白い救援者
夜襲はまぬがれたようだった。
一応、最小限の見張りは命じたが、今の兵の疲労具合を見ればまともに機能していたとは思えない。座り込んで寝ていた者も多かろうと思う。
なにせ食事も儘ならないのだ。そんな状態で動き続けられる者などいはしない。
その苦境を敵は容赦してくれない。夜目に優れた獣人相手に警戒して夜襲は避けたようだが、十分な遠征準備の上で食事と休息を済ませた帝国正規軍は、意気盛んに隊列を整え始めているのが見える。
(何とか乗り切った。皇子殿下にはこの命の価値を存分に味わってもらう)
背後に丘を背負った状態で正規軍を見下ろしている。指揮官を集めて、イグニスの号令一つで駆け上って離脱するよう命じてある。
無理して都合付けたのであろう、少量ながら食べ物を口にした虎獣人は戦える状態に身体を持っていっている。
(粗末な干し肉一つでも、空腹には至上の味だった。最後の食事に相応しい。さあ、三千を生かす為に華々しく散ってやろう)
敵軍を睨み付ける表情は、完全に捕食者のもの。たわめた力を爆発させる準備を整えた。
粛々と押し出してくる正規軍。最前で後ろの隊列を守っていた重装歩兵が一斉にしゃがむと、筒先がベウフスト候軍を指向する。
(来い! 最後の牙の一本まで貴様らを傷付けてやる!)
鞘に手を掛け、柄を強く握る。
「構え!」
既に聞き慣れてしまった号令が耳に届く。次に続くのは「撃て!」だ。
炸裂音を響かせる筈の筒の一つが急に下を向くと、その兵は糸が切れたように
◇ ◇ ◇
(なぜ、あいつがここにいる!)
丘の上には、白い
腕には重厚なガントレットを装着し、それが射出器が並ぶ前衛に向けられている。光輝の輪が浮かび上がっているところを見れば、完全に狙撃体制に入っているのだと分かった。
度重なる一方的な戦いに、万能感に捉われていた射手達は、突然の事に棒立ちになっていた。
そうなればただの的だ。悲鳴もなく数名がばたばたと倒れ伏して、彼らは恐慌に駆られる。
「大盾掲げ!」
ディムザが大音声を発すると、重装兵がようやく呪縛から放たれて、立ち上がって射手を守ろうとする。
しかし、攻撃は収まらない。
まずは大盾に穴を穿たれた重装兵が前のめりに倒れる。金属盾だというのに易々と穴が空き、背後の射手までもが射出器を放り出して身体の各所を押さえてうずくまる。
「くっ! 総員、伏せ!」
近衛が慌てて第二皇子の前に壁を作る中、再び放たれた号令で正規軍全員が大地に伏せた。
「撤退! 急ぎなさい!」
戦場の隅々まで清らかな調べが響き渡った。
(やはり全員いるのか! エウリオーノの無能め! 騒いで足留めも適わなかったか?)
西の辺境に送った筈の男はまともな働きも出来なかったようだ。
彼に並ぶ騎影が姿を見せると、ベウフスト侯軍は立ち上がって最後の気力を振り絞り、丘を駆け上がっていく。
呆気に取られていたような獣人侯爵も、全軍の殿を努めながら頂上まで後退していった。
(これは難しくなった。彼らが介入するとなると、一筋縄ではいかなくなるぞ。ここは退くか?)
ディムザの脳裏を迷いが駆け巡る。
(いや、これは西方への牽制になるか? 今後は魔闘拳士を陣頭に置いても怖ろしくはないぞと思い知らせてやれる)
あの正体不明の魔法攻撃は新兵器にとっても脅威だが、相手は一人。数で圧倒するのも難しくない。
(だが、立て直しは必要だ。射出器は下げる)
低い姿勢で走る伝令に、前衛はそろりそろりと後退を始めていた。
◇ ◇ ◇
イグニスは呆然としてしまった。状況の変化に頭が追い付かない。
丘を越えた兵からは大きな歓声が上がっている。皆の目が捉えたのは、先行した民間人たちの姿だった。
彼らは金銭や手持ちの食料などを持ち出している。兵達に向けてそれを振っていたので、思わず生き延びたと思った兵士が上げた声が木霊したのだ。
(何て事だ! せっかく逃げ延びてもらった者達に追い付いてしまったのか? 多少の食料が手に入ったところで、彼らを守りながらの撤退戦は至難の業だぞ)
虎獣人は頭を抱えて蹲りたくなるのをぐっと堪える。
視線を巡らせれば、騎馬隊だけのデュクセラ子爵軍が急迫してきている。それに対して、先の白い装束の冒険者の男は紫色の騎鳥にようやく乗ったところ。
(救援はありがたかったが、早く逃がさなければ! レイオットの腕は確かだ)
肩を並べて戦ったイグニスだからこそ分かる。デュクセラ子爵レイオットはそう大柄でもないのに大剣を見事に取り回し、騎乗戦に於いてはかなりの強さを示していた。
強めの身体強化に驕らず自らを鍛えた友人は、人族にしては相当高い膂力を有しているのは間違いない。
「おい、逃げ……!」
声を掛けようとしたと同時に、男の手に長柄の武器が瞬時に現れた。どうやら『倉庫持ち』だったらしい。ちゃんと騎乗武器も備えていると見える。
ぎらりと
長柄の先には大振りな片刃の刀身。それには
小脇に抱えられた武器は、虎獣人も初めて目にするような変わった外見をしていた。
彼は、先ほど獣人達に号令を掛けた青髪の美貌とともに、飛ぶように駆けていった。
◇ ◇ ◇
「どんな感じ?」
新しい薙刀を突撃態勢で構えるカイに、チャムは気軽に問い掛けた。
「ちょっと軽いかな? 前みたいに重さに任せず力で取り回しが利きそうな感触だね」
「前より軽くて柔軟な素材だけど、力負けするほどは柔らかくはないはずよ?」
(まあ、第二段階まで解放しない限りは、ね)
旅立ち前にカイも薙刀を作り直すように促したのは彼女だ。せっかくオリハルコン特殊合金が有るのだから、それを刃に乗せた薙刀にするように言った。
黒い薙刀に白銀の刃はあまりに見栄えが悪いので、本体から作り直すように誘導する。本心では、彼が黒い武装を使い続けているのが気に入らなかったのだ。悪役ぶるところがあるのは仕方がないが、装備までそちらに傾けて欲しくない。
自分からそう名乗る事は少ないだろうが、『ゼプルの騎士』に相応しい格好くらいは繕えるように持っていくつもりだ。
「追われると煩わしいから或る程度叩くよ」
帝国正規軍は釘付けに出来たが、今の獣人の軍には補給と休養が必要である。
「負傷者で足留めする? それとも馬から落として逃がす?」
「頭を潰したいな。突っ込むから付いてきて」
「分かったわ」
紫と青の
陸生鳥類であるセネル鳥が翼をあまり退化させずに残しているのは、この走り方の為だと言えよう。滑空能力は余禄に過ぎない。
接近してくる騎馬隊は速度を緩めず、両者の距離はたちどころに縮まる。だが、そのまま激突とはいかない。
小さな牙がずらりと並ぶクチバシを開いた二羽は、そこに紅熱球を生み出している。放たれた魔法は騎馬隊の鼻先に命中すると爆炎を撒き散らす。
牽制魔法に浮足立つ騎馬隊に、二騎は突き刺さっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます