西部動向

 改めての転移先は南帝国門。雲輝狼クラウドシャインウルフが守ってくれている、あの山中の築山である。反帝勢力としての西部の状況を確認したかったからだ。


 歓迎してくれた狼達に挨拶を済ませて軽く仔狼と戯れた後、やってきたボスに周辺の動静を筆談で聞く。彼らは山を守るという役目に存在意義を感じており、常に周辺に目配りをしている。夜間にはかなり広範囲を見回っているようで、人間の動きも十分に把握していた。

 曰く、かなりきな臭い動きがあり、近隣の獣人が多い都市へ軍勢が迫っていたかと思うと、獣人達が一斉に西に向けて移動を始めたらしい。


 情報を得たカイ達は、西に向かって少し足を速める。大集団、しかも民間人の移動となれば只事ではない。


 広域サーチで現状をこまめに確認しつつ西寄りに針路を取ると、確かに避難民らしき列が目に入った。


   ◇      ◇      ◇


「それで獣人は逃げ出さざるを得なくなってしまって……」


 事の経緯を聞いた彼らは護衛を申し入れるが、別の提案もしてみる。


「このままでは残った獣人兵は捕らえられるか全滅してしまう可能性が有ります」

 避難民の中心人物らしきファバルと名乗る猫系獣人女性は息を飲む。

「軍勢は物資無しでは戦闘を継続できません。あなた方を逃がす為に必死に戦うでしょうが、それは長続きしません。戦いながら逃げ切るのは無理でしょう」

「そんな……。どうすれば……、あなた」

 彼の言葉を確認するように周囲を固める獣人兵を見ると、事実を認めるように視線を逸らす。膝を折って涙ぐむ彼女に、子供達が縋り付いた。

「ですが今なら間に合うかもしれません。獣人達を糾合して彼らを助けに行きませんか?」

「でも、避難しているのは民間人ばかりです。戦う術など知りません。ただの足手纏いになってしまう」

「食料を届けるだけではないのですよ? 軍人の士気は馬鹿にならないものです。守るべきものを背負った時の力は目を瞠るほど。それにあなた達とて全く戦えない訳ではない。皆で生き残る気持ちはありませんか?」


 最後のひと言が彼女を衝き動かす。

 動ける兵を走らせてばらばらに逃げる避難民を集めるとともに、元来た道をゆっくりと戻り始める。助け合う獣人の精神を実現させる為に。


 決意をもって挑む人々に、カイは応えたいと心に決める。


   ◇      ◇      ◇


 イグニスは沈思黙考している。話の流れは分かるし、彼らの決意を貴いとは思うが現実はそんなに甘くない。何やら彼の妻が青年に唆されたかのように感じてしまう。


「民間人を連れていれば行軍速度は遅くなる。正規軍の行軍も決して速くはないが、それでも追い付かれてしまうだろう。やはり先に行かせたほうがいい」

 出来るだけ重々しく、考えが伝わるように心掛ける。

「何うじうじと言ってんだよ? もう行軍がどうこう言うような状態じゃなかっただろうが。お前らが命繋いでんのは誰のお陰だ? 女達が覚悟決めて飯を運んで来てくれたからじゃねえのかよ!」

「……その通りだ。済まない」

「分かってんなら、次に何をやりゃ良いかも分かんだろ? 男を見せろよ!」

 大柄な盾士シールダーの檄に目が覚めた気分になった。

「この命に賭けても守ろう」

「それで良い」

「そんなに悲観的にならなくても良いと思いますよ?」

 トゥリオは精神論を説いたが、青年は少し違う考えを持っているらしい。

「もう無闇には仕掛けてきません。きっと場を整えて来ようとします」


 その頃には彼我の距離は3ルッツ3.6kmは離れている。駆け足も止めて徒歩移動になっていた。

 正規軍の行き足は非常に遅く、夕暮れまではかなりの距離を稼ぐ事が出来る。


「食料はどの程度ある?」

 副官に問う。

 物量は無限ではない。持ち出せた量など知れているだろうし、ここまでの旅程で消費しているはず。

「それがあまり困窮していない様子です。彼らが持っていると言うのですが?」

「なに?」

 当の冒険者ほんにん達が手招きしている。人を誘導して場所を空けていた。

「食料を出します。部隊ごとに代表者が受け取りに来れるように段取りしてくれませんか?」

「しかし、三千はいるのだぞ。いや、合流したから四千近くはいる。普通の量では足りない」

「何を言っているんです? 民間人だって五千人以上はいるんです。お腹いっぱいとはいきませんが、戦えるくらいの量は有るからこんな提案をしたんですよ」


 カイが何かを操作すると、そこに小さめの倉庫くらいの木箱が出現する。備え付けの扉を開くと、中にはぎっしりと袋が詰まっていた。


「すみませんが、空間効率上小麦粉です。調理して食べてください」

 そう言うと、同様の木箱が次々と現れる。

「こっちは干し肉。あれは干し野菜よ。順番に取りに来なさい」

「これは……」


 皆が並んで受け取りに来ている。慣れているのか、男達は石を運んで竈を作り始めていた。

 確かに、徒歩に移ってからここまでも子供達が盛んに走り回っては落ちている枝を拾って回ったりしているのを見ている。あれは燃料を集めていたのだとイグニスは初めて気付いた。


(何て逞しい。俺も街の暮らしに慣れ切って、家が無ければ暮らせないと思い込んでいたのか? 情けない。人族社会にかぶれてしまって、獣人本来の生き方を忘れてしまっている)

 狩りを忘れて久しい自分を省みる。行軍中だって枝を拾っては背嚢に括りつけて、それで温かい食事にありついていたではないかと思い出す。

(野生を忘れた虎に何が狩れる! だから刃主ブレードマスターに負けるのだ! もう一度、鍛え直せ!)


 彼は口元に不敵な笑いが戻ってきているのに気付いていなかった。


   ◇      ◇      ◇


 夕餉の煙がたなびく。

 持ち出した鍋に塩気の強い干し肉を入れて煮立て、干し野菜に汁気を吸わせつつ小麦粉を練って入れ、すいとん・・・・のようにする。パンほど栄養効率は良くないが、掛かる手間暇を考えればこれくらいが限界だろう。


 どこからか大鍋が持ち出され、大雑把に作られた汁物が配られる。それでも腹を満たす人々は無心に笑顔で平らげていった。

 獣人兵も、身体の芯に染みる旨味と疲れを癒す強めの塩気に、気力が湧き上がっていくように感じているようだ。

 中でも合流した避難民の中に家族の顔を見た者はともに食事をする事で、戦う力が身体に満たされていっているだろう。


 その片隅でこそこそと黒髪の青年は土鍋の番をしている。炊飯中なのであるが、いくら隠れていようとも独特の香りは人の鼻をくすぐってしまう。


「ねえねえ、それ何ー? すごくいい匂いする」

 こういう時に子供達は無遠慮に近付いてくる。

「う……。こ、これはね、僕のご飯だよ。そんなに大したものじゃないから気にしなくていいからね?」

「でも美味しそう。ねー、あたしにもちょうだい」

「僕も食べたい!」

「俺も!」

 どんどんと囲まれていく。

「おおお……、何この強力な包囲網」

「さすがに形無しね」

 精強な帝国兵に囲まれようが小揺るぎもしない戦士が、この包囲網にはたじたじである。

「おい、こいつは白麦の匂いじゃねえか? 旦那、そんな良いもん隠しちゃいけねえぜ」

「白麦? 美味しいの?」

「決まってる。最高だ」

 子供達に加勢が加わると、既に敗色濃厚。

「カイ、ケチ臭いことしてないで出してあげなさいな? そんな情けない男は嫌いになってしまうかもよ?」


 確実に止めを刺された。

 渋々展開した白麦の大袋に人々が殺到して持っていく。野営地は白麦を炊飯する香りに満たされていく。自然、笑顔に包まれていくのだが、約一名は気が気でない。


「そんな―! 僕の白麦がぁー!」

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