孤立する虎

 帝国正規軍が迫ったとしてもモリスコートは城塞都市である。外に足留めをして交渉に持ち込むのはそれほど難しくない筈だった。


 すぐにそう思い立ったイグニスは城門の閉鎖を指示すると、城門上へ馬を駆けさせようと目論む。ところが、領主館を出たところで既に睨み合いの始まっている場面に出くわしてしまった。


「何事か!? 状況を考えよ!」

 気色ばむ者達を一喝して鎮めるつもりだったが、この時は上手くいかない。

「出て行かれては困ります。このまま帝国軍を受け入れて、その指示に従われるよう言上いたします」

「お前……、か?」


 それは代々仕えて来てくれた家臣の一人だった。口煩いところはあるが統治には通じており、イグニスも良く支えてくれると高評価してきた人物。

 だが、その家臣が人族の兵を従えて、迎え撃とうとする獣人兵達の動きを抑えている。彼の後ろには幾人かの他の家臣に、人族指揮官の数々。彼らを全て掌握しているようだった。


「種族は違えど侯爵の位に在る者。弁えてくださっていると思っておりましたが、まさか陛下の御命に従われないとは思ってもおりませんでした。どうやら見込み違いをしておったようです」

 申し合わせてあったのか、人族の兵士は既に剣を抜いている。それに対して、獣人兵達は味方相手に抜くのを躊躇っている。

「意見はちゃんと後で聞く。今は一刻を争うのだ。そこを退いてくれ」

「残念ながらそうは参りませんのですよ。今、ご理解ください」

「……命令だ!」

 その気迫に一瞬おののく様子を見せたものの、一歩も引かない構え。

「仕える相手を間違えておりました。所詮その程度。獣人を家臣に加えるなど、器が知れるというもの」

「そ、そんな事で裏切ったのか?」


 イグニスの中を困惑と怒りが駆け巡る。

 コウトギ長議会の気遣いに甘えて確かに獣人を家臣団に加えた。だが、えこひいきなどした覚えは一切ない。むしろ機転は利くが人族社会の常識に疎い獣人には控えてもらって、旧来の家臣の意見を重視する方向で進めていた。十もそこに身を置けば、同僚や街から様々なものを学び取って同列に並ぶのも可能だとくらいに考えていたのだ。

 しかし、人族家臣はそう感じてはくれなかったようだ。その言動からして、同じ社会に獣人と暮らすのは常識だと感じても、上に頂いたり同列に扱われるのにはしこり・・・を感じていたという事なのだろう。


「そうなのか」

 彼は幻滅した。

「裏切ったとは聞こえが悪いですぞ。私も帝国臣民の一人。皇帝陛下の御下命に従うまでのこと。当然でありましょう?」

「俺が教わった侯爵領の道理とは異なるのだが、お前がそう言うのならそうなのだろう」

 領地は独立国も同じと教えたのは彼である。イグニスの命令が通らないというのは妙な話だ。

「と、時と場合によるという事です! 柔軟であれともお教えしたでしょう?」

「そうだな。中央の言いなりであってはならないと聞いたが、それも時と場合によりけりなのだろう」

 二枚舌を非難している時間はない。幻滅はしたが絶望はしていない。


「ファバル達を逃がしてくれ。頼む」

 横で憤激している副官に囁く。

「閣下はどうなされるので?」

「突破する。その後は領兵と合流して、街の者に避難を促す。その混乱に乗じて逃げてくれ。獣人はここに居てはダメだ」

「閣下を囮にする訳には」

 妻子の脱出を依頼する獣人侯爵。犬系獣人の副官は苦渋に牙を剥き出す。

「後で合流しろ。待っている」

「必ずや!」

 身をひるがえして駆け去った。


 力押しで突破した。死者も出してしまったが、今は敵味方を論じている場合ではない。生き延びるのが重要だ。

 ただ、それに要した時間は致命的だった。あの家臣に事前に計画を吹き込み指示した者はそれを計算していたのだろう。

 今更城門を落とす事に意味はない。内部に敵を抱えたまま籠城しても、両面への対応を強いられたままでは早晩城壁は落ちる。

 それよりは野戦に持ち込むほうがいい。帝国正規軍とは言え、報告通りなら数は一万程度。獣人兵を結集すれば八千を超えるはず。極力戦死者を出さないよう指示しても、五分の戦いが出来る自信がある。


 編成も儘ならない状態で城門から出た時点で帝国軍は目前に迫っている。避けたい状況だったがこうなっては仕方がない。ひと当てしなければ後退戦にも持ち込めない。


「隊列整え! 迎撃!」

 野戦に入るのは正規軍にとって計算の内の筈だ。すぐにでも突撃を掛けて粉砕しに掛かると思われる。


 ところが突撃の気配を見せない。前列の重装兵が盾を下げると、入れ替わるように奇妙な集団が前に列を成す。

 皮帯で太い金属棒を肩から下げている。その金属棒には後方に箱が付いていた。


「構え!」

 指揮官の号令で、下げられていた金属棒が上向きになり、ベウフスト候軍を指した。

「撃て!」

 一斉に「シュバッ!」という炸裂音が鳴り、幾人もの獣人兵がもんどりうって倒れた。


「何!?」

 大地をのた打ち回って痛がっている兵がほとんどだが、中にはぴくりとも動かない兵もいる。


(何が起きた? あれは新手の魔法具か? 武器なのか? 見えなかったが、いったいどんな魔法を?)

 虎獣人が呆然としている間に、金属棒を掲げ持った兵の列が前後を入れ替える。


「構え!」

 また同じ号令が掛かった時点で、彼の脳裏で危険信号が鳴る。

「防御姿勢!」

 盾を持つ者は前に掲げ、持たない者も剣を翳した。

 再び炸裂音が連続し倒れる兵が続出したが、急所を守ったお陰で今度は即死した兵はいなかったようだ。そして、イグニスの弧を描く耳は金属音を捉え、その正体を身をもって知った。


(く! 熱い!)

 それは彼の纏った鎖帷子を貫き、二の腕に刺さっている。

(暗器? 金属針、か。あの音と同時にこれを飛ばす魔法なのか)

 ひと思いに引き抜き、観察したイグニスは何が起こっているかを理解した。


 魔法ならば魔法散乱レジストで防御出来るのだが、今率いているのは全てが獣人兵だ。魔法士はいない。それに、魔法散乱レジストで防げそうだとは思えなかった。

 魔法散乱レジストは魔法なら防げる。固体化した土の槍や氷の槍でも結合を解かれて分解する。しかし、当然だが矢や投げ槍などの武器は防げない。その金属針はそういった性質の物に思えたのだ。


「重装兵、前へ。大盾を掲げよ。総員、身を低くしろ」

 よほど撤退を指示しようかと思ったがそれは出来ない。今は住民が城門に大挙して逃げ出そうとしている。時間を稼がねばならないのだ。

 あの武器は、抱えたまま走れるような類の物に見えない。全力で逃げようとすれば背後からの攻撃を受けそうにはないが、撤退を指示する訳にはいかないのだった。


 イグニスが防御に徹する決断に至った理由はもう一つ有る。正規軍の指揮官の存在。虎獣人はその男を知っている。

 デネット戦線で見掛けたあの姿。巧妙な用兵をもって敵を分断すると、自分が先頭に立って殲滅して見せた驚異の武威。戦場に立つべくして生まれたように見えるのに、その身には高貴なる血を宿している。


 刃主ブレードマスター

 彼はその名を大陸中に轟かせている。


(あれは第三皇子殿下の新兵器か。ならば大きな欠点は無いと思ったほうがいいだろう)

 重量がかさんで機動性に欠けるのも、重装歩兵を前に置く事で補っている。金属針を放つまで間隔が空くのも、数を揃えて列を組み入れ替える事で解消している。

(頼む。持ち堪えてくれ)


 城門から吐き出される人の波を、彼は祈りつつ見送るしか出来なかった。

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