友にして敵

 獣人侯爵の後姿を見送ってから、トゥリオは迷いながら口を開く。


「なあ、カイ。加減出来ないか? 奴は戦争を拡大させようとしている訳じゃねえ」

 大男が抜け出したのは知っているし、そこで接触したのだろうとは予想が付いているカイは彼の言葉に耳を傾ける。

「どっちかっつーと目標は似たようなとこにあんだよ。その気になりゃ、共闘するのも難しくねえと思うんだが?」

「その共闘には、彼の行為を容認するのも含まれるんだよ? 僕とではあまりに思想が違う」


 武器を取る者、理不尽を行う者には容赦せず、自ら汚れるのも厭わない青年だが、ディムザとはやり方に大きな差がある。思想に偏りがある自覚はあれど、彼のような方法は絶対に選ばない。

 明言はしないものの、刃主ブレードマスターの思想の根底にはやはり選民的なものが垣間見られ、市民の人権を軽視する傾向は否めない。


「目的の為にあまり手段を選ばないのは似ていたとしても、手法に関しては協調出来ない」

 厳しく撥ね付ける。

「言いたくはないけど、君の中にも僅かだけど同じものを感じる。帝王学を学んだ所為だろうね。多数を生かすのに少数の被害には目を瞑るのを許容しているんじゃないかな?」

「なに!? ……いや、無いとは言えねえ。貴族の考えが子供の頃から刷り込まれちまってるのは認める」

 一瞬怒気を強めた彼だが、すぐに思い直したようだ。

「僕だって全てを救えるって思うほど驕ってはいない。でも、何か事を起こす時は考え抜くよ。切り捨てるものを出さないように」

「俺も奴もそんなに器用じゃねえんだよ」

「そう? 僕には急ぎ過ぎているように思えるけど」


 ディムザの行動を見ていると、一人走り続けているような印象がある。大志だけを抱えて、色んなものを振り切って駆ける走者のようだ。

 だが、人生は陸上競技ではない。足を掛けようとする者も多いかもしれないが、背中を押してくれる者もいる筈だと信じられないのだろうか?


「無理か。生まれも育ちも違い過ぎて、見えているものが違い過ぎんのか」

 整った顔が苦悩に歪む。

「一概にそう思うのは早計じゃない? 私はこの人が見ているものが見えるわ。刃主ブレードマスターもあんたも目を伏せてない?」

「でもでも! フィノもそうですけど、そんなに広い視野を持つのは難しいですよぅ」

「怖がらないで受け入れる姿勢が大事なの。自分の心や常識を守ろうとしているうちは道は見えないものよ」

 改めてそれを実感したばかりのチャムの言葉は重かった。

「ちょっと考えを纏める。もう頭ん中がごちゃごちゃで限界だぜ」


 そのまま寝転がるトゥリオだが、感情の振り幅の大きな彼には難しいかとカイは思った。


   ◇      ◇      ◇


 食料や休息は確保可能になったベウフスト候軍でも、長期の撤退行は身体に疲労を蓄積させている。


 手持ちの衣服を持ち寄って縫い合わせて目隠しを作ると、フィノが用意した大量の湯が運び込まれ、避難民の女性達が身体を拭う場所が設けられた。

 清潔にするのは疲労を軽減させるとともに気分転換にもなる。もうひと頑張りの元になるだろうと貴重な時間が割かれていた。


「うはぁ、さっぱりするぜ!」

 男達には囲いなど無い。湯も十分でなく、薄めてぬるま湯だがそれでも効果は大きい。

「待ってたんだけど、西部は本当に雨が少ないんだね。そろそろ限界」

「隔絶山脈で空気がからっからに乾いてやがる。沿岸部以外はあんま降らねえのかもしれねえな?」


 聞くに、流れ嵐たいふうが内陸に入ってくると大きく空気が変わる事もあるようだが、基本的に乾燥気候らしい。

 隔絶山脈からの地下水が豊富で、土中水分も低くないので作物は育つし、井戸を掘れば水に困ったりはしないようだ。


「もう! 何してんのよ!」


 残り湯に水を足してセネル鳥せねるちょう達の埃を洗い流してやっていたカイは、取り囲まれて身体を擦り付ける遊びで全身が濡れたまま。未だ下履き一つの状態の時に女性陣が帰ってきてしまった。


「恥ずかしい! 見ないで!」

 胸元を隠すが、見るべきものが付いている訳ではない。

「馬鹿やってないで、さっさと身体を拭きなさい!」

「はーい」

 そう言いつつ手布で背中を拭うチャムは少し顔を赤らめている。

 それを眺めているフィノを窺っていたトゥリオはおもむろに服を脱ぎ始めた。


「脱がなくても良いですぅー!」


 背中に赤く手形が付いた。


   ◇      ◇      ◇


 少し足取りの軽くなった避難民を守る軍勢でも、補給のしっかりとした正規軍に行き足では負けてしまう。

 

 遠く見えた軍勢の数は見るからに増している。

 帝国軍の増援は無かったようだが、新たにデュクセラ子爵軍の旗を掲げた騎兵隊や歩兵隊が加わったようで、総数はゆうに一万を超えるだろう。

 対してベウフスト候軍はおよそ四千。新兵器を用いない野戦となれば、非戦闘員は背負うだけになり、数の劣勢がそのまま影響してしまいそうだ。


「厳しいな」

 最後尾まで様子を見に来ているイグニスは周囲の耳を気にしつつ囁く。

「救援の姿は見えません。迎撃するしかありませんよ?」

「ああ。総員、戦闘準備!」

 カイは広域サーチの結果を伝えてくれていた。一以内に届く範囲に集団の影はない。


 獣人侯爵は健在の騎馬隊千を、デュクセラ子爵軍の騎兵三千強にぶつけるのは避ける決断をした。

 指揮官に、歩兵隊を目標にした遊撃を命じた彼は、デュクセラ騎兵を正面から受け止めざるを得ない。幸いにも麗人と盾士シールダーと魔法士が前面に残ってくれている。足の速い戦力にも魔法という対抗手段が出来た。


 黒髪の青年は単独で遊撃に出ており、今は騎馬隊に合流して歩兵隊をおびやかしている。そのお陰で総攻撃はまぬがれている。


「イグニス!」

 突進してくる騎兵は友人の姿をしている。

「来たか、レイオット!」

「これまでのようにはいかないぞ! もう敗北を認めて殿下に膝を突け! 悪いようにはしないとおっしゃっておられる!」

「それは俺個人のことだろう? あの方は獣人全体の事は考えてくださらない。飲めんのだよ」

 子爵の様子は尋常ではない。目元には濃い隈を作り、見るからに痩せている。戦傷と疲労が彼を変えてしまっていた。

「そんなに私に斬られたいか! そこまで分からない男ではなかったはずだ!」


(変わったのはお前だ、レイオット)


 イグニスは抜いた剣を振りかざした。


   ◇      ◇      ◇


 琥珀色の魔石が焔光ようこうに煌めく。


風刃ウインドエッジマルチ!」


 無数の風の刃が群を成して騎馬隊に側撃を掛ける。

 魔法士を伴わない騎兵は、魔法耐性の高い防具を纏っていない限りは直撃を受けてしまう。鎧の隙間を深く切り裂かれた者は落馬して、蹄の追い打ちで命を失う。浅い傷で済んだものも、時間を追うごとに失われる血が動きを鈍らせていくだろう。


 騎馬隊も一番の難敵が誰かを見定めていて、そこから攻めようと突進してくる。魔法の連発で或る程度は削り取ったものの、素早い機動に接近を許してしまう。

 だが、魔法士フィノには力強い壁の存在がある。新しい大盾を掲げ大剣を横に翳した後姿には頼もしさしか感じられない。


 突進してきた円盾を構えた騎士を、盾ごと一刀両断にする。突き込まれる槍を大盾で弾くと、カウンターで突きの餌食にする。ブラックの蹴りで体勢を崩した騎士の背中を深く斬り裂く。

 敵を屠りながら少しづつ後退しているうちに、正面に道が出来ているのに気付いた。そこにするりと入り込んでくる影。


「トゥリオ! 勝負!」

 長剣で斬り落としを掛けて来たのは、あろう事か敵将の姿である。

「ディムザー!」


 奇縁の友人同士が剣を打ち合わせた。

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