくてはならない。


 国外の獣人が脅威なのはもちろん、国内の獣人も今後はどの程度働いてくれるかは不明だ。獣人兵も嫌々ながら命令には従うかもしれないが、魔闘拳士と対峙した時はその限りでないとの意見が大勢を占める。

 脱走者も幾分は出るだろうし、それは西部連合にも走るだろう。反攻勢力に加わってしまうのは危険極まりないが、だからと言って罪もなく捕縛したり、獣人だけ外出禁止令を敷いたりすれば余計な反発を招く。

 非常に対応に困る案件であり、協議はそれに終始する有様で、ディムザの失敗まで言及する者はほとんど出なかった。


(ここまでは思惑通りなんだがな)

 彼も苦渋を隠せない。

(厄介事を起こさないよう、釘を刺すつもりで神至会ジギア・ラナンのことを教えたんだが、あいつめ、恨みに持ったか?)

 事実とは異なるが、ディムザはそう感じている。


 ルレイフィアやその家令モルキンゼスに神至会ジギア・ラナンの存在を教えたのは彼だった。

 帝国に根深く蔓延る闇の存在を知れば、怖気を振るって諦めると思ったのだが、どうやら逆効果だったらしい。

 どうもディムザの計算はカイが絡むと容易に狂ってしまう。


(面倒な事になった。一部の獣人の脱走は抑えきれないだろうし、そいつらはコウトギに逃げ込んだりするだろうが、西部に逃げられれば戦力になってしまう。あまり事態が深刻化してくれば、責任追及の声が大きくなるか?)

 こういう時に厄介なマークナードがもう居ないのは僥倖と言える。カイに感謝しなくてはならない。だが、それ以上に彼を中心に獣人が糾合するのは大問題だ。


(……しかし、やられたな。ラムレキア、コウトギ、西部連合か)

 北、東、西と抑えられてしまった。巨体の周りに柵を作られたような感じだ。成長するどころか身動きも儘ならない。

(計算通りか? だとしたら完全に後手だ)

 動きが追い切れなかった時点で出遅れているが、まさかたった一人の男がここまで組み上げるとは誰も予想していなかっただろう。

(武威の英雄と侮っていた帝国首脳部の落ち度だな。まあ、いい。まだ兵力には大きな開きがある。へまをしなければいくらでもやりようはある)


 だが、次の報はディムザを驚愕させるに十分だった。


「なに? 獣人がいない?」


   ◇      ◇      ◇


 先頭を進むは青髪の美貌。斜め後ろに付き従うようにモイルレルが続き、その様をチラチラと窺いながらフィノがチャムに少しだけ遅れて歩いている。


「相変わらず見事な腕前でありますな、チャム様」


 ここはインファネス。彼らはまだ滞在している。

 女将軍に請われ、少し前まで中庭で軽く組んでいたのである。ついでに獣人娘の杖術訓練も二人で見ていたのだ。


「堅苦しいわね。チャムでいいわよ、チャムで。ガッツバイル相手に、一緒に戦った仲じゃない」

 ジャルファンダル動乱では共闘している。その時にお互いの腕前も知れていた。

「いえ、あの時は存じ上げていなかっただけでありまして、神使の方とあられましては、とても呼び捨てなどおこがましく思いますのでご勘弁を」

「生真面目ねぇ」

 苦笑交じりに肩を震わせる。そんなところにも好感が持てる。

「見てみなさいよ。カイも無位の平民だし、フィノもそう。彼らはそうと分かっていても呼び捨てでしょ?」

「そうおっしゃられましても魔闘拳士と同格などと奢ってなどおりませんし、戦場働きで万魔の乙女にも適う訳もなく」

「「『万魔の乙女』?」」

 聞き慣れない単語に首を捻る。

「何ですかぁ、それぇ?」

「何をおっしゃっているんですか? あなたの事ですよ?」

「ぶふ ── !」

 犬系獣人は盛大に吹き出す。


 説明を聞くと、彼女の配下が名付けたのだそうだ。

 動員されたジャイキュラ子爵領兵は、魔闘拳士一行の個々のすさまじい力量に感銘を受け、それぞれに二つ名を付けて呼んでいるのだそうだ。

 その中でフィノを表しているのが『万魔の乙女』。多くの属性魔法を息をするように扱い、奇跡のような光景を生み出す彼女に合わせたという。


「あうあうあうあ ── !」

 当のフィノは説明の間中、悶え狂っていた。

「なるほどね、面白い事考えたわね。それで私の二つ名は何?」

「チャム様には『青髪の無双』です」

「あら、案外と無難ね? もう少し捻ってくれるかと思ったのに」

 飛び火を期待して立ち直りつつあった獣人魔法士は露骨に落胆を示している。

「つまんないですぅ」

「そう言うもんじゃないわ、万魔の乙女さん?」

「くはぁっ! 止めてくださいよー!」


 そんな話をしているうちに目的地に到着する。

 小さめの会議室の中にはジャンウェン辺境伯ウィクトレイとベウフスト侯爵イグニス。対するようにカイが座り、後ろからトゥリオも覗き込んでいた。

 美丈夫は獣人指揮官達に誘われて一手組んでいた筈なのだが、どうやら彼女達より早く済んで合流していたらしい。


「何だよ。楽しそうじゃねえか?」

 わいわいと喋りながらやってきた女性三人に大男は問い掛ける。

「いやね、モイルレルのとこの領兵が私達に二つ名を付けていたらしいのよ。それがちょっと面白くってね」


 二人の二つ名が伝えられて少し盛り上がる。その間もずっとフィノは悶えていなくてはならなかった。


「意外に簡潔で洗練されていると思いますよ。それで僕のは?」

 青年が話題に乗る。

「魔闘拳士は魔闘拳士ですよ? それ以外に何か?」

「あ、やっぱりそんなオチですか。期待した僕が馬鹿でした」


 彼の場合、むしろ本名で呼ばれるほうが少ない。そんな思いがあって、たまには毛色の違う呼ばれ方を期待していたようだ。


「それじゃ、俺のは何なんだ?」

 順当にトゥリオの番がやってきた。

「トゥリオ殿の二つ名は『剛力の盾』でありますよ」

「おう、『剛力の盾』か。悪くねえじゃねえか」

 誇らしげに腕の筋肉を盛り上がらせている。

「あら、そう? 本人が気に入っているのなら問題はないわね」

「あん? 何か変なとこあんのか?」

 引っ掛かる言い方に彼の眉は跳ね上がる。

「聞きたい? だってあんたのは要するに、フィノの遮蔽物って事じゃない」

「な!」


 教えられないほうが幸せだっただろう。


「俺は物扱いかよー!」

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